2026/03/27号 8面

「国立大学の学費値上げ問題について」反対運動当事者学生へのインタビュー(八十島士希・檜田相一・原田佳歩)

<社会問題としての学費値上げ> 「国立大学の学費値上げ問題について」反対運動当事者学生へのインタビュー  今、全国の国立大学で学費(授業料)値上げの動きが相次いでいる。2010年代から東京工業大学(当時)を皮切りに少数の国立大学が値上げに踏み切っていたが、2024年には東京大学が秘密裏に値上げを画策していたことが発覚。他大も次々に値上げの検討を表明し、全国的な問題に発展した。  学費値上げ反対運動で中心的な役割を担っている学生三人(東京大学・八十島士希さん、東北大学・檜田相一さん、広島大学・原田佳歩さん)に、学費値上げ問題について伺った。(編集部)  ――それぞれの大学では、どのような形で学費値上げの検討が発表されたのでしょうか。  八十島 東大では、2024年5月15日、学費値上げを検討しているというリーク情報が報道されました。学生に何の説明もないまま、6月中には上限額への値上げが決定される見込みだと報じられたのです。当然、学生や教職員から反発が生じました。大学当局はそれを受け、授業料免除の拡大を打ち出し、「値上げによって致命的な影響を受ける学生はいない」とアピールする方向へと転換しました。  私を含めた学生たちは5月の発表後、ほぼ毎日抗議活動を続けました。これに応える形で当局は、6月21日にZoomウェビナーで「総長対話」と称した説明会を開きます。ですが「対話」とは名ばかりで、学生の発言は厳しく制限され、内容も納得に足るものでなかったために、直後に安田講堂前で抗議活動が発生しました。そして大学は、これを警察導入によって排除したのです。この対応にも猛批判が立ち上がり、当月中の値上げ決定は見送られることとなります。  しかし、夏休みで多くの学生が大学を離れている9月10日に、突如値上げ案が発表、二週間後には正式決定されます。そのまま2025年4月には、新入生の学費値上げが現実のものとなってしまいました。  原田 広島大は東大にいち早く追随した大学でした。2024年5月24日に開かれた学長定例記者会見で、東大の動きを受けて学費値上げを検討中であると発表されました。これに対して私たち学生側は、翌日には「広島大学学費値上げ阻止緊急アクション」を立ち上げます。6月初旬にスタートした署名活動は一ヶ月半で約17600筆を集め、7月下旬に学長へと直接提出、同時に文科省から出向している理事・職員との対話を行いました。これが奏功し、提出翌日の学長定例記者会見での「学費値上げの検討はしていない」という発言によって、事実上値上げは撤回されました。  その後、大学当局は曖昧な受け答えを続けており、予断を許しませんが、国内学生の学費値上げの動きは今のところ再活発化していません。  檜田 東北大では、ちょうど各地に学費値上げの検討が広がった2025年の夏に、大学新聞が当局への取材を行いました。その際は、国際卓越研究大学〔世界最高水準の研究力育成を目的に、国による10兆円規模大学ファンド運用益の配分対象となる大学〕に選ばれたこともあり、「現在は検討していない」との回答が出ます。しかし、2025年11月29日に突如として、留学生限定で学費値上げ40万円との新聞報道がなされたのです。その日のうちに留学生たちと共に学費値上げ反対運動を立ち上げたのですが、週明けには大学が決定事項として発表してしまいます。その後署名を集めて提出しますが、大学は簡単な質問にすら答えませんでした。  ――今現在はどんな状況にあるのでしょうか。  八十島 東大では2025年の4月から値上げが施行されているので、間もなく値上げ二年目の世代が入学してくることになります。東大のキャンパスは主に駒場と本郷の二か所なのですが、前者に関しては値上げ後の学費を支払う学生が大半になりますね。  檜田 そもそもこの値上げの背景には、国立大の財政難があります。2024年に国立大学協会が「もう限界です」と声明を発しましたが、これは国立大学法人化以後、大学運営の財政的な要である運営費交付金〔国庫から支出される大学の運営資金〕が削減され続けたことによるところが大きいのです。  東北大も、施設の改修や学生の福利厚生への投資になかなかお金が回らないのは他大と同じかと思います。加えて先述のように、留学生は来年度からの学費値上げが決定してしまいました。  原田 広島大は昨年11月下旬に、留学生限定で学費値上げをする旨が発表されました。東北大と一緒に明らかになったもので、これは検討段階ではなく決定済みの方針であるとの通達でした。今回は学部の留学生限定なのですが、ここから大学院生や国内学生に拡大していくことは予想の範囲内です。熊本大が実際にそうしていますから。  檜田 東北大における留学生の学費値上げ幅は、既存のものに加えて40万円ですが、割合にして1.7倍と、一見中途半端です。