梶原阿貴氏に聞く(聞き手=小宮亜里)
<今、凄絶な出自を明かすに至るまで>
『爆弾犯の娘』(ブックマン社)刊行を機に
映画『「桐島です」』(監督:高橋伴明)の脚本を手掛けた脚本家・梶原阿貴氏が自身の半生を振り返った『爆弾犯の娘』(ブックマン社)刊行を機に、梶原氏にお話を聞いた(聞き手はブックマン社編集長の小宮亜里氏)。これまで、梶原氏が語ることのなかった凄絶な過去をなぜ今、本書で明かしたのか。現在の両親とのエピソードや『「桐島です」』にまつわる話題なども収録した。(編集部)
小宮 『爆弾犯の娘』は発売直後から大変な反響をいただき、またたくまに重版もかかりました。この反響を梶原さんはどう捉えていますか?
梶原 執筆の最中、私が冗談で「重版を目指します」と言っても、小宮さんは「そんなに甘くない」って反応だったじゃないですか。紙の本が売れない今、軽々しく重版などと口に出すことすらいけないのだと思ったものだけど、発売から1週間くらいで重版決定でしょ。信じられない。
『「桐島です」』の初日舞台挨拶で、後輩が「重版出来」と書いたうちわを作ってくれたんですよ。それを見て改めて実感が湧いてきましたが、夢が実現できて本当にうれしかったです。
小宮 映画『「桐島です」』(2025年7月4日公開)の企画が先にあって、昨年(2024年)の2月くらいに立ち上がり、ラッシュが11月頃というスケジュールで進行したのですが、私はラッシュのタイミングで、梶原さんにお父様のことを書いていただきたいと、依頼をしました。以前から、梶原さんはこのことを書くべきだと思っていましたので。
梶原 実際は、11月の最終日のご依頼でしたが、小宮さんはこうおっしゃったんですよ。「まだ11月だから、2月に書きあがるよね」って。そうは言うけど、明日になったら12月じゃないか、と。
小宮 そうでしたっけ(笑)。
梶原 『「桐島です」』の(高橋)伴明監督も同じで、脚本を「5日で書け」と言われた。特別に今日はカウントしないでやるよって言われたのが夜9時。だから『「桐島です」』界隈も、『爆弾犯の娘』界隈もみんなひどい(笑)。
小宮 『「桐島です」』の脚本も相当早かったし、『爆弾犯の娘』の原稿もこちらの想定を上回るスピードでご執筆いただいた。そして何より、初校の段階からすごく面白かったので、このあたりがプロの脚本家の成せる技だなと思いました。本を書く作業と普段の脚本を書く作業は、やはり違うものですか?
梶原 全然違いますよ。脚本の場合、「柱」と「ト書き」と「セリフ」の3種類で構成しますが、なるべく簡略化して書きます。そもそも脚本というのは、これでもってスムーズに撮影に入ることを目的としたものであって、俳優とスタッフしか読みませんから、余計な装飾は必要ないのですね。自分で書いたもの以上に俳優や監督が仕上げてくれることを念頭に置いて、脚本家は脚本を書くわけです。
ところが、本を書くというのはその真逆で、自分ですべてをコントロールしなければならない。だから最初、小宮さんに「どうやって書くの」って聞いたほどでした。同じ文章を書く作業なんだけど、普段とまったく違うことをしなきゃいけなかったので、余計に大変でしたね。
小宮 実際に本を書く上で、どんなことを意識されましたか?
梶原 読み慣れていない人が本を読むのは、すごく大変なことじゃないですか。だから、書く上で心がけたのは、平易な表現を用いるということです。私は机に、井上ひさしさんの「ゆれる自戒」の一節、「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく」を貼っていて、文章を書くときは常に意識しているのだけど、今回は小学6年生の私に読ませることを念頭に置いて書きました。
小宮 わかります。ぜひとも本の中の阿貴さんに読んでほしいね。
小宮 ご自身の半生を振り返って書くのも、普段の脚本を書く作業とは違うでしょうから、そこも大変だったんじゃないですか?
