2025/09/12号 8面

東電刑事裁判最高裁決定、株主代表訴訟をめぐって 海渡雄一・武藤類子さんに聞く(聞き手=佐藤嘉幸)

「誰も責任を取らないのか、その言葉がいろんなところで聞かれました」―東電刑事裁判最高裁決定、株主代表訴訟をめぐって(海渡雄一・武藤類子さんに聞く、聞き手=佐藤嘉幸)  東京電力福島第一原発事故をめぐる裁判は、未だ全国で継続中である。今年三月五日には、「東電刑事裁判」の最高裁決定が、六月六日には、「東電株主代表訴訟」の高裁判決があった。訴訟の被害者代理人・弁護士である海渡雄一さんと、福島原発告訴団団長の武藤類子さんに、判決をめぐってお話を伺った。聞き手は筑波大学准教授の佐藤嘉幸氏にお願いした。(編集部)  佐藤 今日は海渡雄一弁護士と武藤類子さんに、三月五日の東電刑事裁判の最高裁決定、六月六日の東電株主代表訴訟の高裁判決についてお伺いしたいと思います。いずれの判決・決定も福島第一原発事故当時の東電経営陣を無罪とするもので、これで東電刑事裁判の判決は確定したことになります。武藤さんは福島で暮らす原発事故被害者として刑事訴訟を提起されたわけですが、誰の責任も問わないというこの決定について、まず率直な受け止めをいただければと思います。  武藤 地裁、高裁の法廷をすべて傍聴してきたのですが、その中で、本当にたくさんの証人の方の証言、メールとか会議の議事録といった重要な証拠が出てきて、私たちから見れば東電の旧経営陣の責任は明確だったと思っているのですが、どちらも無罪判決となってしまいました。  ただやはり、最高裁に対しては本当に一縷の望みをかけていたのです。この国の最高裁、最も公正で独立しているであろう最高裁で、何とか地裁、高裁の判決が覆されないだろうか、という願いをずっと持っていたわけです。しかしながら、最高裁では法廷は一度も開かれなかった。私たちはこの決定が出る二日前には、最高裁に行きまして、東電との深い関りが疑われる草野裁判官は審理を回避すべきだという署名を提出して、そして草野さんが退官するからといって拙速な判決を出さないでほしいとお願いしてきました。  三・一一を間近に控えた日にこのような決定を出したということに対して、やはり原発事故の被害者としては非常に踏み躙られたという思いがし、裁判所の冷酷さみたいなものを非常に感じました。とても辛かったです。  誰も責任を取らないのか、その言葉がいろんなところで聞かれました。憤りと落胆が入り混じったような、自分たちがこんな目にあっているのに誰も責任を取る人がいないのかという、そういう気持ちの言葉が本当にたくさんの方から聞かれました。  佐藤 経営陣の責任を一切問わないということはやはり不自然である、それによって新たな原発事故を準備することになりかねない、という声もあったと思います。  武藤 私たちが刑事告訴するときには、自分たちが受けたような被害を他の誰も今後受けることがないように、という思いがありました。二度と同じような事故を起こさないように、そういう思いで告訴して、この裁判を一三年間闘ってきたわけですので、やはり経営者の責任が問われないということにはとても危機感を感じます。また同じような事故が起きて、私たちと同じような悲劇を味わう人たちが出てくるのではないかという危機意識を持っています。  佐藤 海渡先生にも、裁判全体の受け止めについてお伺いしたいのですが、いかがでしょうか。  海渡 東京地裁、高裁で無罪判決が出て、最高裁に上訴された時点では、東京地裁で東京電力の厳しい責任を認める株主代表訴訟判決が出ていたわけです。最高裁判所の中には、我々の事件が係属していた第二小法廷には三浦守裁判官という、福島原発避難者訴訟の六・一七最高裁判決で国の責任を認めるという素晴らしい少数意見を書いてくれていた方もいたわけです。そして草野耕一裁判官――六・一七判決の多数意見を構成していたうちの一人ですが――この方は東京電力と非常に深い利害関係があるということが分かってきていました。