しかしこれは、留学生部門の経常収支がぴったり黒字になるところに合わせた額なのです。文科省が出している「国立大学の留学生授業料適正化」方針、そして大学全体で「稼げない」部門をなくしていく動きが組み合わさったものと捉えられるかもしれません。  八十島 東大は新学部カレッジ・オブ・デザインの設置が決定しています。こちらの学費はまだ発表されていません。新設学部ということで、初めから高額な学費を設定することは十分あり得ます。  檜田 東北大も、日本人と留学生が同じ枠で受験できる「東北大学ゲートウェイ・カレッジ」という教育プログラムが2027年度に新設されます。学費に差が設けられた現状が維持されるのか、あるいは高いほうに均されるのか。危機感は大きいです。  ――大学側が一方的に通達する構図が共通しているように見えます。  檜田 東北大は、留学生担当の職員すらも報道で初めて知ったと話しています。大学当局がトップダウンで決めている印象です。  原田 広島大もそうですね。2024年の反対署名提出の際には、交渉相手の職員や私たちを支援してくださる教職員と繫がっていたのですが、本当に寝耳に水だと。内部文書としても流通しておらず、上層部の意志だけで決まったのだろうと言われました。  八十島 他大学の学生がタイミング的に準備や覚悟が比較的しやすかったのに対して、東大は本当にいきなりでした。私は2024年当時、パレスチナ連帯キャンプを駒場で展開していましたが、突然学費値上げの話が持ち上がった。今こんな時にこんなことをやるのかと愕然としました。運営費交付金がずば抜けて多い東大ですら、財政がかなりやばいらしいと囁かれていました。昨年は国際卓越研究大学に落選したこともあり、尻に火がついているのかもしれません。  しかし、実は東大の場合、授業料を20%値上げしても全体の収支としては1%も改善しません。財政が本当に厳しく死に物狂いで取りにきたと解釈できなくもないですが、それは物語に引っ張られすぎているようで、不可解なものが残ります。  檜田 値上げを検討する多くの大学は、もともと学費を上げるきっかけを探していたようです。東大の学費値上げは渡りに船だったということですね。運営費交付金の減額と昨今の物価高によって、各大学はすごく苦しめられています。  原田 まさしく東大の動きに機会を窺ったのが広島大学ですが、この大学特有の問題もあります。2015年から越智光夫学長体制が続いていて、自ら学長選考規定を変更し、元来は禁じられていた三期目の任期に突入するなど、めちゃくちゃなことをやっているのです。越智学長は国や文科省の意向を積極的に汲みに行く人のようで、彼個人の性質も学費値上げの動きに影響しているようです。2004年の国立大学法人化以降、大学が自ら資金を確保することが推奨されている中、広島大は東大に続く第二の事例として率先したと言えます。  ――独裁的な運営がなされているのですね。  檜田 東北大では、旧・総長裁量経費(現「大学独自の戦略予算」)が2025年度には91億円に膨れ上がっています。東大や京大が10億円を下回っているのに比して破格です。前総長の大野英男が自ら20倍近く増額している。どの部局も運営が苦しい大学でこのようなことが起きると、「総長参り」と呼ばれる現象が生じます。予算不足に悩まされるさまざまな人が、総長に面会して予算をつけてもらおうとするのです。総長個人に権力が集中する歪な構造が生まれています。  原田 まさに同様のことが広島大でも起きていますね。  檜田 また、大学の意思決定機関が、教授会中心の評議会から理事会へと、そしてさらに運営方針会議へと移っていることも大きな影響を与えているでしょう。内部での議論なしに上からいきなり方針が降ってくる体制へと変化した結果の一つが、学費値上げだと言えます。  八十島 東大の学費値上げは、当初「リーク情報」として明るみに出ました。それを大学は「不正確な情報」が出回ったとして不満を表明しているのですが、本来、大学の自治が実現しているならば、構成員の待遇に直結する、このような重大情報の公開はむしろ行うべきことのはずです。それにすら耐えられないアレルギー的な状態になってしまっているように感じます。  ――そもそも、なぜ大学の学費値上げは問題なのでしょうか。  檜田 まず指摘できるのは、国際人権規約の「A規約」と呼ばれる条文に「高等教育の漸進的無償化」が謳われており、日本も2012年に保留を撤回して批准していることです。日本においては高等教育が万人の権利であるという意識が薄いのですが、国際的にはこれを認める流れがあります。日本政府は、日本学生支援機構による給付型奨学金をはじめとした修学支援制度を敷いていますが、そこから漏れる人はたくさんいます。給付不給付は家族の年収だけで判断されるから、特別な家庭事情や教育虐待は考慮されません。一連の学費値上げ反対運動でも、「家族主義」批判が多く唱えられました。この問題意識は私たちに共通しています。  