マーベル・コミックのすべて
ダグラス・ウォーク著
馬場 聡
マーベル・シネマティック・ユニバースの成功が示すように、アメリカン・コミックは映画を通して世界的に市民権を得た感がある。しかし、その膨大な物語の源泉であるコミック自体をすべて読破した者は、どれほどいるだろうか。コミック研究者ダグラス・ウォークは、なんと1961年以降に刊行されたマーベル・コミック約27000冊を実際に読み通し、その全体を「最長編自己完結型フィクション」と位置づける。どうやら、無数のタイトルやシリーズから成るマーベル・コミックは、総体としてひとつの長大な物語を形作っているということらしい。この気が遠くなるような超人的読解の成果が本書である。
最初にウォークが注意を向けるのは、『ファンタスティック・フォー』第51号(1966年)の冒頭シーンである。そこでは、宇宙線を浴びて岩石のような皮膚を持つ存在へと変貌したザ・シングが、その怪物的な外見ゆえに深い絶望を抱き、雨の中で孤独に立ち尽くす姿が描かれている。このような一見取るに足らない瞬間を、数万冊に及ぶマーベル物語全体を読み解く鍵として抽出する点にウォークの独自性がある。つまり、彼は膨大な叙事詩群を高見から俯瞰するのではなく、その最小単位である個別のエピソードに潜む人間の痛みや弱さから、宇宙規模の神話的物語が立ち上がる構造を読み取ろうとする。
本書は、こうしたマーベル史上の重要な瞬間を縦糸に、個々のシリーズやキャラクターを横糸に織り込む形で構成されている。『スパイダーマン』の章では青年が抱える日常の不安と超人的能力の交錯が繰り返し強調され、ウォークはこのシリーズの本質がピーター・パーカーの「ビルドゥングスロマン(成長物語)」であると看破する。とりわけ印象深いのは『X-MEN』をめぐる論考だ。X-MENは突然変異によって超人的な能力を持つことになったミュータントから成るチームである。ウォークはこのシリーズが、人種的マイノリティやLGBTQといった「他者」と共鳴してきたことを強調する。なるほど、人類の脅威と目され、差別と迫害にさらされているミュータントをめぐる物語は、様々な属性を持つ者たちの軋轢を抱えるアメリカ社会の寓話というわけだ。
本書全体から見えてくるのは、さまざまな作品を切り結ぶテキスト間相互関連性だ。例えば、『ブラックパンサー』のエピソードに突如、キャプテン・アメリカが登場するような瞬間に読者はある種の興奮を覚えるだろう。異なるタイトルのヒーローが揃い踏みする状況が頻繁に生じるのは、ほとんどの作品の著作権/商標権がマーベル社に帰属しているからだ。そして何より、マーベルの物語が、マーベル・ユニヴァースという共通する架空世界で展開されているがゆえに、こうした心躍る共演が可能になる。本書において、共演ものから紐解かれる異なるシリーズ間の関係性は、マーベルというひとつの物語の姿を浮き彫りにする。
アメリカ作家ジュノ・ディアスは本書を概ね好意的に受け止めながらも、批評的な掘り下げ方の甘さを指摘している。確かに、本書にはマーベル作品を政治的/文化的に読解するヒントがひしめいてはいるが、それらを精緻に分析するところまでは行っていない。とはいえ、こうしたアカデミックな意味での物足りなさは、本書の存在意義を貶めるものではない。本来的に、この本は自己増殖し続ける膨大なマーベル・ストーリーの楽しみ方の指南書であるからだ。
ここに紹介した翻訳版を手に取る読者にとって幸いなのは、訳者に上杉隼人を得たことだ。数々のアメリカのポップカルチャー関係の書物を翻訳してきた上杉の筆は、ウォークの情熱的かつ軽やかな語り口を違和感なく日本語に移し替えている。なにより、原書の持つ批評とファンダムの両義性が、日本語版でも十全に伝わるのは訳者の力量によるところが大きい。原註を補う膨大な訳注は、本書をより深く理解するための強力な手引きとなっている。本書を手掛かりに、マーベル社の定額制デジタル・コミック読み放題サービス「マーベル・アンリミテッド」で、マーベルの壮大な物語を旅してみてはいかがだろうか。(上杉隼人訳)(ばば・あきら=日本女子大学文学部教授・アメリカ文学)
★ダグラス・ウォーク=コミックやポップ・ミュージックを専門とする作家・批評家。著書に『Reading Comics』など。オレゴン州ポートランド在住。
書籍
| 書籍名 | マーベル・コミックのすべて |
| ISBN13 | 9784867931011 |
| ISBN10 | 4867931012 |