彼の所属していた西村あさひ法律事務所が東京電力の事件をたくさん受けているというだけではなく、この事務所に所属していた元最高裁判事千葉勝美さんという方に東京電力が依頼して、東京電力には責任がないという意見書を出させて、それを受け取る側の裁判所に彼はいたわけです。そして、同じ法律事務所のもう一人の弁護士が東電の社外取締役である。そういう何重にも東京電力と深い人間関係があるということが分かり、草野裁判官の審理からの回避を求める署名を刑事訴訟支援団、告訴団で取り組んでいただいて、なんと一万五千人ぐらいの方が署名してくださって、毎月のようにそれを最高裁に持参して、様々な新しい専門家の発言、証拠も持参したわけです。その声はおそらく最高裁の裁判官室に届いていたと思うのです。  我々が草野裁判官は審理を回避すべきだとスピーカーで宣伝行動をやったのは、最高裁の表門の前だったので、その先には裁判官室の窓が見えるし、そこで電灯をつけたり消したりするのも見えていました。そういう状況でしたので、よもや草野さんが関わる形で判決が言い渡されることはないだろうと我々は考えていたのです。三月三日の日に最高裁に行ったときは、あと二週間で草野さんは退任だというタイミングで、ある意味「やった」というか、「ついに草野さんの退任を勝ち取ったぞ」と勝利宣言的な意見書を書き、そして今までの刑事裁判を振り返るような意見書、言ってみると、更新意見のようなものを作って、これを新しく第二小法廷に来る新たな裁判官、高須準一裁判官向けに、まずこの書面をお読みくださいという形で結構力を入れて作ったのです。高須さんは本当に弁護士会が万を持して推薦した、弁護士会出身の弁護士らしい活動をしてきた方です。四大事務所出身とかではなくて、いわゆる町弁と呼ばれているような小さな事務所で仕事をし、弁護士会の活動を重ねてきた方でしたから。  第二小法廷には裁判官は五人いるけれども、一人は今崎さんという最高裁長官ですから、裁判の評決には加わらないのです。三浦さんと高須さんが組めば、二対二になるわけです。草野さんはいなくなっているわけだし、もう一人尾島さんという調査官出身の割と穏健と見受けられていた新しい裁判官もいるから、うまくすれば三対一になるし、そうならなくても二対二になる。そうすると上告を認めるか認めないかが同数になって、そうなると大法廷に事件が回付される。そういう展開の一歩手前まで来ているという認識だったわけです。そういう意味で、希望が見えてきたようなところでした。それをなきものにするような最高裁決定が、ぎりぎりの時点で書かれたのです。  最高裁決定は三月五日に出されている。そしてそれが六日に指定弁護士のところに送られてきた。そして、六日に指定弁護士と告訴団、支援団とで、前後する形で記者会見をやれたわけですが、我々のところに公式の上告棄却の決定が来たのは七日です。指定弁護士の方には特別送達で翌日に着く。我々被害者代理人のところには普通郵便で、それも上告を棄却しましたというペラ一枚の中身も何も書いてないものが送られてきました。こういう差別扱いがされたのです。我々が指定弁護士と緊密に連絡を取り合っていなければ、三月六日に指定弁護士に最高裁決定を見せていただいて、告訴団、支援団、弁護団として声明を作ったり、会見をしたりする、ということはできなかったわけです。そういう意味で、最高裁のやり方は、ものすごく意地汚いというか、我々の発言権自体を奪おうとしたのです。これは昔からそうなのですが、これだけ長い年月かけてやってきた裁判の最後に当たって、武藤さんたちのような告訴人に発言の機会を与えないようなやり方で幕を引かせようとした。私は本当に強い怒りを覚えています。  それは我々の努力で未遂に終わったわけですが、それは我々が指定弁護士と緊密に連絡を取り合っていたからできたことであって、そうでなければ、決定内容だけが報じられるという、大変なことになっていたところです。  佐藤 判決・決定を読むと、絶対に東電経営陣を有罪にはさせないという強い意志のようなものを感じました。つまり、裁判で強固に積み上げてられてきた有罪の証拠を、屁理屈のようなもので捻じ曲げていっているという感覚です。