読書人を全部読む!
山本貴光
第48回 書評紙十万部の時代
「読書人」を全部読むついでに、と言ってはなんだが、前から気になっていた書評の歴史や広がりについても調べたいと思っているところ。近ごろ、そのささやかな一環として「BOOKMAN」という書評誌を読んでいる。
同誌は1982年10月にイデア出版局から創刊された書評専門誌で、B5判60ページの隔月刊。創刊時の編集長は武谷進、後に本谷裕二を経て、当初はアドヴァイザーだった瀬戸川猛資が終刊となる第30号(1991年6月)まで務めている。第5号以降は瀬戸川が営むトパーズプレスからの発行に替わった。隔月で刊行されたのは創刊翌年までで、あとはどちらかといえば不定期刊行だった模様。
「本の探検マガジン」と銘打って、毎号多方面に及ぶ特集を組んでおり、いま読んでも面白い。というのは、それぞれの執筆者が自分の好みや目利きに応じて存分に筆を振るって、型にはまらない誌面になっているせいだろうか。創刊の特集からして「なぜかいま岩波文庫が読みたくなった!」というので、角川文庫が勢いをもつなかで劣勢に見えていたという岩波文庫を俎上に載せる反時代ぶり。荒俣宏、呉智英、矢口進也による座談会を読むと、彼らに見えていた当時の出版や読書をめぐる状況も窺える。
ところで、ここでは同誌の終刊第30号で目にした書評紙への言及をご紹介したい。同号の特集は「〈いい本〉とは何か――最後のメッセージ」と題して、三つの「連続討議」を載せている。その一つ、呉智英、矢口進也、小田嶋伸幸のお三方による「定番の名著はどこにあるのか」の冒頭は「元始、書評は太陽だった」と題して書評の現状(当時)に触れている。
「書評が蔓延しすぎている」と口火を切ったのは矢口で、新聞や各種雑誌で書評が花盛りだが、「書評とは何のためにあるのか、誰が読んでいるのか」と疑問も提示する。ご本人の言によると、1940年代末から50年代前半にかけて「図書新聞」にいたという。その著書に『図書新聞小史』(図書新聞、1989)があり、これはぜひ読みたいと思いつつ手にできていない。
それはさておき、矢口は日本の書評紙についてこんなふうに述べている。
「日本の書評紙のスタートは、終戦直後の「日本読書新聞」。これは戦前からあったのですが、中断してまして、戦後復刊。その四年後の昭和二四年に「図書新聞」が創刊。「読書人」は、もっと後で昭和三〇年代。それから、「日本読書新聞」を出していたところから、「書評」という月刊誌も出ていた。なかでも権威があったのが、「日本読書新聞」で、最盛期には一〇万部以上出た。」
書評紙が10万部とはいまではちょっと想像しづらい数字だが、そのような時代もあったわけだ。それだけの部数がどのように流通し、どのような人びとに読まれたのかは気になるところ。その「日本読書新聞」は1984年末に終刊している。この座談会が行われた1991年にはすでになかったわけだ。
それなら書評新聞ならぬ一般の新聞ではいつから書評を載せていたのか。新聞書評というからには新聞が発行され始めて以降ということになるが、「書評」という言葉が使われる前から新刊案内や文芸方面の記事などは載っていたに違いない。などと、さらに調べたいことが芋づる式に増えていくのである。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)
