管啓次郎著『本は読めないものだから心配するな』 星野 文月  いつも何かしらの本を読んでいるのに、私が覚えているのはその本が残した印象だけで、そこに書かれている内容のことをほとんど思い出せない。それは本を読んだと言えるのだろうか? 長年、本を読みながらこんな疑問をずっと抱えてきた。  そんなとき本著に出会い、読書に対する著者のおおらかな態度に何度も触れることになる。  私たちは記憶するために本を読むのではない。そのとき、その場で本との接合面に生じた一回きりのよろこびを享受して、また自分の人生へ戻ってゆく。必要があればまた出会う。だから、心配しなくてもいいのだと。  本著は、別の事柄について書かれた文章が途切れることなく続いている。話はあちこちに飛んでいるのに、どこ繫がっているような気がする。言葉に導かれて、また別の箇所を浮遊するように読む。生きながら、考えて、その時々で言葉を紡ぐ。そういう営みの全体を読書と言ってもいいのかもしれない、とふと思う。(ほしの・ふづき=作家・文筆家)