海渡先生はこの点についてどうお考えでしょうか。  海渡 ここで、六・一七最高裁判決(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=91243)、今回の三・五刑事裁判最高裁決定(https://shien-dan.org/wp-content/uploads/20250306-doc.pdf)、六・六株主代表訴訟控訴審判決(http://tepcodaihyososho.blog.fc2.com/blog-entry-450.html)、この三つを比較して話してみたいと思います。どれもひどい判決だから、同じような判決だったのだろうと一般の方は思われるかもしれないですが、三者はまったく違うことを言っているのですね。これはすごく重要なことだと思うので、分かりやすく説明してみたいと思います。  まず、六・一七判決はどういう判決だったか。東京電力が行った推本[地震調査研究推進本部]の長期評価に基づく津波の高さの計算、一五・七メートルという計算は合理的なものだったと言っている。これはすごく大事な点で、それに対する津波対策を講じる必要はあったけれども、津波対策を講じていたとしてもその完成には数年かかっただろうし、防潮壁を作るとしたらそれは南側にしか作らなかったはずで、原発事故は結局防ぐことはできなかったというのです。専門用語で言うと、結果回避ができなかったというところで原告側を負かしている判決なのです。ところが、今回の三・五刑事裁判の上告審決定というのは、推本の長期評価の信頼性そのものを否定してしまっている。これに対する対策はしなくてよいとはっきり言ってしまっている。ですから、その後の対策についてはまったく議論していない。最悪ですね。  六・一七最高裁判決の少数意見である三浦意見と、株主代表訴訟の一審判決はほぼ似通っているのですが、株主代表訴訟の一審判決は、長期評価に基づく津波対策は必要だった、長期評価には十分信頼性があると言っていて、そして水密化等の対策を講じれば、議論が本格的に始まった二〇〇八年から、三・一一までに十分時間があり、対策は間に合った、だから津波による原発事故は避けることができた、という判断をしている。  ところが今回の株主代表訴訟の高裁判決は、非常に奇妙な理屈で、推本の長期評価は合理的であり、電力事業者としては十分尊重しなければならなかったと言っています。ところが、津波対策としては原子炉を止めて工事を行うしかなくて、そしてなぜだか分かりませんが、水密化等の対策は意味がなかったと言っています。そして、津波対策として防潮壁を建てるために何年にもわたって原子炉を止めなければいけない、そうした対策を基礎づけるほどの信頼性が長期評価にあったかという形で問題を立てて、電力供給義務を負う電力会社が長期に原子炉の運転を止めるまでの信頼性はなかったと結論している。  このように、これらの判決・決定は三者三様で各自が勝手なことを言っている、というのが実情で、一番ひどいのが刑事裁判の決定かもしれません。推本の長期評価自身の信頼性そのものを否定しているのはこのケ鄭ぐらいなのです。論理的には非常に顕著な違いがあって、分かりやすい言い方をすると、六・一七判決は、長期評価に基づく津波の高さの合理性を肯定していますから、株主代表訴訟の控訴審判決に基づくと、長期間原子炉を止めて防潮壁を作るしかなかったとすれば、原発事故は原子炉を止めているときに起こったということになる。すると、原発事故は防ぐことができたということになる。  私は、これらの判決・決定がかなり決定的な部分で相反しているという点はとても重要な点だと思います。  佐藤 この判決は、長期評価に福島第一原発の停止を命じるほどの「現実的可能性」がなかった、だから予見可能性がなかったと言っている。しかし「現実的可能性」という概念はとても奇妙な概念で、「現実的(real)」なのか「可能的(possible)」なのかよくわからない。これは、九〇%とか八〇%程度の可能性がないといけないという意味なのでしょうか。