2026/06/19号 3面

ビリー・グラハム

ビリー・グラハム グラント・ワッカー著 井上 弘貴  宗教がふたたび政治や社会に強いインパクトを与える、いわゆる「ポスト世俗化」と呼ばれる時代状況の到来によって、宗教を主題にした書籍への関心が高まっている。アメリカの政治と宗教に限定しても、加藤喜之『福音派』(中公新書)が昨年来、一般にはなじみにくいテーマにもかかわらず注目を集めたのは、そのひとつのあらわれである。そのなかで本書は、歴代の大統領と親交をもった、戦後アメリカを代表する福音伝道者のビリー・グラハムを扱った本格的評伝であり、複数回にわたり来日してクルセード(伝道集会)を開催し、足跡を残したとはいえ、日本では相対的に知られざる人物にとどまっているグラハムの実相を描き出している。  本書は全体として四部からなり、シーン(場面)と名づけられた短めの章によって構成されている。五一のシーンと間奏曲と題された四つのコラム的な章から組み立てられている本書は、比較的大部ではあるものの、盛り込まれたエピソードと練られた訳文の助けによって、グラハムの生い立ちから晩年までの軌跡をリズムよく読み進めることができる。  ただ、各シーンの短さとエピソードに重きを置いた叙述のゆえに、本書ではグラハムについて理解を深めるための個々の論点の掘り下げが十分におこなわれていない点も目立つ。たとえば本書では、ラインホールド・ニーバーがグラハムを批判したことが指摘されている。しかしニーバーによるグラハム批判が、どのような根拠によってなされたのかについて、本書はごく軽く触れるにとどめ、グラハムがひとを介してニーバーへの面会を求めたにもかかわらず、それを果たすことができなかったというエピソードに力点が置かれる。あるいはまた、マーティン・ルーサー・キングとグラハムとの交流、さらには公民権運動を含む人種的正義をめぐるグラハムの思想と行動についても、本書は紙幅を割いて触れており、少年時代のビル・クリントンが人種隔離をせずに開催されたリトルロックでのグラハムのクルセードに参加したエピソードなど学ぶところは多いが、具体的な個々の事実やグラハムの主張の変化の根底に何があったのかについて、踏み込んだ著者の考察を知りたいと感じる側面がないわけではない。  叙述のスタイルに起因する物足りなさを感じる面はあれども、冷戦期を中心とした戦後アメリカを、グラハムという稀代の福音伝道者の人生を介して描き出すことで、本書は興味深い歴史の一端を伝えている。カトリック信徒のケネディが大統領の座に就いたのは、フルシチョフとローマ教皇ヨハネ二三世の共謀の結果であると信じていた人びとが当時いたという話や、フルシチョフとキングは仲が良いという根も葉もないうわさに象徴されるように、公民権運動の背後には共産主義者の暗躍があると信じる人びとがいたことなど、グラハムの反共主義に光をあてる際、本書はアメリカにおける陰謀論的な思考の根深さは今に始まったものではないことを明らかにしている。グラハムがニクソンとの私的なやりとりのなかでおこなった反ユダヤ主義的な発言にも、本書は率直に言及している。(相川裕亮・田中稔十訳)(いのうえ・ひろたか=神戸大学大学院国際文化学研究科教授・政治理論・アメリカ政治思想史)  ★グラント・ワッカー=ノースカロライナ大学チャペルヒル校を経て、デューク大学神学大学院のギルバート・T・ロウ名誉教授。ハーバード大学で博士号を取得。一九四五年生。

書籍

書籍名 ビリー・グラハム
ISBN13 9784400213512
ISBN10 440021351X