2025/10/31号 7面

鈴木忠志が語る/鈴木忠志を語る

鈴木忠志が語る/鈴木忠志を語る 成田 龍一・本橋 哲也編 吉見 俊哉  昔に比べればはるかに楽になったが、今日でも鈴木忠志の劇団SCOTが本拠を置く南砺市利賀を訪れるのは簡単ではない。富山駅からのバスが山間部に入っていくと、急カーブが続いて片側は絶壁となり、はるか下方に庄川支流の利賀川の流れが見える。私は一九八〇年代初頭、まだ学生時代に世界演劇祭を観るために真夜中の利賀への道をレンタカーで来たことがあるが、よくこんな危ない道を不慣れな運転で来たものだと思う。しかし、この山間部を奥へとバスに揺られる経験が、今日、SCOTの演劇を堪能する上で決定的な導入であることは、一度でも利賀に来たことがある者なら誰しもが理解しているところである。  一九七六年、今からちょうど半世紀前、鈴木忠志とその劇団は東京を捨てて本拠を利賀に移した。この決断の意味を、当時、理解できた者は多くはなかったように思う。なぜ、唐十郎や寺山修司、佐藤信らと共に「小劇場運動」を先導し、最先端を走ってきたこの演劇人は、まだ東京が十分に面白いと多くの文化人が思っていた七〇年代に、東京ではなく利賀という選択をしたのか。それは、とりわけ「劇的なるものをめぐってⅡ――白石加代子ショウ」において演劇表現に革命的な変化をもたらした彼の作劇とどう関係しているのか。  本書には、「ある本に、『演劇を過疎対策に使った第一人者』と書かれていますが、違います。私は『過疎対策を演劇に使った』んです(笑)」と鈴木が語る一節があるが、笑い事ではなくまったくその通りである。僻地であること、過疎であること、不便なことが、演劇や芸術、文化を創造するための特権的に重要な空間的基盤になる。そのことに、東京も日本も瀕死状態(鈴木は、「日本がお亡くなりになりました」と言う)となり、こんな集中ばかりの場所から本当に創造的なものはもう生まれてはこないことがはっきりしてきた二一世紀には、多くの人が気づき始めている。だが、鈴木の一九七六年は、とてつもなく早い。  なぜ、日本の大いなる僻地である利賀は、東京よりもはるかに「劇的なるもの」の創造拠点となり得るのか? その問いへの答えを求め、鈴木忠志への深みのあるロングインタビューと大江健三郎や磯崎新との対談、単行本未収録のエッセイ、それに近年、鈴木忠志論を異なる視座から展開してきた渡辺保、菅孝行、本橋哲也の鼎談等々が縦横に収められた贅沢な本書を手に取った。なかでも冒頭のロングインタビューは読み応えがあり、鈴木演劇の数々の舞台を歴史の語りと重ねて解釈していく成田龍一の問いかけが冴えている。  成田は、「劇的なるものをめぐってⅡ」が、「個々の『物語』を解体し、その上で舞台として『物語』を提示する営みであった」一方、「世界の果てからこんにちは」では、「『過去』はいかに語られるのか、そのとき叙述としての物語ははたして機能するか」という論点が提起されていると言う。やや乱暴に結びつければ、かつて「劇的なるもの」が生じたのは白石加代子の身体であったが、今日「世界の果て」という想像上の地理学を可能にしているのは利賀という場所である。私たちの多くは、女優白石加代子の身体が、近代的な新劇の文法を解体する見事な現場となったのを知っているが、利賀、あるいは日本の僻地は、この国の過去を語り直すいかなるトポスとなり得るのか。もちろんこれはポストコロニアル的な問いで、成田と共に聞き手となった本橋哲也のこだわりでもあろう。  演劇において、身体は空間に住まうが、この〈住まう〉ことを可能にするのは言葉である。だから、あらゆる演劇人は、この〈身体〉と〈言葉〉と〈空間〉の三者の関係を考えることを運命づけられてきたのであり、劇作家や演出家からすれば、ドラマトゥルギーとして三者をつないできたのは〈時間〉である。もちろん、この時間はある程度は戯曲の中に書き込まれてもいたりもするが、実際には複数の俳優の身体的相互作用や演出家のしたたかな策略、そして何よりも時々の観客の反応のなかで組み立てられていくものである。  渡辺保、菅孝行、本橋哲也によって書かれた鈴木忠志論を通読すれば、過去半世紀以上にわたり、鈴木の天才がこのすべての面で複合的に発揮されてきたのをよく理解できるが、それが利賀という場所だからこそ可能であった理由も、私はまたある気がしている。  一九六〇年代から七〇年代にかけて、反近代劇の流れを作った鈴木や唐、寺山、佐藤には、それぞれの空間戦略があったと思う。しかし、本書で菅孝行が実体験を踏まえて語っているように、東京を限りなく巨大化させる資本主義は、そうした戦略が目論む幻視の地平を超えて暴力的だった。都心の神社境内や公園に孔を開けて風通しをよくしようとしても、やがてその周囲はくまなく超高層に埋め尽くされていった。公共空間を獲得していく戦略も、路上を劇的なるものの舞台とする戦略も、首都東京では行政や警察による真綿で首を絞め続けるような管理の仕組みを突破しきれない。そうこうしている間に、それぞれの劇団の創立メンバーは老いていき、このビヒモスのような相手に抗することはできなくなる。  こうしたなかで、鈴木は利賀を選んだ。最初から目算があったのではないと思う。しかし本書を読んでいくと、彼らの移住が不可逆的なものとなる瞬間がいつであったかがよくわかる。鈴木は、移住のために利賀村の合掌造りの家を貸してくれるように一六回頼みに行ったという。それから五年後、彼らが村を去ろうとしたら、村のほうから資金を出すから留まるように説得された。決め手は村長との信頼関係だったらしい。彼は、「利賀は過疎地なので、自分たちがこの土地で何をしているかが、身にしみるほどわかります。そのなかで、信頼されたなら、応えたい」と続ける。この信頼関係は、利賀だからこそ育まれた。  私は最近、これとよく似た発言を、大学生になったばかりの若者から聞いた。高校三年間を離島留学で僻地の島で過ごした若者だった。彼女は、何が東京と一番違うのかという私の問いに、即座に「時間です」と答えた。――そう、東京にはなくて、利賀にはある決定的なものは、おそらく〈時間〉なのだ。この僻地の時間こそが、劇団員と地域の人々との信頼関係が形成されることや、ここに世界の人々を集める劇的なる時間を出現させていくこと、さらには近代日本の歴史を「世界の果て」から語り直すことを可能にするのである。  以上、私はあまりに本書を空間論に引き寄せて解釈し過ぎたかもしれない。「鈴木忠志が語る/鈴木忠志を語る」というタイトルが示すように、本書は近年、「鈴木ブーム」と言っていいほど次々に出されてきた著作を総覧し、議論を相互に位置づける役割を果たしており、様々な鈴木論への導入として大いに役に立つことも最後に書き添えておきたい。(よしみ・しゅんや=社会学)  ★なりた・りゅういち=日本女子大学名誉教授・近現代日本史。著書に『歴史像を伝える』『増補「戦争経験」の戦後史』『近現代日本史と歴史学』など。一九五一年生。  ★もとはし・てつや=東京経済大学教授・カルチュラル・スタディーズ。著書に『ポストコロニアリズム』『本当はこわいシェイクスピア』『鈴木忠志の演劇 騙る身体と利賀の思想』など。一九五五年生。

書籍

書籍名 鈴木忠志が語る/鈴木忠志を語る
ISBN13 9784924671966
ISBN10 4924671967