2026/07/10号 4面

権力者を訴追する

権力者を訴追する スティーヴ・クロウショー著 藤井 広重  本書は、戦争犯罪、人道に対する罪などをめぐる国際刑事司法の歴史を、現在進行中の戦争まで引きつけて描いたノンフィクションである。著者であるスティーヴ・クロウショーは東欧革命やバルカン戦争を取材し、人権団体でも活動してきた。制度の解説にとどまらず、被害者、弁護士、検察官、活動家、調査者の声を拾いながら、権力者の責任を問う営みが多くの抵抗と政治的妥協を伴ってきたことを描く。訳文も、「容疑者」を「被疑者」または「被告人」と訳し分けたい箇所はあるものの、法制度、歴史的事件、現場の声が混在する原著の特徴が、日本語でも無理なく伝わってくる。   ニュルンベルク裁判と東京裁判は、国家指導者や軍事指導者の責任を問ううえで画期的であった。ただし、それは直線的な進歩の始まりではなかった。ケニア、アルジェリア、ヴェトナム、カンボジア、チリ、ハラブジャの事例が示すように、大規模な暴力が存在しても、それが訴追に結びつくわけではない。戦争犯罪や国家暴力は、記録されながらも処罰されず、政治の都合によって忘却され、あるいは先送りされてきた。  ニュルンベルク以後の長い空白を経て、旧ユーゴスラヴィアとルワンダでは、国際社会が再び大規模暴力に対する刑事責任を制度化しようとした。両裁判所はいずれも国連安保理によって設置され、その活動は国際政治の力関係から自由ではなかった。それでも、証言、証拠、判決を積み重ねることで、かつては裁かれなかった政治指導者や軍事指導者が法廷に立つようになった。制度史だけでなく、現場の記録として読ませる力が本書にはある。  ICCの設立、ピノチェト、チャールズ・テーラー、イッセン・ハブレをめぐる記述では、常設裁判所、国内裁判所、特別法廷、地域的な司法実践が重なり合い、権力者の免責を狭めてきた過程が描かれる。たとえばハブレ裁判は、国際刑事司法がハーグだけで完結しないことを考えるうえで欠かせない。被害者の訴え、支援者の活動、国内政治の変化、地域機構の関与が重なったとき、司法は動き出す。  裁判に至る過程を重視していることも、本書の長所である。シリア、オープンソース調査、コブレンツ裁判をめぐる記述からは、戦争犯罪を実際に訴追するためには、法が定められているだけでなく、被害や加害行為を立証できる形で記録する作業が欠かせないことが分かる。映像、証言、文書、衛星画像、避難民の証言、NGOの調査が、後に法廷で用いられる証拠となる。記録し、保存し、整理し、法的に意味のある形へと整えなければ、戦争犯罪は裁判で扱える事件にならない。  ただし、グローバルサウスの経験から読むと、正義の天秤は常に不公平であった。本書には、国際刑事司法の普遍主義がどのような不均衡のうえに展開してきたのかについて、さらに踏み込んだ整理と紹介も必要である。たしかにケニア、チャールズ・テーラー、ハブレが扱われ、アフリカが視野の外に置かれているわけではない。それでも、本書でのアフリカは、主として訴追の対象となる地域、あるいは国際刑事司法への反発が生じる地域として描かれている。もちろん、多くの紛争を抱えるアフリカで訴追が行われることが不自然とまでは言えないが、考えてみてほしい。近年、ロシア大統領とイスラエル首相に対してICCの逮捕状が出されたことは、国際刑事司法が大国政治の中枢にも影響を及ぼしうる段階に入ったことを示す。その前進は肯定的に評価できる。しかし、このことは、ICCの初期事案がアフリカに集中していた現実も鮮明にする。つまり、誰が先に裁かれ、誰が裁かれなかったのか。そして、それはなぜか。正義の天秤は、そもそも誰を秤皿に置くべきかを選んできた。近年になって誰もが選ばれうるようになったと言えば聞こえは良いが、先に選ばれてきた側が何を思うのかは、想像に難くない。   本文中には、カーン検察官が法を適用、執行する「私は単純な法律家」と語ったと紹介される。検察官個人がどのような言葉で職務を理解しているのかを知ることができる点は、本書の資料的価値の一つである。ただし、ICC検察官は、国内の検察官よりも広範な裁量を持つ。基準は示されているものの、どの事案を優先し、どのような形で逮捕状を請求するのかについて、大きな判断を委ねられている。強制的に逮捕できない国際的な裁判所が、国家元首に対する逮捕状を発付することは、その社会に残された人々に何をもたらすのか。本書で紹介された現場の声とは異なる否定的な声もあるはずだ。このような現実は、国際刑事司法の前進に対するアンチテーゼともいえよう。  その意味で、カーンの言葉にはさらに複雑な響きがある。シェイクスピアを引きながら法の普遍性を語る検察官の姿勢は理解できる。だが、カーンはかつてケニア事件でウィリアム・ルトの弁護人を務めた人物でもある。職務に忠実であったとしても、その経歴を踏まえると、被害者のことが頭をよぎる。ルト事件は、ICCがアフリカの選挙暴力に向き合おうとした事例であると同時に、証人保護の脆弱性、国家協力の限界、被害者の期待と失望が交錯した事例でもあった。評者は、ルト弁護団の遅滞戦術が証人と被害者の声をケニア社会からかき消し、本件が証拠不十分として手続きが終了した一因であると考えている。当時のケニアでは、多くの被害者や証人が脅迫と暴力に怯えていた。国際裁判に「単純な法律家」として関わるとはどういうことなのか。その重さも考えさせる。  普遍的正義の歩みとともに、権力者に法が届きうるようになったことは重要である。しかし、逮捕状が出れば被害者の声が回復されるわけではなく、訴追が始まれば平和がもたらされるわけでもない。何より、その歩みは均等ではなかった。逮捕状や訴追の有無だけで国際刑事司法を評価することは難しい。本書の意義は、正義の実現をめぐる希望と課題を同時に考えさせる点にある。(三浦元博訳)(ふじい・ひろしげ=宇都宮大学大学院准教授・国際法・平和構築論・アフリカ政治)  ★スティーヴ・クロウショー=イギリスの人権活動家・ジャーナリスト。『インディペンデント』誌にて東欧革命とバルカン戦争を取材。三〇年以上にわたって「人権と正義」のテーマで執筆と活動を続ける。

書籍

書籍名 権力者を訴追する
ISBN13 9784560024966
ISBN10 4560024960