2026/02/27号 6面

ベンヤミン読解

ベンヤミン読解 ヴェルナー・ハーマッハー著 小林 哲也  本書はドイツの比較文学研究者ヴェルナー・ハーマッハー(1948-2017)による、ヴァルター・ベンヤミンについての日本版独自の論文集である。ベルリン自由大学で学び、アメリカのニュークリティシズムを牽引したポール・ド・マンの評価も受けたハーマッハーは、ジャック・ラカンの翻訳の経歴からも窺えるように、「ポスト構造主義」の思想に通暁し、ジャック・デリダやジャン=リュック・ナンシーとも交流を結んだ。1984年から1998年まではジョン・ホプキンズ大学で、1998年から2013年までフランクフルト大学で教鞭をとっている。  本書収録のベンヤミン論6編のうち、最も知られた論考は1991年に英文で発表された「アフォーマティヴ、ストライキ」だろう。デリダが『法の力』の中で綿密に読解したベンヤミンの「暴力批判論」について、デリダ以上にベンヤミンの思考により添った考察が展開されている。タイトルにみられる「アフォーマティヴ」は、「パフォーマティヴ=行為遂行的」という言葉と対比的に用いられるハーマッハーの造語である。これによってベンヤミンにおける「脱措定entsetzen」のモティーフ――諸権力による境界「措定」行為の廃絶を方向づける――の意義を明確にしている。「アフォーマティヴ」的な視点は本書全体を通じてみられるものであり、例えばベンヤミンの言語思想を論じる論考(「雲という言葉」「内包的な諸言語」)でも、記述的/行為遂行的という言語行為論の地平では捉えられないアレゴリー的な言葉の変化や、翻訳の中で浮かび上がる「純粋言語」の理念の読解においても、活かされている。  ベンヤミンの思考を読み解くハーマッハーの筆致は、レトリカルな仕方で読者を刺激する部分もあるとはいえ、基本的には難解で逆説的なベンヤミンの思考を明晰に理解することを目指し、これを伝えようとするものである。その際、彼のベンヤミン読解を支えるのは思想史的・哲学史的な知見、とりわけカント哲学、そしてベンヤミンが批判的に受容した新カント派のヘルマン・コーヘンの理論への深い理解であり、これがベンヤミンの思考構造の分析に寄与している。  オブスキュランティズムとは無縁だとはいえ、ベンヤミンのテクストへの知悉、先行する議論の文脈把握、そして哲学的教養が要求される本書はとっつきやすいものではない。比較的着手しやすい論考としては、「歴史の概念について」を読み解く「『今』――歴史的時間についてのベンヤミン」が挙げられる。ベンヤミンの歴史哲学テーゼが、「政治的情動の時間構造」を発見するものであるというテーゼから始まり、メシア的なものにまつわる情動的要求と「想起」について論じていくこの論考は、ベンヤミンの思考のエッセンスを簡潔に示すものであり、模範的なベンヤミン読解と言える。同時に、進歩主義への批判を「超越論的コンフォーミズム」への批判として把握することなど、これまで幾度もベンヤミンを読んできた読者をも唸らせる視点も示している。  ベンヤミンの歴史哲学に関しては、他に二篇が収録されている。ベンヤミンの難解な小テクスト「神学的―政治的断章」を綿密に読解する「メシア的なものの空所」は、『ベンヤミン・ハントブーフ』にも収録された読み応え十分の論考である。刮目すべきは、「宗教としての資本主義」を主題として論じた「罪の歴史」である。「罪責/負債Schuld」が織りなす「運命」の「空間」に、「猶予」と「赦し」の「時間」を対置するベンヤミンの正義論に着目したハーマッハーの議論は極めてユニークで、ベンヤミンの歴史哲学の多層性を明らかにするとともにベンヤミンの資本主義論読解としても注目に値する。  「読む」という行為が、出来合いの情報をインプットすることではなく、「理解しようとする」ために繰り返し立ち止まりながら反芻する行為であることを、ハーマッハーは思い出させてくれる。その思考の道筋は、必ずしも辿りやすいものではないが、読者は本書を読みながら、自らの思考が新たに立ち上がってくることに喜びを覚えるだろう。丁寧な訳業と解説も有難い貴重な一冊である。(清水一浩編訳)(こばやし・てつや=京都大学准教授・ドイツ文学・思想史)  ★ヴェルナー・ハーマッハー(一九四八-二〇一七)=ドイツの比較文学研究者・哲学者。ポール・ド・マンとジャック・ラカンのドイツ語翻訳者の一人。邦訳書に『他自律 多文化主義批判のために』など。

書籍

書籍名 ベンヤミン読解
ISBN13 9784865032123
ISBN10 4865032126