近現代アイヌ文学史論〈現代編〉
須田 茂著
阪本 博志
「アイヌ文学と言えばユカラなどの口承文芸をまず思い浮かべるが、近代以降、同化政策によって強制された日本語によって書かれたアイヌ文学については、まとまった研究がほとんどない」。
同じ版元から二〇一八年に刊行された『近現代アイヌ文学史論 アイヌ民族による日本語文学の軌跡〈近代編〉』の「はじめに」において、著者はこう述べている。
同書における次の指摘も重要である。
「いわゆるアイヌ文化振興法は、その第二条の定義に定める通り、アイヌ文化を「音楽、舞踊、工芸その他の文化的所産及びこれらから発展した文化的所産」としているが、ここには「文学」についての明示がない。アイヌ文化のなかでもとくに近現代のアイヌ文学については、その役割の大きさにもかかわらず、いまだ位置づけが十分に定まった(あるいは評価された)とは言えない状況にある。それは近現代のアイヌ文学が、アイヌ語ではなく日本語で書かれたことにより、「日本語文学」として「日本文学」のなかに紛れ、埋もれてしまっているからである」。
そのうえで著者はいう。「文学の通説的な形式枠に捉われず、人間固有の感動をもたらす著述全般を「文学」と位置付けた上で、アイヌ民族に帰属意識を持つ人によって創造され、民族意識や文化の上で価値が認められ、とくにアイヌ民族にとって影響力があると思われる著述を中心にこの文学史を書いていきたい」。
同書に続く本書『〈現代編〉』では、「「現代」の時期区分を第二次世界大戦終結以後とし、二〇二五年の今日に至るまでに著された作品」とされている。
全十章からなる本書の第一章「戦後のアイヌ文学の幕開け――言論活動の復活」から第七章「萱野茂の仕事」においては、高橋真(一九二〇~一九七六)、知里真志保(一九〇九~一九六一)、鳩沢佐美夫(一九三五~一九七一)、上西晴治(一九二五~二〇〇九)、佐々木昌雄(一九四三~)、結城庄司(一九三八~一九八三)、荒井源次郎(一九〇〇~一九九一)、海馬沢博(一九一九~一九八七)、萱野茂(一九二六~二〇〇六)らの人びとのライフヒストリーとその活動が詳細に検討されている。その際に印象的なのは、ライフヒストリーの正確さを期す著者の姿勢と、脚注における補足説明のていねいさである。
第八章「アイヌ民族による現代詩歌」では現代詩・短歌・俳句に、第九章「多様化する現代アイヌ文学」では自伝文学・児童文学(絵本と童話)に、記述が及ぶ。
上述の過程では、高橋真の『アイヌ新聞』(一九四六~一九四七)、月刊紙『アヌタリアイヌ――われら人間』(一九七三~一九七六)、同人誌『北方群』(一九七〇~一九八二)といったアイヌの人びとによる刊行物をはじめ、新聞・雑誌・単行本が博捜されている。
本書の魅力は、こうしたディティールのみならず、世界の動きとアイヌ文学とをグローバルな視野から関係づけていく点にある。
たとえば著者は、第十章「現代アイヌ文学についての試論」第二節「現代アイヌ文学の潮流」で次のようにつづっている。
「戦後のアイヌ文学は、世界および日本国内の社会状況の変化を反映するものとなった。すなわち冷戦構造とベトナム反戦運動に代表される世界的な平和運動、脱植民地主義〔ポストコロニアリズム〕の意識の台頭、近年では国連を中心とした先住民族運動、多文化共生という考え方などの出現によって、現代のアイヌ文学の表現者たちは近代のそれとは質的にも量的にも大きく異なった新たな文学を生み出している。また、近年顕著となっている多様な価値観への志向、アイデンティティをめぐる意識の変化、それらを踏まえての普遍的な人間像を模索した表現は、現代のアイヌ文学のこれからの方向性を示唆している」。
つづく第三節「世界の先住民族文学との比較」においては、台湾原住民文学、中国少数民族文学、ネイティブ・アメリカン文学の概況が記される。そのうえで、「アイヌ文学を普遍的な文学のひとつとするならば、このような世界の先住民族文学との共通性や各々の差異を分析・検討する必要がある」という、「文学研究の今後の課題」が提起される。
そして第四節「アイヌ文学の展望」で著者は、AI時代という時代状況を反映した結論をみちびく。戦後のアイヌ文学史を踏まえたこの第三節から第四節にいたる記述は、圧巻である。
『〈近代編〉』と同じく五百頁を超える本書においては、こうした時間的・空間的な広い視野とともに、ディティールをたいせつにするまなざしが共存している。そのまなざしを行間にみるとき、研究者としての誠実さとともに、アイヌに対する著者の思いが伝わってこよう。(さかもと・ひろし=帝京大学教授・社会学・メディア史・出版文化論)
★すだ・しげる=明治以来の近現代のアイヌ文学を研究。著書に『近現代アイヌ文学史論 アイヌ民族による日本語文学の軌跡〈近代編〉』など。一九五八年生。
書籍
| 書籍名 | 近現代アイヌ文学史論〈現代編〉 |
| ISBN13 | 9784909281685 |
| ISBN10 | 4909281681 |