梶原 どうしても思い出したくないこともあるし、思い出すと腹が立つこともたくさんありました。
実は過去に何度か、この話を自分のことだとは伏せて、フィクションの作品として映画化しようとしたことがあったんですよ。あるとき、仕事で一緒になった編集者の方に、当時書いていたものを見せたことがあったのですが、そこで言われたのは、「あなた、これは自分のことを書いたんでしょ。興味深い内容だけど、作者が泣いていたら、読者は読むに堪えないよ。これは10年後にもう一回書くか、10本別の作品を書いてから持ってきてくれる」と。
小宮 そんなこと言われたんですか!? いつの話?
梶原 2011年だから14年前です。そうダメ出しされて本当に悔しかった。だから、15年後の今、10本以上の脚本を書いた上でこの本に臨みました。
小宮 だとすると、結果的にその編集者の意見は正しかったってことなのかな。
梶原 正しかったけど、その時はもう……。この本を読んでもらえばわかりますけど、私の原動力はすべて「悔しい」からきていて、さすがにこのエピソードは書いていませんが、この本を書く上でこの言葉はずっと残っていました。
小宮 出版するべきタイミングというのは、ありますよね。たいていは、あとから気が付くことだけれども。
梶原 それは絶対にそう。14年前の自分だったらここまで書けなかっただろうし、何より私が自分の出自を明らかにすることのリスクに負けていたと思う。
小宮 「出自を明かすことのリスクに負ける」……すごく重い言葉ですね。
梶原 伴明監督の『夜明けまでバス停で』(2022年)で脚本を書かせてもらって、今回の『「桐島です」』でまた伴明監督と一緒に仕事ができたので、自分の自信以上に周りの人たちのバックアップがあったのが14年前との大きな違いで、今だったら書けるかなあ、と。
小宮 梶原さんは今回、終始一定の距離感を保って、本の中の少女阿貴を俯瞰で描かれたじゃないですか。それを読者の皆さんも感じ取って、異口同音に「大変な人生だったにもかかわらず、クールに淡々と突き放して書いているところがよかった」という感想が寄せられています。付け加えると、阿貴を優等生ぶって書いていないところも良かった。全然構えていないというか。
梶原 そのあたりは、年齢を重ねたことも関係しているかもしれない。うまく力を抜いて書けたというか、お芝居でいえば手放すことができたみたいな。
小宮 自分の出自を作品にしたいという思いは、梶原さんしかり、どの著者の方たちもお持ちになっていて、それを書くことが絶対的な切り札だと考えることも多いと思うんです。
梶原 逆に、私は人から「それが君の切り札なんだね」って言われたことがありましたよ。
小宮 誰がそんなこと言ったの?
梶原 忘れちゃった。たしか、テレビ局の人だったと思うけど。ちなみに、作家の末井昭さんも同じようなことを言われたことがあるって、『素敵なダイナマイトスキャンダル』(ちくま文庫)に書いていましたね。
小宮 私も誰かに、そういうことを言ったことがある気がする……。編集者って、いかにその切り札を出させるかが仕事、みたいなところが確かにある。そして、著者に切り札を出してもらった以上は、私たちはその題材を特に丁重に扱うのが義務だと考えています。
今回、梶原さんはそれまで隠していた切り札をちゃんと出してくれたし、しかも出すべきか出さないほうが身のためか?のためらいも含めて書いてくれたから、そこは一編集者として、とてもありがたかったです。
梶原 こっちはこっちで、逆転のチャンスを狙って、いつ切り札を出そうか見計らっていましたけどね。
小宮 でも、上手に出さないと、一発屋で終わっちゃう可能性もあるから、ここの見定めは、著者にとって本当に難しい部分だと思います。
梶原 切り札っていうぐらいだから、そのカードは一生で一度しか切れないわけです。たとえそれがうまくいったとしても、焼き直して使うことはできませんし。
そう考えると、14年前に潰してもらったのはかえってよかったんだと思う。ですから、あのとき厳しいことを言ってくれた編集者の方には感謝ですね。
小宮 ところで、この本ができたことでご両親はどういう反応をされました?
