「上」vs.「下」の経済学
松尾 匡著
原田 泰
著者はマルクス主義経済学者を自認する左派の論客であるが、左派が振るわない現実を率直に見つめ、日本の「下」の人々のために左派が何をしなければならないかを真摯に問うている。私はどちらかと言えば、本書で批判されているタイプの経済学者なのだが、著者の分析は興味深い。
高市政権の圧勝に関して、著者は、まず、緊縮経済政策の犠牲になって救いを求める人々が膨大な有権者の中にあることを指摘する。この有権者たちの訴えに左派政党であるれいわ新撰組が応えて、積極財政や消費税減税を唱えたことがその躍進を支えていた。しかし、それに、国民民主党、参政党が同調し、自民党も含め、すべての党派が積極財政に転換してしまったので、左派支持が、自民党に移ってしまったと分析している。私は、左派の凋落には安全保障政策への不信があると思うが、著者は経済学者なので、それには言及していない。
ほとんどの政党が積極財政に傾く中で、れいわと参政党が支持者を取り合っていることが指摘されている。このように左派と右派の支持者が交錯することは世界的にも歴史的にも良く見られることである。ここから、有権者は左右のイデオロギーには関心がなく、ただ自分たちの暮らしを楽にしてくれる政権を求めていると分析する。だからこそ、積極財政を唱える右派ポピュリズムは人気を集めている。では、この先、左派は大衆からの支持を得られるのだろうか。
これに対して、著者は、右派は大衆ポピュリズムを代表できないという。世界を「上」と「下」に分ける左派に対して、右派は「ウチ」と「ソト」に分けると指摘した上で、右派は依拠する「ウチ」の中で「上」と「下」を分けているからだとする。一方の左派の側はというと、ソトを代弁するものになってしまったことで「下」の大衆から見限られたのではないか、というのが著者の見立てである。加えて著者は、かつての左翼が、個人を無視する共産主義体制を崇めていたことを明白に批判した上で、左派は文化的には個人主義の立場に立つべきだと強調する。
本書は、経済政策について、経済のメカニズムから縷々説明しているが、基本的なメッセージは、緊縮的経済政策を止めて経済を財政金融両面から緩和しようというものだ。反緊縮政策は良いが、どこまで拡張策が許されるのかの歯止めも提言している。左派は計画経済志向で、産業政策と相性が良いのではないかと思っていたが、著者は産業政策に批判的である。
金融緊縮政策は円高をもたらし、産業と雇用を海外に移転してしまうと指摘する。著者は、さらに、これは日本を帝国主義に向かわせることになるだろうという。なぜなら、海外に膨大な利権をもった以上、現地のテロや騒擾や革命から日本資本を守る必要が出てくるからだ。だから、日本を帝国主義に向かわせずに、福祉、医療、教育、環境への政府支出を拡大して日本を救わなければならないという。
私は、なるほどとは思ったが、海外の気まぐれで強権的政府の方針に右往左往しているだけの日本が帝国主義とは盛りすぎの表現だ。
以上の分析に基づいて、左派の復活の戦略が示される。著者は、有権者を呪詛することなく現実を直視せよとまず語る。有権者はお客様で政党はお店である。お店の側が、「お客が分かっていないから売れない」と言ってはおしまいと私も思う。著者は、だから、生身の利害に訴えよという。右派のウチとソトの区分けは、本来対立している上と下の対立を覆い隠している。弱い企業の淘汰と帝国主義を止める極を作るべく、庶民の暮らしのために大胆に財政出動をして大企業や富裕層に増税する。産業の海外進出路線に反対し、国内回帰を目指し、帝国主義に進ませない。これらの主張で左派は復活できるという。
しかし、私は、生産性の低い企業の新陳代謝が進まないと日本全体での生産性は上昇しないのではないかと思う。生産性が上昇しなければ実質賃金も上がらない。また、大企業や富裕層に増税するのなら、企業も富裕層も海外に移転してしまうのではないだろうか。
私は、多くの部分で説得されたが、左派こそが本書を読んで考えていただきたいと思った。それだけの真摯な思索が詰まっている。(はらだ・ゆたか=名古屋商科大学ビジネススクール教授・経済学)
★まつお・ただす=立命館大学経済学部教授・理論経済学。著書に『コロナショック・ドクトリン』など。
書籍
| 書籍名 | 「上」vs.「下」の経済学 |
| ISBN13 | 9784911256411 |
| ISBN10 | 4911256419 |