そんな確度を持った地震予知は存在しないと思うのですが。  海渡 「現実的可能性」とか、今回の株主代表訴訟高裁判決では「切迫性」という言い方もしていますが、これはある意味で気分的な言葉にすぎなくて、何%といったこととは関係がないと思うのです。そもそも元をたどると、二〇一一年当時の原発の安全規制では、「稀にしか起こらないかもしれないけれども見過ごすことのできないような津波に対しては津波対策をしなさい」と国が命じていた。これは、二〇〇六年に制定された新しい耐震設計審査指針で、石橋克彦先生らも加わって作ったものなので、その文言は割にきちんとしている。「稀に」となっていますから、通常で考えると、一万年に一度程度の地震を指している。しかし、当時の推本の長期評価は、東北の日本海溝沿いで四〇〇年間に三回非常に重要な津波地震が起きているので、三〇年間で計算すると各地域ごとに六%の確率で津波地震が起きる、としていたのです。  原発が一万年に一度の地震に備えなければいけないとすれば、三〇年間で六%というのは相当高い確率です。これを考慮しなくていいということは、どこからも出てこない結論なのです。  お笑いなのは、今回我々が負けてしまった株主代表訴訟の控訴審判決では、「三〇年で六%というのは低い確率ではない」とも認定している点です。けれども「切迫性がなかった」と言っているのです。刑事事件の最高裁決定では「現実的可能性がなかった」と言っていますが、これらは同じことです。なぜ三〇年間で六%の確率があると国が言っているのに対策をしなくていいのか、論理的な考察は何もない。指定弁護士の先生方も、決定後の記者会見でこの部分を一番強く批判されていました。六・一七判決ともその部分では矛盾している、と強く言われていました。最も正しい判断は、六・一七判決の三浦意見と、ほとんど相似形のような判断構造になっている株主代表訴訟の一審判決(朝倉判決)だと思います。  武藤 六・一七判決で最も正しい判断をした三浦さんが、刑事事件の最高裁決定では審理を回避されていました。この謎については何かわかりましたか。  海渡 新聞などでは、三浦さんが刑事事件の捜査に何らかの形で関わったのではないかと思われる、と書かれていたのですが、「何か根拠はあるのか」と新聞記者に問い詰めると、「わからない、最高裁からも何の説明もない」と言われました。調べてみると、この刑事裁判の捜査が行われている時点で三浦さんは、法務省の矯正局長をやっていた。これは刑務所の管理部門のトップで、捜査とはまったく無縁な部署です。最後の一時期くらいには、最高検察庁の監査部門にいたようですが、いずれにしてもこの刑事裁判の捜査に関わるような部局ではない。彼がなぜこの事件から回避したのかは謎と言うしかない。六・一七判決の三浦少数意見の影響力があまりにも大きかったので、「君は捜査機関の一員だった人だから、刑事事件の審理から退いてくれ」とでも言われたのではないか。そうとしか私には思えないですね。  三浦さんが退官されたら、絶対にお友達になってその事情を全部聞き出そうと思っています。私は三浦さんとは喧嘩していた仲なのです(笑)。喧嘩というのは、彼は法務省が総力を挙げてやっていた通信傍受法の導入の際に法案策定の責任者である参事官をやらされていて、私は当時、弁護士会でこの法案を反対する急先鋒に立っていたのです。いろんな場で出会って、怒鳴り合いまでにはならなかったけれども、激しい意見のやり取りをしたことがある。最高裁判事になられてから、三浦さんはジェンダー関係の判例などでも大変良い判決を出されていて、人物を見誤っていたかなと思っているのです。退官されたらぜひ仲良しになりたいものだと思っています。  佐藤 次に、六月に出た東電株主代表訴訟の高裁判決に移りたいと思います。経営陣に対する一三兆円の支払いを命じる画期的な判決が、なぜこうした支離滅裂な判決によって覆されてしまったのか。そうした判断に本当に必然性があるのか。まず武藤さん、この判決を聞いてどのようにお感じになったでしょうか。  