筒井康隆自伝
筒井 康隆著
西貝 怜
筒井康隆はこれまでもたびたび、回顧録をさまざまな表現で書いてきた。たとえば「筒井康隆のつくり方」では、フィクションとして学者らが理想の小説家のあり方について議論していたり、筒井のお見合いについて書いたり、『東海道戦争』の書評を引用したりなどしている。また、『偽文士日碌』は2008年から2013年に書かれた日記をまとめたものである。このように筒井は、時に虚実ないまぜに自身の半生を用いて読者を楽しませようとしてきたが、それは基本的に部分的な回顧であった。このたび筒井は91歳にして、最初の記憶から直近の出来事までを含めた半生を、文学的な自伝として『筒井康隆自伝』にまとめた。
章立ては「芽吹いて蕾――幼少年期」「ヰタ・セクスアリス――少年期」「喜劇への道――青年前期」「笑いと超現実――青年中期」「波涛に乗って――青年後期」「さらば中間小説――中年期」「老体化? 老大家?」と、人の成長段階ごとに区切られた全6章からなる。「笑いと超現実――青年中期」の中ほどで同人誌「NULL」の刊行が語られる。ここが文量として中間地点である。すなわち本書において、小説を執筆するより前についての記述が半分を占める。そこで語られるのは、たとえば「ウェルズの「宇宙戦争」がおれのはじめてのSF体験」であるがそれを思い出せないくらい、大学時代に読んだ「ジャック・フィニィの「盗まれた街」という長編SFの面白さに仰天」したということ。ほかにも小学生の同級生の名前がフルネームで登場するように、初等教育、中等教育、高等教育とその時々で熱中した作品、演劇活動、初恋や人間関係などが、極めて詳細に語られる。
「笑いと超現実――青年中期」の中盤以降は、どのように作家活動を戦略的に行っていったかが語られた後、自身の作品群、そのメディアミックス、自身の俳優活動などへの幅広い評価が述べられる。そして最後の3頁で「ぶっ倒れ」た後の一人での入院生活と、「やはり愛しているんだろうなあ」と述べて夫婦のあり方について語り、本書は閉じられる。
筒井はたびたび自身の作品に絵を寄せているし、特に未成年時代にマンガも描いている。高校の演劇部での活動以降、演劇に明け暮れ、自身でも劇団を率い、自身の作品が映像化される際には俳優としても出演している。小説も様々なジャンルのものを書いた。特に作品数の多いSFと言っても、ショートショートから『時をかける少女』のようなジュブナイル小説、直木賞候補作の『家族八景』や実験的な『残像に口紅を』など、創作の技法や理論を駆使して幅広い作品を描いてきた。あまりに多才な筒井はどのように形成されていったのか。本書で詳述されている筒井が作家になる以前の原体験を読むことにより、読者は様々に考えることが出来るだろう。
本書は筒井のあり方を探る資料になりうるだけでなく、日記文学としても魅力的である。高校時代に映画館で自慰をしていて「一度など二階席から精液をぴゅっと飛ばしてしまったこともある。もし誰かにかかっていたら申し訳ない」と書かれており、筒井らしいブラックユーモアがそこかしこに認められる。大学入試について「早稲田」「とても受からない」「行けるわけない」、同志社大学の入試で「英語」「まったくわからない」「二百点満点」で「二十点くらいだったのではないか」と書くように、相変わらず物事をあけすけに述べる。また、「そうそう」や「前章で書き忘れてしまったのだが」などのような、書き手が思い出しているということを読者に意識させる言葉がたびたび見られる。これにより、筒井が今まさに目の前で過去を語っているような臨場感も感じられる。
筒井はいまだ健在である。91歳にして小学生の頃の話さえ詳述できるように頭は冴え、筒井節で自身の人生を楽しく読ませようとする工夫が本書のあちこちに見られる。よって「書き忘れ」もミスでなく、自身の語りを臨場感のあるものにする筒井の計算に私は思えてならない。とまれ、筒井節が炸裂する日記文学としての自伝である本書を、私は全ツツイストに薦めたい。(にしがい・さとし=東京理科大学非常勤講師・科学文化論)
★つつい・やすたか=作家。一九六五年『東海道戦争』で本格的に作家活動を開始。著書に『時をかける少女』『虚人たち』『夢の木坂分岐点』『残像に口紅を』『文学部唯野教授』『朝のガスパール』『わたしのグランパ』など。一九三四年生。
書籍
| 書籍名 | 筒井康隆自伝 |
| ISBN13 | 9784163920320 |
| ISBN10 | 4163920323 |
