2026/09/11号 3面

岐路に立つ民主主義

岐路に立つ民主主義 古賀 敬太・長谷川 一年編 中道 寿一  民主主義のこの惨状にウェーバーなら、ロールズなら、どのように対処するか。本書は、「二〇世紀の政治的激動期を生き、いくつもの民主主義の危機に直面した一〇人の政治思想家」を取りあげ、彼等を専門とする各研究者がその「現代の政治思想家の思想に内在しつつ、その視点から民主主義論の危機を診断し、その克服の処方箋を明らかにする」ことを目的とした、極めて啓発的な論文集であり、その特徴は、「民主主義の危機」を「民主主義の理論の危機」として捉え、政治思想史的に考察した点にある。  本書は、危機の原因として、「自由主義なき民主主義」の台頭、民主主義の名による「国家主義」の台頭、多元主義を破壊し異質者の排除を引き起こす「排他的なナショナリズム」の存在、社会を分断し連帯を引き裂き二極化をもたらす「経済格差の拡大」、国民の「市民的徳」の欠如、民主主義の価値に対する信念の喪失と民主主義以外の理念や制度への傾斜、を挙げている。こうした危機の原因に対して、各章で示される思想家の民主主義論とそこから導き出される危機克服の構想は、問題整合的で、示唆に富んでいる。  まず、M・ウェーバーの民主主義論では、一貫した議会改革構想と過渡期における政治構想としての人民投票的指導者民主主義について、新資料を用いながら検証し、ウェーバーの「実践的政治におけるライヒ大統領制とカリスマ的支配、あるいは人民投票的指導者とカリスマ的指導者とを直接的に結びつけることはできない」ことを論証し、現代の極右政党に通底するポピュリズム的思考との距離を明らかにしている。C・シュミットの民主主義論では、その特徴として、民主主義と自由主義を分離し、非自由主義的な民主主義を構築している点、民主主義の前提に同質性を据え、異質者の排除を正当化している点、「人民の真の意志」は「喝采」によって実現できるとしている点、民衆の直接運動に議会制を克服する契機を認めた点を挙げ、「一元的な『人民の意志』という擬制を放棄し、少数意見をも包摂するような多元性に開かれた同質性を探求しつつ、議会外の運動や世論を議会内の討論に接続させること」を提示している。H・ケルゼンの民主主義論では、代表制民主主義のもとで民主主義の本質たる個人の政治的自律(J・J・ルソー)をいかにして維持するかという問題を取り挙げ、個人が政治的信条を共有する政党と人物を選び「自らの代理人」として議会に送り込み、議会内での議員の行動や発言を効果的に統制する「新たな命令的委任」こそ、「議会制民主主義において政治的自律を―間接的な仕方で―最大限に実現するための唯一の方策」であるとし、個人が自律的な判断を行うための教養教育の必要性を強調している。G・ソレルの民主主義批判論では、ソレルが「制度民主主義」に堕した「現代の民主主義」を厳しく批判するが、民主化を全否定したわけではなく、「民主化を現代社会の不可避の趨勢」として受け止め、「既存の能力主義的ヒエラルキーを転倒させる」ため、労働組合を社会主義運動の主体として位置づけ、「労働者に社会的権威を付与するような道徳的秩序の再生」を目指したことを指摘している。それは、労働者=戦士とみる「プレ・ファシズム」のソレルではなく、労働者=芸術家とみて、労働者に「未来を語る資格」を付与するソレル像の提示である。I・バーリンの民主主義論では、民主主義的自己支配というルソー的な積極的自由を、人間にとって根源的に必要なもの、価値あるものと認めつつ、消極的自由を容易に破壊するその危険性について警戒している点を指摘し、民主主義は一元的でも多元的でもありうるとしながら、「人間の魂の技師」による支配を肯定する「一元論的な民主主義」ではなく、「協議と妥協を前提とし、様々な集団や個人の権利を認める民主主義」、バーリン独自の「多元論的な民主主義」を明示している。  H・アレントの民主主義論では、代表制民主主義が「機能と責任の連鎖関係」の機能不全に陥り政治的疎外が生じている現状を前に、「行き場を失い、政治的無力さに陥った人々が、再度政治社会において、居場所をもつこと」を目指して、「すべての人々が公的事柄に関わり、見られ聴かれる」参加型の直接民主主義をモデルとして抽出し、その実現のために、国民国家の枠を超えて、「人民の参加と権力の分散、政治秩序の安定性と革新性を同時に担保する」、評議会制と連邦制によるアレントの「ラディカルな民主主義論」を強調している。  C・テイラーの民主主義論では、テイラーが、バーリンの「消極的自由」を「機会概念」にすぎず、「消極的自由」のみでは「マジノ線メンタリティ」に陥ると批判し、「行使概念」としての「積極的自由」を評価していることを指摘し、今日の民主主義の危機は「内部崩壊」によるという認識のもと、民主主義を「目的概念」として捉え、自由・平等・友愛という三原則に「包括性」を加え、共和制的憲法とそれを支える市民的徳性の刷新、そのための社会的条件の刷新による民主主義の再生を活写している。J・ハーバーマスの民主主義論では、包括的で熟議的性格を持つ「非公式の公共圏」から「公式の公共圏」へとつながる市民の意思形成の手続きが、ソーシャルメディアの急激な発展によって阻害され、「公共圏の断片化」と「リベラルな政治文化の空洞化」が生じている点を取りあげ、その処方箋として、「歴史的趨勢から構築された社会的な規範を解読し、その規範のもとで本来生じる諸個人の期待・能力を想起させ〈力〉を授けるグランド・ナラティブとしての方法論」を展開している。L・シュトラウスの民主主義論では、彼が、現実のリベラルなデモクラシーを、寛容な平等主義へと堕し、多数派の偏見が政治的に反映される危険な状態にあると痛烈に批判し、「民主主義の内在的理解にとどまる限り、民主主義の本質と重要性を明らかにできない」と主張していることを指摘し、改善策として、「新しい政治学」が回避してきた民主主義の価値の問題に関して、民主主義を擁護する声・批判する声双方に「開かれた精神」を養う「リベラル・エデュケイション」構想を明示している。J・ロールズの民主主義論では、「重なり合うコンセンサス」に支えられた「政治的リベラリズム」「財産所有のデモクラシー」が、トクヴィルの提起した「偉大な政党」と「矮小な政党」の問題、「価値観の対立による分断」と「社会的・経済的格差による分断」の問題への対応であることを指摘し、反対党の存在を認めない勢力が台頭する民主主義の危機に対して、私益のみを追求する「徒党」と公益を志向する「党派」を区別し、政治的リベラリズムに親和的な規範的パルチザンシップ構想を提示している。  以上のように、各民主主義論は、民主主義のあり方そのものを問い直す、いわば、民主主義を民主化する試みでもある。その意味で、本書は、民主主義の危機を前に、絶望的ファナティズムに陥らず、「理念を制度で支えることはできないという永遠の命題」に立ち返り、民主主義の維持・再生を志向する者にとって、新たな発見と可能性にめぐり合わせてくれる「希望の書」でもある。(執筆=佐野誠・松本彩花・濱真一郎・和田昌也・千葉眞・大村一真・松尾哲也・田中将人)(なかみち・ひさかず=北九州市立大学名誉教授・政治思想史)  ★こが・けいた=大阪国際大学名誉教授・西欧政治思想史。  ★はせがわ・かずとし=同志社大学教授・西洋政治思想史。

書籍

書籍名 岐路に立つ民主主義
ISBN13 9784588603839
ISBN10 4588603833