武藤 刑事訴訟が敗訴で確定してしまったので、株主代表訴訟では、一審の素晴らしい判決が出ているので、きちんと経営陣の責任を確定してほしいとすごく思っていたのですね。それが被害者にとっての希望、本当に一筋の希望だったと思うのですが、それが覆されてしまったことに、本当に怒りを感じました。なぜ朝倉さんの一審判決がここでひっくり返ってしまったのか、こんなに簡単にひっくり返されるものなのか、と悔しく思いましたね。  再び被害者の人たちからは、なぜ誰も責任を問われないのかという言葉がたくさん聞かれました。ただ、メディアからは、これで経営陣の責任が免れたわけではないという、判決に対する批判的な意見も出ていたのが、それが救いだったかなと思っています。  海渡 この判決は、我々の述べていたこと、朝倉判決が述べていたことを引き継いでいる部分がかなりある。これは驚くべきことで、少しまとめてみたいと思います。  判決は最初に、「原発事故は国を崩壊させかねないほど大きな被害をもたらすので、万が一にも事故を起こさせないために高い経営上の責務を負っている」とはっきり認めている。これは六・一七判決や、刑事裁判の最高裁決定にはなかったことで、この部分は三浦意見、朝倉判決と共通している。  また、長期評価については、これを十分に尊重しなければならないと言っている。ところが、ここが非常に不思議な部分ですが、ここから長期評価には原子炉を停止させるだけの信頼性があるかという問題を立て、そこまでの信頼性はないと結論するのですね。そして、停止以外の対策には意味がない、水密化などの対策は議論する必要がない、と言ってしまっている。  そして、長期評価は尊重しなければならないと言ったそばから、切迫感、現実感がないから原子炉を停止する必要まではなかった、という詭弁を述べている。それによって経営陣の責任を免責してしまった。しかし免責した後で、高裁判決は最後に、「福島原発事故の後では、経営者の責任はより過重されている。だからもっときちんとした判断をしなければいけない。過酷事故は二度と起こしてはならない。そして、原子力発電に頼るやり方についても再検討しなければならない」とまで述べているのです。非常に不思議な判決ですね。週刊文春などはこれを評して「大岡裁き」と書いていて、つまりはどっちつかずの判決なのです。  もちろん、全員一致でこういう判決を書いたということもあり得ますけれども、あまりにも論理が支離滅裂で破綻しているので、私は裁判官三人の中で意見が対立したのだと思います。  判決言い渡しの際に、東電の責任を強く認める内容を述べるときだけ、裁判長の木納さんの声が一オクターブ高くなったのですね。大きな声になって一オクターブ高くなった。裁判長自身は、本当は東電の責任を認めたかった。しかし二対一で敗れて、でも原発事故を繰り返してはいけないという思いで、ここだけは書かせてもらうと言って書いたのではないか。それによって論理的破綻を来している、と私には見えました。  武藤 最後のところで、木納裁判長の声が変わったというのは確かなのです。大きい声になったのですね。だから、彼が言いたかったのはこんな部分なのかなということは私も思いましたが、ならなぜこの判決なの、とも思って頭にきたのも事実ですね。  海渡 恐らくこの裁判体は、元判決を維持する方向で三人まとまっていたと思うのですよ。ところが、そこに右陪席の伊藤裁判官が送り込まれてきて、合議体の雰囲気がすごく悪くなった。私たちは福島第一原発の現地まで彼らと一緒に行って、一日一緒に過ごしたのですが、裁判長と右陪席は何か意見が食い違っているな、という感じは強く受けました。現地に行くのも、裁判長は絶対に行きたいと言ったのですが、右陪席は行きたくないと言っていました。考え方が分裂しているということを感じる局面は随分あって、その結果が判決の論理破綻につながっている気がします。 (つづき、完全版は「読書人WEB」で。後日公開予定)  ★かいど・ゆういち=弁護士。  ★むとう・るいこ=福島原発告訴団団長。  ★さとう・よしゆき=筑波大学准教授・哲学。