2025/10/24号 3面

「進歩」を疑う

「進歩」を疑う スラヴォイ・ジジェク著 高橋 若木  意外な印象を与えるジジェクの最新エッセイである。かつて現代思想は、進歩の理念を含む「西欧近代」を批判し、多様性や相対性を強調していた。ジジェクはその傾向を一九八〇年代末に批判し、別の近代としてのデカルト的「主体」や「社会主義体制」の意味を擁護した思想家である。もとより単純な進歩主義者であったことはない。だが、「西欧近代」を批判するのが思想家の役割というイメージを覆してきたジジェクが、なぜいまさら『「進歩」を疑う』のか。  滑らかな訳文を読み進めると、本書の目当てが浮かび上がってくる。第一に、ジジェクは「進歩」に抗する最近の理論と自らの立場を区別したいらしい。たとえば第二章では、斎藤幸平の「脱成長コミュニズム」が、その欲望抑制的な傾向について批判される。ジジェクによれば、気候危機や環境破壊を止めるためにも、欲望の無限性を資本主義とは別の仕方で肯定しなければならない。だが欲望の無限性とは、資本主義によって増幅した欲望をさらに加速させることではない。第三章で批判されるニック・ランドは、資本主義の破壊的プロセスの先に、民主主義や意識的個人にもとづく「進歩」の限界を超える境地を展望し、そこに殺到しようとする。この意味での「加速主義」に対してジジェクは、一見それに似た「死の欲動」を対置する。終着点や外部に辿り着こうとするのが「加速主義」なら、終わりつつある時間のなかで繰り返し失敗しながら始め直すのが「死の欲動」であるという。  さらに読み進めると、本書の第二の目当てが見えてくる。それは、いまの政治経済システムの延長線上で努力し続ければ気候惨事が回避できると考える「進歩」信仰を断ち切ることである。惨事が起きることはわかっているのに、あたかも起きないかのように過ごしてしまう「否認」の姿勢をいかに克服するか。ジジェクによれば、気候惨事に対する戦いで、人類はすでに負けた。だがこの非希望的な認識は、行動の放棄ではない。むしろ逆である。ジジェクは本書の最後のエッセイを「破局は免れない、だから行動せよ」と題している。  では、どう行動するのか? 市場原理に反してでも実行される世界的な政治経済的スキームが必要だ。第九章では、たとえばコロナ禍への世界的な対応がそのモデルのひとつとされる。しかし、ただ世界的であればよいのではない。反植民地主義が必要である。アフリカ大陸では、独立後も続くヨーロッパの新植民地主義とアフリカ諸国内の権威的なナショナリズムの共鳴を断ち切る必要がある。これに加えて、ジジェク年来の主張である、構造的に排除された集団の立場からこそ普遍性が拓かれるという論点も登場する。「我々はバイオマスだ」と題された第十章では、世界資本主義によって廃棄・破壊されたプラスティックと生体の集積としてのバイオマス的連帯が語られる。その鍵として言及されるのは、ガザのがれきのなかで生きる人々であり、彼・彼女たちとの連帯である。  二〇二三年一〇月以降のガザ虐殺に関するジジェクの論考は、本書に続いて出版されたもう一冊のエッセイ集(未訳)に収められた。そのタイトル『ゼロ・ポイント』の発想が、本書の第七章であらかじめ述べられている。コミュニストであるジジェクは、破局を受け入れつつ「ゼロ」から始め直そうと呼びかける。評者はそれを、二〇世紀の社会主義的な左翼へのノスタルジーも「ゼロ」にしなければならないが、左翼の失効を語るさまざまな決まり文句も「ゼロ」にしなければならないと読んだ。本書は、進歩なき破局のなかで「ゼロ」からの反復を探る、ジジェクの最新の試みである。(早川健治訳)(たかはし・わかぎ=大正大学准教授・哲学)  ★スラヴォイ・ジジェク=スロベニアの哲学者。リュブリャナ大学社会学研究所教授。著書に『戦時から目覚めよ』『イデオロギーの崇高な対象』『斜めから見る』『為すところを知らざればなり』『性と頓挫する絶対』『パンデミック』『パンデミック2』『ラカンはこう読め!』など。一九四九年生。

書籍

書籍名 「進歩」を疑う
ISBN13 9784140887479
ISBN10 4140887478