原田 広島大などの地方国立大は、下宿の費用や私立大の高額な学費によって県外への進学を諦めざるを得ない人の受け皿になっているところがあります。学費値上げは、低廉な学費に恃んで通っている層を切り捨ててしまうものでしょう。  八十島 東大は日本で一番「人気」のある大学ではあるので、特殊な立場にあるとは思います。よく言われるのは、「東大生は卒業したらいいところに就職して沢山稼げるのだから、多少学費が高くても我慢すべき」という非難です。これは一面では正しいと思います。ただ一方で思うのは、こういう大学だからこそ、お金にならない分野に入っていく人がいるべきだということです。そもそも、大学の学費はいくら高くても、完全な「受益者負担」にはなりません。ある程度は税金から支出されている。なぜなら、それが公共の利益になると考えられているからです。  だからこそ、東大生は自分が儲かる分野ばかりではなくて、世のため人のためになるような領域にも行かなければいけない。しかしながら、「卒業したら奨学金の借金があります」となったら、そういうわけにもいかなくなってしまう。学費値上げは、東大生が「今だけ、金だけ」にのめり込む構造を強化してしまうわけです。東京大学という大学の公共性が損なわれてしまう点が、一番よくないポイントです。  付け加えると、教育というものがそもそも、受益者を社会全体にとるものです。社会のインフラとして国は教育にお金をかけるべきです。値上げの背景には、大学教育は個人の将来の利益のためのものだからその分は自分で負担しろ、という発想があると思いますが、しかし現代社会は、そうした考え方では明らかに維持不可能だと私は考えます。  ――具体的な批判として、「学費値上げは大学生だけ、恵まれた人だけの問題だ」という指摘がありうると思いますが、どのように応答しますか。  檜田 大学はこれまで、「無駄」な国庫支出を減らすという新自由主義政策の目玉として槍玉に挙げられてきました。しかしこれを放置していると、大学のみならず、社会全体が新自由主義的な方向へと進み、公共サービスの減少や質の低下、派遣労働の増加などが生じてしまいます。そして社会の豊かさを失ってしまう。大学、ひいては学費値上げの問題は、労働や福祉の問題と結びついているのです。新自由主義的な論理を社会に広めないための防波堤として、学費値上げ問題は浮上しているのではないでしょうか。  私たちの運動を批判する人々の多くは、新自由主義的な自己責任論を内面化している傾向が強くありました。この論理が大学改革を通じて社会の全体までいきわたることで、異なる立場から私たちが生きるこの社会全体を支えていくというしくみが機能しなくなることを危惧しています。  原田 運営費交付金の削減によって、大学内の予算配分が変化しました。広島大では、基礎研究や人文学の予算が減らされ、医療や半導体といった「稼げる」分野に資金が投入されています。そして、学生が受ける授業の数さえも削られていく。私は哲学を専攻していますが、西洋哲学の重要な講義も受けられず、研究もままならない状況が広島大では既に生じています。もっと小規模な大学なら、学部自体が消滅してしまうでしょう。  稼げる学問しか学ぶことができなくなると、学生の意識も稼ぐことにばかり向けさせられてしまいます。自分の興味を見つめたり社会のことを考えたりできなくなる。大学は社会の縮図です。資本主義の論理に取り込まれる社会を防ぐためにも、学費値上げ反対には意義があると考えています。  八十島 資本主義は競争原理をその本質としており、現代の私たちは当然のようにこれを受け入れています。就活も、公務員試験も、企業の幹部登用もそうです。この競争のなかで、「東大生」は殊更能力がある人として重用されがちです。しかし、金持ちしかいい大学に進学できなくなれば、富裕層の子息が高級官僚や会社トップなどのポストを得て、自分たちが金儲けしやすいルールを再生産するようになることが容易に想像できます。  実は、学術研究にも似たようなところがあります。科学的知識の社会学という学問潮流は、中立的に見える科学の知識や方法論も、その起源をたどれば、時代背景や特定の社会集団の利害などを反映しながら成立したのだと論じます。もちろん、すべての科学的な学説が完全に利害関係に規定されきっているわけではありません。しかし、各研究者が同質的で、それぞれの抱くバイアスの独立性が弱ければ、結果として定説さえも歪んでしまいうるのです。裕福な人ばかりが研究に携わっていては、お金持ちにとって都合のいい学説ばかりが出てくることでしょう。さらにそれを根拠として政治家や官僚が政策を立案するとなると、歪みはどんどん強まっていくわけです。  こうした状況に対する修正パッチの役割を果たすのが、高等教育の無償化という施策なのだと私は言いたいです。これを諦めてしまっては、大学に進学しない人も含めて、どんどん生きづらい世の中になってしまうのではないでしょうか。(おわり)