2026/02/20号 7面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 98 マッシモ・カッチャーリ(小林康夫)

百人一瞬 小林康夫 第98回 マッシモ・カッチャーリ(一九四四―   )  自著ばかりではなく、編著・翻訳等々を含めれば、(数えたことはないが)優に数十冊の本の背表紙にわが名が刻まれているはずだが、なかでも最も売れたのが、九〇年代に同僚の船曳健夫さんとの共編でつくった『知の技法』シリーズ(東京大学出版会)。これまで『技法』四六八〇〇〇部、『知の論理』一六〇〇〇〇部、『知のモラル』一一〇〇〇〇部、『新・知の技法』四〇〇〇部が販売されている。大学関係の本としては奇跡的な部数であることは間違いない。  いまから振り返ると、わたしとしては、これは教育という大学の「現場」において、ただ出来上がった「学」を教えるのではなく、「知」とは行為するものだということをそれぞれが身をもって示すという「革命」であったと思うのだが、だからこそ、わたしにとっては、第三作『知のモラル』がもっとも過激に冒険的であった。  なにしろ、同僚以外にも隅谷三喜男さんに三里塚闘争について書いてもらったり、駒場ではなく本郷の憲法学者の樋口陽一さんや工学者の吉川弘之さんなどにも寄稿をお願いしたりしたが、そこで終わらず、過激さは世界へと向かい、ついにはわたしをしてヴェネチアへ行き、哲学者であり、同時に、市長として厳しい政治的現実を引き受けてもいるマッシモ・カッチャーリさんにお会いして、かれ自身の「知のモラル」をうかがってみようとさせたのだった。  それは、かれが一九八五年に刊行した『必然性の天使』(邦訳は『必要なる天使』、人文書院)の仏語訳を読んで、「運命」と訳すこともできよう「アナンケ(必然性)」を「ばらばらの決定が互いに響き合うような天使的領域」と考えるその思考に惹かれたからだった。  しかし、市長は忙しい。同僚のイタリア文学者の村松真理子さんを伴って市庁舎を訪れたが、他にもたくさんインタビューを待つ人たちがいた。結局、短時間でこちらの意図を説明することしかできなかったのだが、カッチャーリさんは律儀に、後日、わたしの問いに答えるテクストを送ってくださった。そこでは、「知を批判する思考の義務がある」からはじまって、理論と実践、知と行為の間の差異を引き受けて「例外的状況を作り出そうとしなければならない」と書いてくれた。そして、それこそが「エートス」を更新するので、「エートスはそれぞれの個人にとって神的なものなのだ」と。  なるほど、ヴェネチアほど特異な「エートス」が濃厚に凝縮されている場処はない。なぜか、わたしの詩的な夢想にとっては、ヴェネチアは建物のテラスから無数の藤の花が垂れ下がる「煉獄」の街だった。そこで「アナンケの市長」とお会いできた……わが人生の不思議な出会いのひとつとなった。  だが、それだけではない。カッチャーリさんは、最初の市長職が二〇〇〇年に終わった後、二〇〇五年から再び市長に復活するのだが、政治の「現場」から離れていた二〇〇二年に来日した。京都で建築家の磯崎新さんが主催した歓迎の会食にわたしも呼んでいただいたりしたが、それだけではなく、わたしからもなにか日本の「エートス」を味わっていただこうと、お茶会をオーガナイズしたのだが、そのモーメントは次回に語らせてもらうことにしよう。  『知のモラル』、『知の論理』は長らく絶版だったが、二〇二三年に新装版が刊行された。その新しい前書きに、わたしは「そのたびごとに異なった現場で〈知〉がどのような希望を語ることができるかを引き受けること、それが〈モラル〉だ」と書きつけた。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)