2026/01/09号 4面

史を想え

史を想え 大島 明秀著 濱野 靖一郎  今はもう生きていない過ぎ去った時代の人々は、何を想い、どのように暮らしたのだろうか。この疑問にとりつかれてしまった人間は、現存する様々な「遺物」を手掛かりに、「歴史」として再構成しようとする。  「現在と過去との対話」は、予想だにしない出来事が次々と巻き起こる現代においても、政治や経済、そして人生の難問を解決するヒントを与えてくれるのかもしれない。しかし、残念ながら「一般」の人々は、そうした「過去」を「遺物」から再構成する能力も余裕も持たないため、それがいかなる「ヒント」たり得るのか、説明してくれる誰かの存在を前提としている。  著者はまさにそうした「誰か」の一人として、「過去」と直接対話して「歴史」の様々な生かし方を紹介してくれる。近世から近代にかけて、日本と西洋を巡る様々な驚きと思索へと読者を導く、上質の歴史エッセイという形によって。  第二〇話で言及されている著者の前著『志筑忠雄』(吉川弘文館)は、ミステリーを読むような楽しさがあった。史料が少なく実態のわからない「志筑忠雄」について、丹念な実地調査から確実な史料を絞り込み、緻密に分析して謎を解き明かし実像に迫っていく。学術書ながら、数少ない証拠から犯人を突き詰めていく名探偵の筆致に感服したのであった。  前著で禁欲的であった「かもしれない」という「仮定・想造」の楽しみを、本書は惜しみなく提供してくれる。「エッセイ」の魅力の一つに、改行と共に訪れる話題の転換・その意表の突き方、というものがある。それは意表を突かれるだけでなく、移る話題の前後に繫がりを感じつつも展開が分からないからこそ、眼は文字に惹きつけられていく。  なぜ読者はその展開に繫がりを感じられるのだろうか。本書においては、「さまざまな局面で見つけた史資料を材料に、これまでに得た知見を活かして料理した歴史随筆集」だからであろう。そこで取り上げられる話題の数々、例えば「黒船来航」や「バテレン追放令」等は、我々が学校で学んできた事柄であった。細かくは忘れていても、頭の片隅にその断片が佇んでいるような記憶を呼び起こしてくれる。  「鎖国令」により海外在住の日本人は帰れなくなり、欧米人の血を引く子供は海外追放になった。それは教わっていても、その人達の人生はどうなってしまったのか、という疑問への答えを大半の人は知らない。本書は、追放された人達が日本を恋しがって書いたとされる一七世紀半ばの「じゃがたら文」を紹介した上で、一八世紀に再び着目された現象を取り上げる。しかしそれは、偽作であった。(「あら日本恋しや」)。海外に行ってしまい帰国がかなわぬ女性の思いは、体制肯定であれ海外への憧憬であれ、虚構の物語となる。しかし、一八世紀末にロシアへ漂流した大黒屋光太夫は、帰国できてしまった。この時、帰国しなかった男性が二人いるのだが、彼等の物語は生まれていない。それは時代的変化か男性では涙を誘われないからか。物語形成におけるジェンダー的差異さえ、本書はほのめかす。  若き日に授業、そして受験のために頭に入れた出来事が、実際に生きていた人々の息づかいに触れることで、現在の自分の人生とも繫がり、生きた「歴史」へと変わる。フランシスコ・ザビエルが日本で食事の不満をこぼしていたと知れば、彼を生身の人間と感じられよう(「人はパンのみにて生くるにあらず」)。  何より本書は、個人蔵まで所蔵出典を明記し、著者が整理してきた「遺物」を読者に繫げてくれる。それは同時代を研究している専門家達に有益なだけでなく、今まさに高校や大学で「歴史」を学んでいる若者を素晴らしい着想へと導いてくれるだろう。「鎖国」とされた徳川時代が様々な要素から欧米世界と繫がっていたように、歴史への道を三〇の話から繫げてくれると言えよう。それにはまりすぎて、気がつくと歴史家になってしまったとしたら、「ミイラ取りがミイラに」なのかもしれないが。(はまの・せいいちろう=島根県立大学地域政策学部准教授・日本政治思想史・中国政治思想史)  ★おおしま・あきひで=歴史学者・熊本県立大学教授。著書に『志筑忠雄』『蘭学の九州』『細川侯五代逸話集』『「鎖国」という言説』、共著に『天然痘との闘い』など。第八二回西日本文化賞(奨励賞・学術文化部門)受賞。一九七五年生。

書籍

書籍名 史を想え
ISBN13 9784863293175
ISBN10 4863293178