ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 446
最初期のヌーヴェルヴァーグ
JD ファスビンダーの映画を、回顧的に見ると、いかにして彼の映画に対する考えが発展していったかが、とてもよくわかります。自分の友人を集めて、素人のような映画を撮影していた若者が、最終的にはムルナウに匹敵する映画を作ることになった。さらに彼は、それを本当に短い期間で成し遂げています。三七歳で亡くなっていますから、一〇年足らずの期間に三〇本近い映画を作り上げ、ドイツの社会や映画に関わる歴史を総括的に扱うことになった。要するにファスビンダーの映画は、ケン・ローチの映画とはまったく異なるということです(笑)。
HK そうした観点からすると、コスタ・ガブラスの映画には、程度の問題なのかもしれませんが、「考え」があまり感じられません。
JD コスタは……言うなれば、システムの側にいる映画作家だからです。彼は、国立高等映画学院で学んでいます。当時の映画業界で監督になるためには、ふたつの道がありました。映画監督と知り合い、助監督を経験して映画の世界に入るか、もしくは映画学校を卒業するか。その二つの経歴を有する人は、本当に多くいます。そうした世界の外部で映画を作ることに成功したのは、ヌーヴェルヴァーグだけです。
HK ヌーヴェルヴァーグも、映画業界とまったく無縁だったのではなく、映画批評を通じて、プロデューサーや映画監督などと知り合い、映画の世界に入り込めたのではないですか。
JD その点に関しては、より正確な理解が必要です。ヌーヴェルヴァーグとして今世間に認められているものは、すでにヌーヴェルヴァーグが形になって以後のものだからです。実際のヌーヴェルヴァーグの運動は、それ以前から存在していました。私たちは、シネクラブに熱心に参加していましたし、映画批評も書いていました。短編映画も作っていました。それらは、決して外部から強制されたのではない。自分たちが映画を好きだから行っていたものです。映画批評やシネクラブに興味を持ったり関わったりする人の中には、しばしば映画監督など実際に映画の世界に関わる人が多かった。それ故、そうした人々と自然と知り合っていくことになりました。とりわけ彼らは、自由な開かれた精神を持っている人が多かった。ルノワールやロッセリーニが、とても良い例です。彼らはすでに巨匠でしたが、映画が世間にあまり受け入れられていないこともあり、自分たちのことを無条件に擁護する若者たちに対して、とても親切でした。しかしヌーヴェルヴァーグは、彼らの撮影現場で映画を学んだわけではありません。私たちが学んだのは、彼らの持つ映画に対する考え方です。
要するにヌーヴェルヴァーグは、当時のフランス映画制作のシステムの中にはいなかったということです。自分たちに映画のアイデアがあり、自分たちで脚本を書いて、自分たちで制作資金を見つけ、役者のキャスティングや撮影スタッフの選択もしばしば自分たちで行っています。ロメールやゴダールは、近年までそうやって映画制作をつづけてきました。それに対して、ゴーモンやパテといった大手の制作会社や高等映画学院出身者の作る映画は、非常に制度的です。撮影スタッフなどのあらゆる部署が細分化され、流れ作業のようになっているところがある。完成したものを見ると、とても〈よく出来た映画〉になっている。撮影された映像や編集、役者の選び方などなど、致命的な間違いは滅多にありません。
最初期のヌーヴェルヴァーグ、ポーランドのヌーヴェルヴァーグ、南米のヌーヴェルヴァーグ、カサヴェテスらの映画には、大手の制作会社なら絶対に認めないような「間違い」が見つかります。マイクが映り込んでいたり、カメラマンやカメラが反射して映り込んでいたり、音が録音できていなかったりなど、様々な問題があります。しかし、それでも良い映画は良い。映画とは、決して上手に撮影されたものではないということがわかります。システムの側にいる人々が正しいと信じていること、「職人的であればあるほど良いものである」だとか、美しい物語の美しい映像、「良質なもの」であることこそが、本当に良い映画であるという考え方自体が、真実ではないことがよくわかります。 〈次号へつづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)
