<Y字路から輪廻まで>
横尾忠則さんに聞く
本紙で日記を連載いただいている横尾忠則さん。『僕とY字路Photograph』『僕のY字路Painting』(トゥーヴァージンズ)や『横尾忠則全集 復刻版』(国書刊行会)などの書籍、世田谷美術館『連画の河』展、グッチ銀座ギャラリー「未完の自画像 私への旅」展、南天子ギャラリー個展など、今年だけでも目白押し。アトリエに伺い、最近の活動についていろいろとお話を伺った。(編集部)
――日記を毎週いただいていますが、アトリエに伺うのは久しぶりです。いろいろ伺わせてください。
横尾 はい、どうぞ。
――最初に今年二十五周年のY字路について。横尾さんのY字路は、分岐点に死と生や、過去と未来、現実と非現実などが混ざり合って、そこで〝何か〟が起こっているように感じます。
横尾 そこまで考えてないんですけどね(笑)。そう言われたらそうかもしれないね。
――絵画集『僕のY字路』の中に、「写真という二次元から絵画の三次元を生み出した」と書かれていましたが、私は四次元あるいは五次元でもあると感じています。
横尾 街の中にある実際のY字路はちっとも面白くない。マルセル・デュシャンがレディメイドの便器で作品を作ったでしょう。公衆便所に並んでいる便器を見ても、誰も芸術だとは思わない。ところがデュシャンが便器を店で買ってきて、普通は壁に貼り付けるところを、床に置いた。途端に便器本来の機能が剝奪されてオブジェになり、アートになったわけです。それと同じようにY字路そのものはアートでもなんでもないけれど、ぼくの作品の中に取り込んで再構成することで、フィクションとしての「Y字路」が生まれてくるんです。
――『僕のY字路』には、現実の場所の中に横尾さんの選択したフィクションをもち込むことで、「Y字路が形而上化する」とも書かれていました。「Y字路」とは横尾さんの体を通して表れてくるものなのだと思います。郷里の閉店した模型店の跡地を写真に撮ったことが発端だったそうですが、模型店が存在していたら「Y字路」シリーズは生まれなかったのかもしれませんね。
横尾 二十五年前に郷里に帰ったときに、子どものころによく行った模型屋に行ってみたくなったんです。でも一年前に店はなくなっていたので、仕方なく跡地を「写ルンです」で撮影しました。翌朝、写真を見たら、夜中だったので、店がなくなった後の家の白壁にフラッシュが光って、建物をはさんで左右の二本の道の先には光が届かないために、闇に溶け込んで二本の消失点が強調されていました。
それを見て、ドキュメントをフィクションにできるかもしれないと閃きました。なぜあんなにつまらない便器が、デュシャンによって二〇世紀の芸術を転覆させる想像力をもったのか。Y字路もそういう要素があるかも知れないと思ったんです。
――絵画は観るものですが、横尾さんのY字路は二つの道が消失点のその先へ導くので、ジッと観続けていくと見ない(感じる)に辿り着くような気がします。
横尾 ルネサンス以降の西洋絵画は、画面の真ん中に消失点が一つあるのが普通です。でもぼくの「Y字路」には消失点が二つある。そのことを、夜に撮った写真を見て初めて認識しました。二つの消失点は西洋絵画にはない構図なんです。しかも夜景を描いた絵もほとんどありません。だからぼくにとって、夜のY字路でなければ出合う意味がなかった。
――横尾さんは一九八一年に「画家宣言」をして、デザイナーから画家に転向しますが、アートとデザインの違いについて「機能性をアートは嫌う」と書いておられました。デュシャンのトイレが機能性を失いアートになったのと同じように、Y字路も横尾さんが描くことによって、機能ではない別のものが生まれているわけですね。
横尾 デュシャンも、子どもの頃からいろいろなところで便器を見ていたと思うわけ。その間は彼も、便器が芸術になるなんて認識してなかった。それをある日床に転がしたことで、二〇世紀の現代美術を転換するようなアートになる。
同じように、模型屋のあった三叉路は、ぼくが小学校一年から高校まで毎日通った道ですが、数十年経って初めて「Y字路」に気づいたわけなんです。身体的な経験や時間を無視しては、気づけなかった。
