映画時評 1月
伊藤洋司
画家のモネは理論的探求を通じて、印象派の代表とされる独自の画風に辿り着いたのではない。モネは反対に理論を嫌悪し、自分の感覚を信じて自分の眼が捉えるものをひたすら描き続けた。豊かな光の表情の再現において、対象の輪郭がぼやけ形態が溶解していくモネ独自の筆致は、そうした絵画の実践のなかで確立されたものである。
ホン・サンスの『水の中で』は、わざと焦点を外して画面全体をぼかすという特異な技法によって、モネの絵画のような視覚的効果を上げている。これまで被写体深度の深さを重視する映画美学がしばしば称揚されたが、その対極に位置するこの作品は、映画の基盤となる光の魅力をとても豊かに捉えている。これは真剣に受け止めるべきことだ。もっとも、この映画をモネの絵画と同列に扱うべきではないという意見もよく分かる。そもそも、ホン・サンスは理知的な計算が目立つ作風で知られるからだ。ただし、近年では感性的なものへの信頼を取り戻そうとする傾向もあり、実はその最も顕著な作品がこの『水の中で』なのだ。映画を最後まで観れば、異論は出ないだろう。一方、モネは自身の筆致の変化とともに、次第に人間を描かなくなったが、『水の中で』はあくまで人間の物語を語っている。これはかなり本質的な違いだ。とはいえ、『水の中で』の人間の物語も済州島の豊かな自然のなかで展開する。菜の花が咲き、小鳥が囀るその自然の表現を見ていると、人間たちの人工的な社会さえも自然界に飲み込まれ、その一部にすぎないように感じられる。海辺でごみ拾いをする女性が果たす重要な役割に注目せずとも、この映画が人間を豊かな自然と結びつけて描いていることは明らかだ。
事実、これは人間の物語であり、そうである以上、人間のどういう行動が描かれているかを考えねばならない。そしてこの点でも、この映画の特異性は明らかだ。男性の主人公が旅をするのも、旅先で酒を飲むのも、旅先で女性に出会うのも、その主人公が映画監督であるのも、ホン・サンスの映画ではお馴染みの光景だ。監督が脚本に行き詰って浜辺に行く様子さえ、『浜辺の女』ですでに描かれている。しかし、今回は決定的に違う点がある。男性が旅先で女性に出会っても恋愛沙汰には決してならないし、酒に酔って羽目を外すこともないのだ。それどころか、脚本がなかなかできないながらも、主人公とその仲間たちは映画撮影に対してとても真剣で、余計なことをして時間をつぶすこともない。主人公のソンモは大学時代に俳優をしていた。今は、働いて貯めたお金で自主映画の短篇を撮ろうとしている。大学時代の友人のサングクは映画製作会社で働き、ソンモの映画の撮影を担当する。大学の後輩のナミは女優として参加する。サングクもナミもソンモの才能を信じて協力し、三人の間に恋愛や嫉妬が生じる余地は全くない。ひとつの目的に向かって協力し合う三人組なのだ。ミニマルな撮影隊による自主製作でありながら、映画を撮ることが本来どのような行為であるのかを、改めて考えさせるような製作風景が描かれている。
そしてラストのロングショットが素晴らしい。海と男。そして女の歌声。自然の主題と創作行為の主題が見事に溶け合うこの感動的なショットに、人は語るべき言葉を失う。
今月は、同じホン・サンスの『小川のほとりで』と『旅人の必需品』も面白かった。また未公開だが、ヴァレリー・マサディアンの『ナナ』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)