梶原 すごく喜んでいます。正直、出る前は心配していたんですよ。両親のことをだいぶいろいろ書いてしまったから。ところが出てからは、むしろ自分たちの方が率先して昔の友だちとかに自慢して回っています(笑)。
でも、いろいろなところで自慢したい反面、最近知り合いになった人にこの本を読まれると自分たちの出自がバレるから、父も母もそこの葛藤に苛まれていて、父はいま通っているデイサービスで仲良くしている人たちには何も言っていないんですよ。私が「ラジオでも紹介してもらったんだから、本当は自慢したいんじゃないの」なんて言うと、「言ったら僕が爆弾犯だってことがバレるでしょ。ここではみんなとうまくやっているんだからさあ」みたいなことを言っていて。
小宮 きっと嬉しいんだろうね。特に、お父様の譲二さんはずっと過去を隠して生きてきたわけでしょ。それが今、こうして自分の人生が活字になったことで、それも娘が活字にしたことは、娘に自分の人生を認めてもらえたことと同義だと思っているのではないでしょうか。娘が本を出版したことを自慢したい気持ち以上の嬉しさがあるんじゃないかな。
梶原 でも、ムカつくのは、私がこの本のモデル代として、両親宅のエアコンと家中のカーテンを新調してあげたのに、「モデル代にしては足りないね」だって。
小宮 そこが天然だよね(笑)。
梶原 本当に天然。ある程度距離を保たないと、とてもじゃないけど付き合えない(笑)。母だって父に対して毎日腹を立てていて、そういう時はこの本で書かれているよかった時の部分も読み返すのだそうです。
小宮 本書の中に、収監された譲二さんに母娘が新幹線に乗って面会に行くシーンがあるのですが、はるばる訪ねたにもかかわらず、譲二さんは、ぶっきらぼうで不機嫌な態度をとるじゃないですか。何だよ、せっかく遠くから会いにきてやったのに!と思いはするものの、私はむしろ、ここでの描写に、収監されている人のリアリティ、説得力を感じました。
梶原 ずっと閉じ込められているのだから、そんな急に愛想よくはできないですよ。今にしても思えば、メンタルもだいぶやられていただろうから、ドラマにありがちなアクリル板越しに手を重ね合わせて「来てくれてありがとう」みたいな光景にはなりっこない。
小宮 譲二さんがようやく出所して、迎えに行く場面でも、「これからは家族3人、仲良く暮らそうね」と抱き合う、とかではないですもんね。そのあたりも、私が今まで見てきた映画やドラマの出所シーンとは全然違った。
梶原 何年も社会と隔絶されていたから、家に帰ってきてからも明らかに変なんですよ。
小宮 そこから社会に馴染んでいかなければならないわけでしょ。時代も変わっているわけで。本当に大変なことだと思う。
梶原 しかも、逃げていた期間を含めると20年間社会と接触がなかったので、いまだに変なままです。
小宮 出所の場面でいうと、私は譲二さんが自動改札を通過できずに佇んでしまったところで、思わずうるっときちゃった。
梶原 あの時は、さすがに私も思うところがありました。それまで父にはムカついてばかりだったけど、自動改札のドアの前で立ち往生していた姿を目の当たりにして、「ああ、そういうことなんだな」って。
小宮 浦島太郎になっちゃっているんだよね。
でも、そういったことも含めて、今回、娘に書いてもらえたことで、譲二さんの人生は大きく変わったんじゃないですか?
梶原 いやー、それはないんじゃないの。というか、私はこれを読んで、反省してほしいと思っていたんですよ。自分はとてもひどいことを言ってしまっていて、私たちをこんな傷つけてしまったんだ、と。そこに期待していた部分もあったけど、相変わらず期待外れのままです(笑)。
小宮 そうは言っても、ご両親への愛情で溢れていますよ。何より梶原さんが役者になったっていう事実は、譲二さんに対する最大のリスペクトだったと思います。
小宮 読書人さんから梶原さんに聞いてみたいことはありますか?
――本と映画に共通するシーンに、自宅でくさやを焼き、近所の人に通報されて警察官がかけつける場面があります。とても印象に残るシーンであると同時に、『「桐島です」』でも採用したということは、梶原さんにとってよほどインパクトのあった出来事だったということですか?