先日朝日新聞の人と、美術関係の人がほとんど同時に、Y字路は「発見」ではなく横尾の「発明」だと言いました。身体体験もなく、ただ面白いだけでは、Y字路の発見も発明もありませんでした。
――グッチ銀座ギャラリーでの「未完の自画像 私への旅」展に出品されたY字路には、東京とローマが繫がる世界がありましたね。すべての道はローマに通じるんだ、と思ったのですが(笑)。
横尾 あの絵の中には、『フェリーニのアマルコルド』と『 』などの映画の主要な人物や風景を導入しています。アニタ・エクバーグが看板の中で横になっていたり、『アマルコルド』の登場人物のシルエットが地面に映っていたり。キリコの「赤い塔のあるイタリア広場」をポスターにして建物の壁に貼ったり、遠くにローマの街を描いて、二本の塔も描いたりしました。
――豊島横尾館にもキリコの絵に対応する塔があり、ほかにもピラミッドや川が配置され、赤を基調にしている点などは、GUCCI展に出品された鬼怒川温泉の絵とも重なると感じました。
横尾 豊島横尾館はベックリンの「死の島」の再現で、塔は元は赤いレンガだったのが、建築家が黒にしてしまったのでいま赤いレンガに取り換えています。鬼怒川温泉の絵は、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』に出てくる風景とぼくの経験の中の風景をごちゃまぜにしてフィクションの風景にしたんです。手前に立っているのはジュール・ヴェルヌ自身。川は鬼怒川ですが、ここも川のY字路です。
――川には、三途の川のイメージが重ねられていると同時に、赤は空襲の火の色――死の色であり、また宇宙の色――生命の色でもあるんですよね。ピサの斜塔やスフィンクスなど、各国の象徴的な建造物も描き込まれ、これも五次元的な風景だと思いました。
「Y字路」について、さらに新しい構想があるそうですね。
横尾 これまでは、実際に存在している風景を描いていたけれど、今度は現実にないY字路を創作しようと思っています。「成城ジャングル」と呼んでいますが、鬱蒼とした樹木や草が繁茂するジャングルの中にY字路があって、しかも創造的な建物がある。草が茂っているからどこが道なのかわからないけれど、現実の都市の中の電柱や交通標識もあります。ジャングルという原始的なものの中に都市の記号を加えて、ぼくが創りだした建物を置いて、さらに一歩進んだフィクションになる予定です。
――「せんい館」も建築のようで、最終的に建築ではないものになっていた気がします。
横尾 あれも一種の、造形で示した未完的建築論だと思います。Y字路も絵に描いた瞬間に建築論になります。ただ街中にあるY字路は建築論ではない、ただの建築物です。美術評論家たちの中にも、「Y字路」も「せんい館」も建築論だと言った人はいないけど、次の「Y字路」作品を描いたら、それを感じてもらえるんじゃないかな。
――横尾さんがデザインもレイアウトも構成も装幀も手掛けられた、『横尾忠則全集』が復刻版として刊行されました。その中には一九七一年刊行当時の作品が一挙掲載され、高橋睦郎さんによる横尾さんの年譜と、野坂昭如さんによる横尾論、万博の「せんい館」についても記されています。大阪万博は五十五年前のことですが、未完のまま時を永遠にするという構想は未だに斬新です。テクノロジーの最先端を追求しようとする万博は「人間喪失のデザイン」だと書かれていましたが、その中で「せんい館」は異彩を放つ衝撃的な作品だっただろうと思います。
横尾 当時、ぼくがグラフィックデザイナーだったので、建築は作品として見なされなかったんです。足場を組んだところで予算がなくなって作業が凍結したとか、横尾にイテコマサレタというゴシップ的な噂しかされなかった。でも磯崎新さんは、あの万博で残ったのは、結局岡本太郎の「太陽の塔」と、横尾の「せんい館」だけだと言っていました。太郎さんのほうは残ってシンボルになりましたが、ぼくのほうは解体されました。
ラマ教は砂絵という、地面に砂で何日も何日もかけてマンダラを描く修行があるんです。完璧なマンダラが仕上がった途端に、風を通したり、手で砂絵をサッと消してしまいます。ぼくの「せんい館」も万博が終わると同時に、ラマ教の砂絵みたいなものになったのではないかな。
