2025/12/12号 6面

生成AI×ロボティクス

生成AI×ロボティクス 中村 靖子監修・南谷 奉良編 松浦 和也  AIやロボットの意義や社会的功罪に関する議論は前世紀からあるが、ここ数年の大規模言語モデル(以下、LLM)の登場はこの種の議論を切迫したものへと変えた。LLMは人間のものとほとんど区別できない文章を迅速に出力する。LLMは誰でも文章を「書ける」ようにさせるが、執筆や教育に携わる者にとっては新たな悩みを生んでいる。評者もLLMによる文面をそのまま転写したレポートを発見し、頭を抱えることがある。  さて、本書のタイトルからは、LLMなどの生成AIを用いたロボット制御の専門書を想像するかもしれない。だが、実際には本書は、文学も含む幅広い専門家による、生成AIやそれを搭載したロボットが人類にもたらす可能性とこれからの課題を扱う11本の論文から成る論文集である。その論文は三部にまとめられ、第一部「来たるべきAI・ロボットとの共生世界に向けて」では、生成AIやロボットとの共存のために求められる世界観や人間観の変貌が描かれる。第二部「社会のなかの生成AI・ロボット」では、現行の生成AIやロボットをカウンセリングなどに応用することで発生する課題を扱う。第三部「AIロボットと文学作品――触覚・言葉・痛みから」では、カズオ・イシグロ『クララとお日さま』を共通の題材とし、精読による古典的な文学研究手法とテキストマイニングという新たな方法の調停を試みている。  ここから見て取れるように、本書は昨今重要視されている文理融合の実践である。本書で頻繁に言及される西洋哲学や心理学は、重箱の隅をつつく作業と思われがちな人文学が、生成AIやロボットの最先端の研究開発と表裏一体であるだけではなく、その社会実装がもたらす問題点を明確化し、将来の社会構造の変容を予見する上でも有益であることを示唆している。  他方で、評者が感じた本書全体の傾向と、それが隠蔽してしまう問題を挙げておきたい。かつて、道徳哲学者J・H・ムーアは機械が有しうる倫理性として、倫理的効果主体、暗黙的倫理主体、明示的倫理主体、完全倫理主体の4つのタイプを挙げ、AIは明示的倫理主体を目指すべきだと主張した。ここから見ると、本書は概して現在のAIやロボットを完全倫理主体に向かう途上にあるものと見なし、将来的には近代的人間に近い存在者になることを前提しているように思われた。  たしかに、現状のLLMも感情や意志を感じさせる文章を出力できる。この特性の延長線上に人間とは区別不能なAIやロボットが誕生する可能性は開かれている。しかし、その実現のために超えるべきハードルは数多くある。たとえば、人間同士の関係は一対一とみなしうるが、AIやロボットとの関係は一対一ではありえない。というのは、これらは人工物だからである。人工物の背後にはそれを制作・管理・提供する別の人間がおり、彼らはその人工物の「生殺与奪」も含めた特権的な権能を持つ。その限りで、AIやロボットは近代西洋的な「個人(individual)」ではありえないし、倫理学的文脈における「自律性(autonomy)」を有する存在でもない。この状況を超えようとするならば、最低限、AIやロボットが自ら新たなAIやロボットを設計製造できる技術が求められる。  もちろん、人工物性を強調すると、従来の人工物に関する倫理的議論や製造者責任法の枠組みに議論が吸収されてしまい、生成AIやロボットに固有の論点を取り上げづらくなるという事情は推察できる。だが、人工物性はAIやロボットの本質的特性であるため、この特性を欠いて人間とそれらの共存を論じるのは、それらの制作者に過剰な特権性を与えることになりかねない。  そのほかにも本書が描く未来に移行するための技術的課題は想定されるし、そもそも「自律的」AIやロボットを開発する工学的・経済的・環境的利点はどこにあるか、という疑念も残る。これらは本書の研究プロジェクトが措定しない仮設かもしれないが、検討すべき課題として扱ってくれることを期待したい。(まつうら・かずや=東洋大学教授・古代ギリシア哲学・人工知能の哲学)  ★なかむら・やすこ=名古屋大学大学院教授・ドイツ文学・思想史。著書に『「妻殺し」の夢を見る夫たち』など。  ★みなみたに・よしみ=京都大学大学院准教授・英語圏文学・アイルランド文学。

書籍

書籍名 生成AI×ロボティクス
ISBN13 9784868160830
ISBN10 4868160834