梶原 だって、ただでさえ逃亡生活中なのに、偶然、三斗小屋温泉での殺人事件に巻き込まれ、栃木県警に指紋を取られていたから、いつ警察が父を捕まえに来てもおかしくない状況だったんですよ。それにもかかわらず、母がくさやを焼いて、異臭騒ぎで通報されてしまったので、まさかの出来事です。
で、この話は映画に活かせると思って書いたら、伴明監督から「リアリティがない」と言われてしまったのだけど、これは実話だからと説得して、採用してもらいました。
小宮 私は先に映画の方を見ていたので、くさやは監督の演出だと思っていたのですが、『爆弾犯の娘』の原稿にもくさやのくだりがあったから、余計に驚きました。桐島役の毎熊克哉さんも舞台挨拶で「くさやって梶原さんのアイディアだったんですね」とおっしゃっていましたし。
――本と映画を一緒に見ると、どこが梶原さんのアイディアなのかがよくわかります。
梶原 ほかにも、劇中の桐島は、靴は玄関に置かず家の中に置き、必ずボストンバッグを枕元に置いて寝るのですが、あの仕草こそ、当時の私の生活そのものです。監督から、「普通の人が知らない逃亡生活のエピソードがあるでしょ」って言われていたので、そういった要素も盛り込みました。
小宮 私たちが想像する逃亡犯というと、名前も仕事もコロコロ変えて、全国津々浦々、常に逃げ回っているイメージなんだけど、梶原さんが書いたものを読むと、実際はそうではないんですよね。もっと淡々とした暮らしを送っていることに気づかされました。
梶原 実際の桐島さんも、40年間同じ工務店に勤めていたわけじゃないですか。ということは、どれだけ市井に溶け込んで暮らしていたか。私にはそれが容易に想像できたので、「目立たぬようにはしゃがぬように」淡々と繰り返される日々を描くということで、監督と思惑が一致しました。
その分、派手さはないので、観に来てくれたお客様に退屈だなと思われたらどうしようかと心配もありましたが、今のところ評判もいいのでよかったです。
小宮 劇中の桐島は毎朝一杯のコーヒーを飲みますが、同じルーティンを繰り返しながらも段々と歳をとっていく。その様を毎熊さんは上手に表現していたと思います。
梶原 そこが俳優の力ですよね。脚本ではわざと同じト書きにしていましたから。
小宮 同じト書きといっても、そこにはシークエンスがあるじゃないですか。それは『爆弾犯の娘』でもいえて、両親の「おかえり。僕もさっき戻ったところなんだ」「お仕事お疲れ様でした。すぐご飯にするね」と同じやりとりが繰り返されるなかで、それを横で見ている少女阿貴は成長していっている。その書き方が実に文学的でした。
梶原 たしかに。同じことを繰り返していきながらも、そこから何かが少しずつ変わっていくというのは『爆弾犯の娘』と『「桐島です」』に共通するモチーフかもしれませんね。
小宮 最後に、この対談を読んでくれている読者にメッセージはありますか?
梶原 冒頭にも言いましたが、この本は小学6年生くらいでも読めるように書いたので、普段読書をしない人でも無理なく読めると思います。あと、私とは違う状況だけど、親の影響で生きづらさを感じている人たちにはぜひ読んでもらいたいです。
小宮 「本書で伝えたいのは「どんな環境に生まれても、努力次第で人生は切り拓ける」ということでは断じてありません」と本の帯裏にも書きましたが、なんでも「自己責任」で片付けられてしまう今だからこそ、そこからの逃げ道にこの本を読んでもらいたいですよね。
梶原 世の中がこれだけ悪くなっている中、自分の置かれた環境を自分のせいだと思う人を減らしたいですし、それは「自己責任じゃないよ」ということを、この本を通じて伝えていきたいです。(おわり)
★かじわら・あき=脚本家。一九九〇年『櫻の園』で俳優デビューし、映画『青春デンデケデケデケ』『ふがいない僕は空を見た』などに出演。二〇〇七年「名探偵コナン」で脚本家デビュー。二〇二二年に高橋伴明監督作品『夜明けまでバス停で』で多数の脚本賞を獲得。
書籍
書籍名 | 爆弾犯の娘 |
ISBN13 | 9784893089847 |
ISBN10 | 4893089846 |