――GUCCI展にも「せんい館」の真赤な足場が出現しましたが、当時とは違う反応でしたか。
横尾 GUCCI展の足場を見て、はじめて「せんい館」を認識した人が多かったですね。大阪万博の中にあっても見向きもされなかったものを、グッチ銀座ギャラリーに配置転換することで、違うかたちで新たな作品として生まれたんです。
「せんい館」は、プロセスです。建築物は本来、足場を取り外して初めて完成するのだけど、足場がついている以上未完です。ぼくの絵画も同じで、どこで完成だか自分でもわからないから、未完のまま引いてしまう。それが「せんい館」の足場と同じではないかなと思っています。
――GUCCI展では新作の「家族の肖像」も展示されました。
『時々、死んだふり』を読み返していたら、横尾さんが急性心筋梗塞になったときの話に目が止まりました。奥様が手術室に行く横尾さんに、笑顔で手を振っていたのを見て、心が落ち着き、それから「少し悲しくなって、涙が流れ」たと。手術室に向かう途中の奥様の笑顔、それがもしかしたら「家族の肖像」シリーズの、「謎を描く」というテーマに結びついているのかと想像したのですが。
横尾 全く心配などしないで本当になんで笑っていたのか、不思議なのね。ぼくは難聴だから倒れて救急車で連れて行かれても、周りで何が起こっているのかわからない。ただ病院の人たちがすごく緊迫している。発作が起った時はあまりの苦しさに、息が止まったほうが楽だと思いました。ストレッチャーに乗せられて手術室に入るときに、妻がぼくに笑顔を近づけて、口元が「バイバイ」と言ったのです。
これは、See you later(後でね)なのか、See you not for―ever(永遠にさようなら)なのか。わからないまま手術室に連れて行かれてあちこち注射を打たれて、物体化していきました。
無事に手術が終わってからも、なんだかざわざわしていてね。「安倍さんがどうのこうの」と言っているのが聞こえてくるんです。口がきけるようになって看護師さんに尋ねたら、「安倍元首相が狙撃されました」って。それが僕が手術を受けていた真最中だと。安倍晋三(心臓)さんとぼくの心臓が、同じ時間にやられちゃったんだと、ぼくはバカみたいなことを考えていましたね。
――「家族の肖像」は一番の謎は自分自身であり、また身近にいる家族だということに気づいて描かれたと。でも描けば描くほどますますわからなくなっていく。そのように会場に流れる映像で語られていました。謎が解けないことが「未完」に通じているのではないかと思ったのですが。
横尾 最初は「不思議なものをテーマにする」というインスピレーションを受けて、もっとも不思議なものは何か――一番の謎は、自分の存在だと思ったんです。だけど自画像はあらゆる画家が描いているから、つまらないと思ってね。自分も謎だけど、妻の存在も謎だと気づいたんです。
それで夫婦像を描くことにしたのですが、多くの画家は奥さんだけ描くとか、奥さんと子どもを描くことはあっても、本人と奥さんが一緒に並んだツーショットの絵は、ピカソからダリから誰も描いていないことに気づきました。
そしてGUCCI展がオープンしてみると、夫婦の肖像の前で泣く人がたくさんいるというんです。これまでぼくの作品を観て笑った人はいるけれど、泣いた人がいるのははじめてです。どうして他人の夫婦像を観て泣くのか、ますます謎が深まっていきました。
そして現在は「翁と媼」という作品を描いています。夫婦が年を取って老人になって、しかもミイラみたいに布にぐるぐる巻かれている絵です。
――横尾さんは『遺作集』や首吊のポスター、「死亡通知」などによって、「疑似死」を反復されています。夫婦のミイラ像も「疑似死」の一種なのでしょうか。
横尾 ハイ、死の先取りです。ぼくの絵では「翁と媼」は、生きながらミイラ化しています。「寒山拾得」を描いたときに、寒山は箒を、拾得は経典代わりにトイレットペーパーをもたせたんだけど、あのトイレットペーパーが「翁と媼」ではぐるぐる巻きついてミイラになっちゃったのかもしれないね。
