滅びゆく惑星で 第17回
増田俊也
子供のころの記憶というのは、夏であれば、たいてい草の匂いがする。あの青くて少し埃っぽい匂いを不意に嗅ぐと、いまでも昔に引き戻される。理屈ではない。匂いというのは、言葉よりも先に体の奥にしまい込まれているものらしい。
小学一年生のときのことだ。同級生の三人が「昨日、胸が動くおじさんに会った」と騒いでいた。近所の、ススキの繁った空き地でのことらしい。大人には胸丈か腰丈ほどの原っぱだが、子供にとってはジャングルである。分け入れば空も見えなくなり、風が通るたびに穂全体がざわざわと鳴る。そのなかから出てきた怪物のように、そのおじさんは見えたのだろう。
「胸が動く」の意味が、私にはまるでわからなかった。胸というものが、どうして動くのか。心臓のことだろうか、とも思った。それで私は三人にくっついて、翌日から毎日、そのススキの野原を両手でかき分けた。学校が終わると鞄を放り出して駆けていく。おじさんに会えたのは、五日ほど経ってからである。
唐突にススキの間から現れたのは、たしかに胸の動くおじさんだった。あとになって思えばボディビルダーだった。昭和四十年代の小学生だから、ボディビルなどという言葉も、その存在すらも知らない。動く大胸筋にキャッキャと喜ぶ私たちに、おじさんは面白がって、シャツを脱ぎ、上半身裸になって見せてくれた。日に焼けた胸の左右の筋肉が、意思を持った生き物のように、別々にぴくぴくと動いた。あれほど驚いたものはない。魔法か、それとも新種の生き物か、と本気で思った。私たちは声をあげて手を叩き、もう一回、もう一回とせがんだ。おじさんは笑いながら、何度でも胸を躍らせてくれた。
夕方、家に帰って母にそれを話すと、母は眉間に皺を寄せた。「胸が動くおじさん」の意味が、母にはわからない。というより、変質者か何かだと思ったのだ。子供の前で半裸になる中年男というだけで、母の頭のなかでは十分に不審だったのだろう。「もうそこへ行ってはだめ」ときつく言われた。それでも私は、繰り返し興奮して、同じ話を何度も母に聞かせた。子供にとっては、ただただ素晴らしいものを見たのだから、伝えずにはいられなかったのである。
それから件の四人で、ときどきそのススキ野原へ通ったが、二度とおじさんに会うことはできなかった。あの夏の、幻のような人だった。
このところウェイトトレーニングが世間に広まって、街角でもTシャツを着た胸板の厚い若者を見かけることがときどきある。堂々と鍛えた体を人前にさらす時代になった。そのたびに私は、あの夏のおじさんの裸の上半身と、手でかき分けたススキの青くさい匂いを思い出すのである。(ますだ・としなり=小説家)
