- ジャンル:翻訳小説
- 著者/編者: キャサリン・ゴヴィエ
- 評者: 田中庸介
赤富士と応為、そしてボストンの男たち
キャサリン・ゴヴィエ著
田中 庸介
「老害」とその告発は、ある意味もっとも現代的な課題のひとつである。何らかの道をのぼり詰めたアンタッチャブルな巨匠が、女性問題・人権問題などであっという間に告発され、火だるまにさせられるという「Me Too」ムーブメントは、この十年にわたり映画・演劇の世界を中心に急速に盛り上がりつつある。しかしこれによって権威・権力の一極集中のゆがみが正され、完全にリベラルな社会へ向かうかというと、まだまだその陰に泣き寝入りする人々も多く、なかなかそうもいかない矛盾の円環がある。
本作は、浮世絵画家である葛飾北斎の世界的栄光の陰に埋もれようとしているその娘の天才画家、応為をめぐる、「老害」についての歴史小説である。江戸末期に「齢を取らないこと」を望み、なんと九〇歳まで生きた北斎は「北星部屋」というギルドを作り、仕事を続けた。ギルドに自分のアイデンティティを刻印し、弟子に自分に「なりかわって」仕事をさせることで、驚異的な質量の作品を生みだし続けた。
その中にあって、北斎の娘の応為は、特別な染料を開発し、美しい線を生みだす天才的な技量によって、工房の同僚や取引先から同時代には高く評価されていた。しかし北斎は応為を「アゴアゴ」などと呼んで馬鹿にし続け、その名声を許さなかった。応為の才能を見込んだ取引先からの折角の「百人一首」の仕事を、北斎があっけなくつぶしてしまう様子など、非常にリアルに描かれている。
そこで作者はなんと、死んでも死にきれない応為の幽霊を、明治の時代に墓から呼び起こし、自分自身の名誉回復に努めさせる。文明開化の混乱期にボストン美術館などをコアにして浮世絵を世界に広めたフェノロサ、岡倉天心、ビゲロー、そしてフェノロサの二番目の妻のメアリーらの人間ドラマが本書後半の軸である。
応為の幽霊が山伏の形となり呼びかけた結果、フェノロサは完璧に理解し、「北斎は作風を変えたのではない。筆を変えたのだ。それはもはや彼の筆ではなく、娘の筆だった」ということに気づき、無署名の作品の多くについて、作者をYEIJO(応為)とする目録を出版するに至る。
しかし、「巨匠の名声の守護者たちは、彼女をなかったものにしようと心を固めていた」とある。フェノロサの努力にもかかわらず、〈北斎派〉との名前を生みだすことで応為の名前を葬り、一般受けのよい「北斎」ブランドのみを定着させ、他を排除するために、この学術的発見を揺り戻そうとした。妻で作家のメアリーはフェノロサの死後、遺されたメモを出版することでこれに抗い、応為の幽霊からもポートフォリオを託される。
フェノロサの大きさに覆い隠されようとするフェミニズム的な文脈から、メアリーは自分自身にも応為との共通点を見出し「でも何か方法はないの? あると言ってよ」と応為に尋ねる。「粘って、追い求めて、ものにして、示す。今、みんな私のことは見たり、見なかったりだろ。もっと大きい勝利がある。その勝利は、世界が私の物語に耳を傾けるときに起こる。世界は私が見たものを見るだろう。私が理解したように。私が生きた物語、描いた物語を理解するんだ。あんたにその物語を託すよ」との応為のメアリーへの言葉は、本書の白眉である。
このように「私の物語に耳を傾けさせる」ことによって、フェミニズムやポストコロニアリズムは、思想的主導権の取り合いの表層的なポリティクスを超えて、上行的に解体する。自らの拠って立つものの批判的継承を通じ、これまで「男の物語」と考えられてきたものに伍して、自らのアイデンティティを軸に自分自身が戦うための土俵を獲得する。
もちろん、それは遠い道のりとなるが、このことは単にジェンダーとしての「女性」の問題にとどまらず、広義のD&Iの中心的課題の一つとなるだろう。つまり本書は、「老害」のような巨大な何かによって歴史から消されそうになるすべての人々、弱い立場にあるすべての人々が、それでもあきらめずに自らの物語をアピールし、戦いを継続するための、作者からの力強い応援歌であるとも言える。(モーゲンスタン陽子訳)(たなか・ようすけ=詩人)
★キャサリン・ゴヴィエ=カナダの作家。元ペン・カナダ会長。代表作 Creationがニューヨークタイムズ紙ノータブル・ブックの一冊に選ばれる。移民女性のための全国的な執筆およびパフォーマンス組織である The Shoe Project の創設者。The Ghost Brushは、『北斎と応為上・下』として出版されている。
書籍
書籍名 | 赤富士と応為、そしてボストンの男たち |
ISBN13 | 9784779130472 |
ISBN10 | 4779130476 |