日本の最初の夫婦である、イザナギとイザナミを絵にしようとしたけれど、神話をなぞっているみたいでつまらないと思って、夫婦の死のゴールのほうが現実的かなと思ったんです。
――『横尾忠則全集』には「母のこと」という文章も入っています。「母を語ることは自己を語ること」「母のことに触れなければならない時、何んともいえない重い疲労感に襲われる」と。結婚されて、「妻が母に代って女として私の中に存在しはじめたのだ」ともありました。
横尾 妻は見た目は普通だけど、ものすごい特殊なんです。結婚したときからずっと、自分の感情や考えはほとんど言葉にはしません。それはいまも変わらない。ぼくの展覧会を観ても何の感想もない。もしかしたら言葉にできないことを考えているのかな。
ぼくが神戸新聞社にいたころ、同じ建物の中に神戸新聞会館が入っていて、そこにいた女性が、ある日会社の先輩を通してぼくを紹介してほしい、と言ったのね。出会って一週間目に彼女がぼくの下宿にやってきて「荷物をまとめて一緒に来てください」って。タクシーで連れていかれたのはアパートで「今日からここで一緒です」ってプロポーズもないまま。
僕は養子で、年のいった両親に育てられたので、僕が何かしようとすると親が飛んできて危ないとか、それしちゃダメとか言ってね。ずっと言うことを聞いてきたから、自分の意思があまりない。女性に「今日から一緒に住みます」と言われても、へぇそうなの、という感じ。そういう他人まかせのぼくの生き方と、考えをひと言も言わない彼女の性格に、ぼくも追求しないまま八十九歳まで暮らして来てしまったんです。
――横尾さんは、謎だから反復して描いて、反復するから厭きる。それでも描き続ける。GUCCI展の映像では「厭きることは変化」だと言っていました。また本紙の日記で、「いやいや描く絵は時間を超える」「自分を超える」とも書かれていたのですが、時間を超え、自分を超えるのは「疑似死」なのではないでしょうか。「謎→反復→未完→時間を超え、自分を超える→疑似死」というのは、私は横尾さんならではの「終活」だと思うんです。
横尾 ぼくは四~五歳から絵を描いているでしょう。十代で飽きて、二十代でも三十代でも、ずーっと「飽き」の連続です。でも厭きながら描き続けている。つまり気が多いんです。だから同じことを続けるのが苦痛になるために、別のことがしたくなる。つまり飽きるのです。飽きることによって変化していくんです。それはアートの話というより、人間が生きるということかもしれないね。人は飽きることによって常に連続しながら変化していくもので、生きるとは飽きることではないかというのがぼくの考えです。また飽きるんだから野望や欲望などがもてない。だから気軽で自由なんです。
――一〇〇年程度の時間では完成などないから、人は死んで転生するという話も、なるほどと思ったのですが。
横尾 変化が目的ではなくて、結果として変化するわけね。目的をもった瞬間から、目的に縛られる生き方になってしまうから、大義名分はもたないほうがいい。怠け者の発想ですけれどね。努力すると野心が生まれるでしょう。自分に生まれつき与えられていないものを、取りにいこうとするからしんどくなるんです。努力を捨てて天命に任せれば、人は生きやすいんじゃないかな。今生で目的が達成されなきゃ、また転生すればいい。それを繰り返している内に飽きて、いつか不退転者になって輪廻しなくなります。
――「断捨離」について、『時々。死んだふり』の中に、一般的にいう物を捨てるというのではなく、執着を捨てて向こうへいく作業なのではないかとありました。
横尾 多くの人は、具体的な物に対して執着がありますよね。そして自分の生き方が息苦しくなってくると、その原因を物欲と考えて、物を捨てることで身軽になろうとするわけですよね。でも、ぼくは捨てるのも面倒くさい。物があっても、あるだけでそれに執着しなければいいのではないかと思うんです。
お釈迦さんが人里離れた洞窟の中で修業をするのではなく、煩悩が渦巻いている市井の見えるところで修業するほうが修行になるという考え方が好きです。
――Y字路の話から、輪廻の話まで、大切な話をたくさん聞かせてもらって、ありがとうございました。
横尾 はい、また遊びに来てください。(おわり)
