血と芸
河合 雪之丞著
小谷野 敦
一九九○年代、私がまだ熱心に歌舞伎を観ていた頃、若い女形で美貌の人といえば、第一に市川春猿、第二に中村芝のぶだった。二人とも門閥ではないが、将来歌舞伎が門閥制度から脱することがあったら、立女形にもなり、玉三郎の後継者になるだろうとすら思った。私はそもそもが三代目市川猿之助の存在を機縁として歌舞伎を見始めた世代で、春猿はその部屋子だったから、期待は大きかった。だが、二〇〇三年に三代目が病気に倒れ、二〇一六年に春猿は新派に移って河合雪之丞と改名、白兎屋の屋号を名のった。
これは、その雪之丞の半自伝である。門閥外から歌舞伎の大物になった役者を描いた「国宝」という映画のヒットで、急遽企画されたものだろう。私は映画を観ていないが、もともと歌舞伎の門閥制の批判を始めたのは、三代目猿之助の祖父の二代目猿之助である。二代目は大正期に、河原崎長十郎らと松竹歌舞伎から脱退して春秋座を旗揚げしたが、ほどなく一人で松竹に戻り、残った者たちは門閥打破を掲げる前進座を設立して今日にいたっている。二代目の孫である三代目猿之助は、松竹でけれん歌舞伎やスーパー歌舞伎によって新しい観客を開拓し、その力で門閥外の実力ある弟子を育て、引き上げていった。
著者・雪之丞は、歌舞伎とは関係のない家庭に育ったが、伯父が彫刻家で、祖母が猿之助と親しい朝倉摂とも知り合いだった。幼い頃から歌舞伎を観て育ち、十五歳で猿之助に入門しようとして、国立劇場の養成所へ行くよう言われ、養成機関をへて三代目門下となり、のち部屋子となる。大変な美貌を持ち、歌舞伎でも他の世界でも抜擢されたが、二〇〇三年に三代目が脳梗塞で倒れ、二〇一二年に甥の亀治郎が四代目猿之助を名のった。三代目は、弟子の右近に猿之助を継がせると言っていたが、右近は右團次の名跡を継いだ。そして春猿は新派へ移った。
おそらく三代目が元気でいたら、もっと違った展開になったろう、そう本書では匂わせているが、もちろんそれははっきりとは書かれていない。千谷道雄の『秀十郎夜話』などで、歌舞伎の門閥と非門閥の差別の厳しさは、緩和されたとはいえ厳しいことが窺われるが、それ自体必ずしも古くからのものではなく、戦後になって厳しくなったものだ。雪之丞は映画「国宝」にこと寄せながら、誰かを非難することなく、三代目がいかに信念をもって門閥と戦ってきたか、また倒れたあとは獅童や松也が非門閥に手を差し伸べたかをゆったりと語っていく。「雪之丞」は、三代目が「團子」だった時、名のる名跡がないため、三上於菟吉の『雪之丞変化』からとって名のろうとした名前だが、二代目が猿翁という隠居名を名乗り、猿之助を團子に譲ることにした名だ。
本書で雪之丞は、そういう複雑な背景については最低限しか語らず、三代目がいかに自分らを引き上げようとしてくれたかを言うばかりだが、私たちはその背景を押さえた上で、いじめはそんなになかったみたいなところはちょっと割引して読むべきだろう。
春猿が歌舞伎の名題昇進試験を受けた時、門閥役者は実技免除だが、春猿には、三代目猿之助が政岡をつきあうから栄御前をやれ、と言われて、猿之助が政岡をした人を落とせないだろうと思っていたら、実際には先代芝翫が「春猿さんね、これ(免除で)いいですね」と言って免除されたとか、「ちょっといい話」がいくつも詰まっている。雪之丞は繰り返し、門閥の人のほうが大変だとか、自分らが主役で出られないのは当然だとか、門閥制度を批判しないように書いているが、それがかえって門閥の怖さを感じさせる。
歌舞伎の世界で配りものが石鹸なのを不思議そうに書いているが、歌舞伎界は白粉を使うので石鹸業界と密接な関係があり、歌舞伎の筋書には役者の談話が途中でミツワ石鹸の宣伝になったり、藤間流家元の争いにミツワ石鹸の社長がからんだりしたからではないだろうか。(こやの・あつし=作家・比較文学者)
★かわい・ゆきのじょう=女形役者。一九八八年国立劇場歌舞伎俳優研修を修了し、同七月に三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)に入門。二代目市川春猿を名乗る。二〇〇七年松尾芸能賞新人賞受賞。二〇一七年一月劇団新派へ移籍し、「河合雪之丞」に改名(屋号は白兎屋)。一九七〇年生。
書籍
| 書籍名 | 血と芸 |
| ISBN13 | 9784867232064 |
| ISBN10 | 4867232068 |
