2026/06/05号 4面

日系・トランスナショナル起業家研究

日系・トランスナショナル起業家研究 横山 和子/セーラ・ルイーザ・バーチュリ著 宮本 英威  外国で暮らすと母国では当たり前だったことが普通にはできなくなる。日常生活で困難に陥った際に手助けしてくれるのが先人だ。本書には中南米と日本で同胞の暮らしを手助けするようなビジネスを立ち上げ、事業を広げる「国際起業」に取り組んだ魅力的な経営者が取り上げられている。  本書の2人の著者が「国を超えて生き、働く人々」に関心を示したのは、日本とウェールズにルーツを持つ学者として外国で研究、就業の経験を持つためだ。2019年に東南アジアの起業家について研究しており、今回は2作目にあたる。  ブラジル、メキシコ、日本の3カ国を舞台に日本人移民の子孫である日系人、自身の母国とは別の場所で事業を営むトランスナショナルの起業家の軌跡を描く。  著者2人が外国人として過ごした経験をもとに47人に聞き取り調査を実施し、居住国と出身国への「埋め込み度」という社会や文化との関係性から分析を試みている。起業家として存在感を示すにはビジネスを展開する居住国への高い浸透が欠かせないと指摘する。  日本の外務省は世界に日系人は約500万人いると推計する。ブラジルには国・地域別で最大の約270万人、6位のメキシコには7万9000人が住まう。法務省によると日本には412万人の外国人がいる。この中で経営者になるには才覚がいる。  メキシコで日系2世の春日カルロス氏は著名経営者として知られる。ヤクルト現地法人の初代社長で、各地のスーパーで製品が当たり前に置かれているようにした功労者だ。食習慣を調べるために道端に捨てられているゴミを早朝4時に回収して「野菜を洗わずに食べており、腸内環境に問題を抱えている」と分かったことが事業開始のきっかけだったと明らかにする。  サンパウロの東洋人街リベルダージで有数の人気店と言えば21年にオープンした「UDON JINBEI」だ。経営者の日系2世である長谷川洋二氏はブラジルに生まれた。日本で教育を受けた後、ブラジルに戻ったトランスナショナル起業家といえる。食品商社勤務やダイソーのブラジル進出に携わった後、うどん店を短期間で人気店に押し上げた。24年にはとり白湯ラーメンの「とりこらーめん」も開業した。本書の著者の聞き取りに「野心は強くなっている。現在、いい欲が出てきたと思っている」と答えており、今後の事業拡大が期待できる1983年生まれの働き盛りだ。  本書には国や文化をまたいでビジネスを活発にするための12の提言が含まれている。通底するのは国際起業家を生かして、日本との関係を強化すべきだというメッセージだ。政府と民間企業が一体となったメンタープログラムの拡充、年金の二重支払いを防ぐ「社会保障協定」の締結拡大という施策には筆者も強く賛成する。  人口減少が進む日本では外国からの起業家を呼び込む必要性は高まる。デジタル技術を活用した金融サービス、自治体による多言語での情報提供は言うまでもないが、重要なのは「日系子弟に対する日本語教育支援の強化」だ。在日外国人が学齢期の子どもたち向けの教育で日本語、母国語の双方が中途半端になり悩むケースは多いのだが、公的支援を十分に受けられる状況にはなっていない。  日本で苦労して学業を修めた後に社会人として経験を日本で積み、ブラジルに駐在員として活躍する出稼ぎ子弟も生まれてはいる。弁護士や行政書士、プロスポーツ選手や落語家という専門職で活躍する人材もいる。現状では個人の努力に依存する傾向が非常に強い。家族の支援は次世代の交流の種をまいているに等しい。日本国内での支援拡充が、海外での日系やトランスナショナル起業家の活性化につながると考える。  提言の一つには「DXに焦点を当てたイノベーションの促進」もある。現在はオンライン上でのサービス提供を軸に軽やかに国境を越えている日系の起業家が生まれている。  2024年の岸田文雄首相のブラジル訪問に同行したドリームストック(東京・千代田)がその一例だろう。松永マルセロ最高経営責任者(CEO)はIT技術を生かし、国境をまたいだプロサッカー選手の移籍やユース選手のセレクションの支援を提供する。今後は土地に根ざさずに国際起業に取り組む人材は一段と増えていくはずだ。  本書は駐在員や学生としてサンパウロやメキシコシティに移住する方に薦めたい。研究書ではあるが、両国と日本を結びつける背景を理解するのに役立つ格好のガイド本となる。  新型コロナウイルス禍を挟んだこともあり、海外・日本共に事例の調査は短期間で集中的に行われた。サンプルが偏っているのは否めない。海外では地方部、日本では他の地方都市にも日系、トランスナショナルの起業家が多い場所はある。むしろ集団移住地のような小さな土地での方が日系起業家の地域で果たしてきた役割や存在感は大きいともいえる。継続的な調査を期待したい。  私自身、学生や新聞社の特派員として両都市に合計10年弱住んでおり、慣れ親しんだ名前が本書の随所に出てくる。サンパウロではJOJOラーメンやレストランの藍染で舌鼓を打った。アチバイア栗園やNIKKEY Palaceホテルを訪れ、MNプロポリスは定番のお土産だった。メキシコシティではレストランのMOGやダルマで日本食を食べ、スーパーMIKASAで食材を手に入れた。ビアヘス東洋メヒカーノには仕事や観光で支えてもらった。  それぞれの飲食店や企業は駐在員の日常生活に欠かせない役割を果たしている。事業設立の背景を知れば、サービスを使う際に背筋が伸びる思いをするはずだ。  起業家の子孫は日本語を理解しないケースも多い。ネット上では本書の英語版も提供されている。日本語を理解しない起業家の子孫が「先人の移住、現地での起業、苦労、現地社会への埋め込みなどを理解」することを著者は期待する。その先に円滑な事業継承が進んでほしいと願う。(みやもと・ひでたけ=日本経済新聞社前サンパウロ支局長)  ★よこやま・かずこ=経営学者。インターナショナル・キャリア・ディベロップメント株式会社CEO。  ★セーラ・ルイーザ・バーチュリ=東洋学園大学教授・人的資源管理。

書籍

書籍名 日系・トランスナショナル起業家研究
ISBN13 9784830953033
ISBN10 4830953039