2026/04/03号 6面

男と女とチェーンソー

男と女とチェーンソー キャロル・J・クローヴァー著 福田 安佐子  ホラー映画を観るとき、私たちは少なからず「あるある」や「フラグ」というものを期待している。例えば、怪物や殺人鬼に追いかけられて逃げる女は何も無いところで躓くし、正義感の強すぎる男はやや生き残りにくい。こういった「紋切型=クリシェ」に出会えばニヤリとしたり、それがあるべきところになければ肩透かしを食らったような気分になり、分かってないな、なんて嘯いたりもする。そのような「伝統」の踏襲を求めておきながら、それが良い感じで裏切られ、思ってもみなかった形で更新されれば、その作品の評価はうなぎのぼりとなり、その新しい表現は次に繰り返されるべき「紋切型」として迎え入れられるだろう。  そういった「紋切型」の中で、最も人気があり、有名なものに、「ファイナル・ガール」ものがある。出来事は、真っ暗な森の中(または湖畔)のキャンプ場、それか見知らぬ土地の薄暗い家で起こる。主人公であろう女性は、異様ないでたちで追ってくる怪物的殺人鬼から必死に逃げるが、そのうち抵抗を試みるようになり、物語の終盤には見つけ出した武器を手に立ち向かう。太陽がようやく上り始めて一瞬見えた犯人の顔は、恐ろしくもあり、暗闇のなか想像していたよりは情けなくもある。反対に、最初は逃げまどい叫ぶだけだった主人公は、少したくましくなったようにも見える。しかし彼女は一晩のうちに多くのものを失った。一緒にキャンプに来ていた友人たち、なかでも、序盤にはセクシー系の女子、その次か同時になくしたのは主人公が淡い恋心を抱いていた男子(彼は多くの場合、このセクシー女子といい感じなので、厳密には最初からすでに主人公の手中になかったのかもしれないが)。このふたりは真っ先に、時には行為に及んでいる際に殺された。その次に標的となってしまったのが、スポーツかなにかをやっているマッチョな男子、性格だけはいい兄、などなど。  このような、どこかで見たことのある「紋切型」の中で生き残る主人公たちは、一九七〇年代から一九八〇年代にかけて制作されたホラー映画にしばしば登場するようになった。彼女たちの総称「ファイナル・ガール」を世に広め、それぞれのシーンや演出が持つ意味に明確な説明を与えたのが本書である。なぜ舞台は薄暗いやや閉ざされた空間がお決まりなのか、なぜセクシー系女子が最初に死ななければならなかったのか。単に恐怖の演出や視聴者サービスのためだけではない。その詳細は本書に譲るが、大事なのは、「紋切型」とは単なる表面的な繰り返しではなく、それぞれがジェンダーや精神分析の言葉でもって説明ができ、意味や因果関係が存在するものだということである。それゆえ、観ている我々もそれを見つけては無意識のうちに納得や安心の感情を得、繰り返しを喜ぶのである。  「ファイナル・ガール」にまつわる様々な「紋切型」は、そのどれもが納得のいくものであるがゆえに、やや独り歩きしている感もある。また著者も繰り返しているように、本書で誤解されてはならないのは、この「女性」の活躍は、必ずしもそのままの意味で受け取れるものではないということだ。「ファイナル・ガール」たちは、これまで一方的に窃視され、反撃の余地なくメッタ刺しにされ、泣き叫ぶだけであったホラー映画のヒロインとは一線を画す強さを持っている。これは一見すると、現実社会における女性やフェミニスト達の発言力や社会的地位の向上、男性中心の旧世界と戦う「女」の現実を反映していると読むことも出来るだろう。しかし著者は、ジェンダーを「壁」ではなく「透過膜」のようなものとしてとらえている。すなわち女性視聴者が男性主人公に共感し、また逆に男性視聴者を女性主人公に同一化させることは十分可能であり、それこそが映画の力でもある、ということだ。マッチョな男たちがあっけなく殺されていくなかで女一人生き残る映画を、どのような人々が受け入れ、その受容自体にどのような意味があるのか、そのこと自体を本書は問うているのである。  また本書は、「ファイナル・ガール」だけでなく、オカルト映画における憑依される女や、レイプリベンジもの、そして映画における「眼差し」の問題にも言及している。一九九二年に出版された書籍をもとにしているため、具体例として出てくる映画も九〇年代初頭以前のものが多いが、著者による補足や訳者解説において最近の作品にまで十分に目くばせされている。  今年のはじめ、「ファイナル・ガール」が銀幕に初めて登場した『悪魔のいけにえ』の五〇周年記念リマスター版が公開された。そりゃ繰り返したくもなるよなとあらためて思わずにはいられない、完成された映画ではあるが、五〇年経っているのである。ホラー映画研究における教科書的存在であり、映画を一歩踏み込んで「観る」とはどのような方法があるのかということを教えてくれる本書の日本語訳が出ることで、ますます素敵なホラー映画の登場とこれまでの「紋切型」たちの更新がすすめばいいなと、願わずにはいられない。(小島朋美訳)(ふくだ・あさこ=国際ファッション専門職大学助教・表象文化論・ゾンビ学)  ★キャロル・J・クローヴァー=カリフォルニア大学バークレー校名誉教授・中世北欧文学・映画史・映画理論・ホラー映画におけるジェンダー表象。

書籍

書籍名 男と女とチェーンソー
ISBN13 9784794980397
ISBN10 4794980396