映画監督 ドン・シーゲル
吉田 広明著
塚田 幸光
「誰もがドン・シーゲルを知っている」。いや、シーゲルの「映画」を知っている、だろう。『ダーティハリー』(1971年)と言えばイーストウッド、『刑事マディガン』(1968年)ではリチャード・ウィドマーク、『殺し屋ネルソン』(1957年)はミッキー・ルーニーというように、「ドン・シーゲル」という監督名ではなく、映画の主演俳優こそが強烈な印象を残すからだ。シーゲル作品では、多くの主人公が追跡と戦いの果て、自己崩壊に至る。彼らはスクリーンを駆け抜け、同時に袋小路で悶えるのだ。たとえば、『殺し屋ネルソン』では、ネルソンはギャング仲間を裏切り、殺し、逃亡する。負傷した彼が辿り着くのは、奇しくも墓石の前。刹那、彼は情婦に殺してくれと懇願する。銃声が鳴り響き、映される墓碑銘The End。それはまさしくDead End(袋小路)に他ならない。
では、ドン・シーゲルとは、一体何者なのだろうか。本書の前半部は、シーゲルのキャリアを丹念に辿る。それは、シーゲル自身の『自伝』をかみ砕き、スチュアート・カミンスキーの伝記『ドン・シーゲル』の行間を埋める仕事だろう。そして、ハリウッドのスター監督の影で、ひたすらそのシステムに殉じたシーゲルの再評価を試みている。実際、ハリウッドにおいて、シーゲルは例外的な監督であった。ニューディールのフェデラル・シアター・プロジェクトに参加したニコラス・レイやオーソン・ウェルズらの左翼的な映画人と異なり、シーゲルは演劇の経験を経ていない。1934年に映画界に入るも、監督に昇格するまでの約10年間、彼はスタジオの底辺で映画制作を学ぶことになる。ワーナーのフィルム・ライブラリー部門では、ストック・ショットを管理し、モンタージュ部門ではテクニカルな撮影を担当する。たとえば、ラオール・ウォルシュのギャング映画『彼奴は顔役だ』(1939年)において、株のバブルがはじけるモンタージュを仕上げたのが、若きシーゲルであったという事実は興味深い。ホークス、ウォルシュ、カーティス、リトヴァク。きら星のようなスター監督のもとで、シーゲルは出番を待つのだ。
当然のことながら、シーゲルのキャリアは、ハリウッドの混乱と無縁ではない。1947年の非米活動委員会、そして48年のパラマウント訴訟。冷戦の政治学が映画人に踏み絵を強い、「製作・配給・興行」というハリウッドのシステムが解体される時代。シーゲルは、職業的な監督として、映画(その多くはB級)を撮り続けた。彼は作家性を押し出すのではなく、プロデューサーとの連携を好み、システムに抗わない。『第十一号監房の暴動』(1954年)におけるウォルター・ウェンジャーとのコラボは、その好例だろう。如何にして、娯楽のなかに社会的なメッセージを込めるか。ウェンジャーの実体験を元にした物語は、現実の刑務所における待遇改善だけを示唆しない。それは、奇しくもハリウッドという「密室」に接続し、冷戦下の暴力性をメタフォリカルに逆照射する。
『第十一号監房の暴動』は、シーゲルのスタイルを決定付けた作品である。そして、システムに殉じた映画作家が、システム内で作家性を発揮した点は注目していいだろう。そこでは、囚人たちの過去は一切描かれない。フラッシュバックが過去を伝えることもない。時空間が限定された密室で、「今、ここ」が強調される。アクションが人間を語り、心理を代弁し、物語を駆動するのだ。
シーゲルは、「現在」にこだわる。だからこそ、現在が過去に支配されるノワールと相性が悪い。本書の言葉を借りれば、シーゲルは「ノワールから遠く離れて」いるのだ。本書の後半部、テーマ論で展開されているように、このような視点は、ヘミングウェイの短編を原作とするシオドマク版『殺人者』(1946年)とシーゲル版『殺人者たち』(1964年)の比較によって明らかになるだろう。前者はノワールの定石通り、殺されたボクサーの過去がフラッシュバックによって断片的に提示される。そして、探偵的な保険調査員がその謎を解き明かす。一方、後者は、男を殺した殺し屋たちが探偵となり、男の過去を探り、大金を見つけようとする。注目すべきは、過去と現在の描かれ方の相違だろう。シーゲルのキャラクターは、未来に向けて前進する。そして、ノワールのような灰色の世界を生きない。タイムリミットがあるなかで、彼らは白か黒を選び取る。
最後に、シーゲルのキャリアは、性や暴力描写を禁じたプロダクションコード(映画製作倫理規定、34年から68年)と同時代である。シーゲルのアクションと現在志向が、コードと如何に結びついていたのか。この点に触れて欲しかった、というのは贅沢かもしれない。とまれ、博覧強記のシネフィル、吉田広明の新刊は、情報と情熱に満ちている。このドライヴ感は、必読だろう。(つかだ・ゆきひろ=関西学院大学教授・映画学・表象文化論)
★よしだ・ひろあき=映画評論家。著書に『亡命者たちのハリウッド』『B級ノワール論 ハリウッド転換期の巨匠たち』『映画監督 三隅研次 密やかな革新』など。一九六四年生。
書籍
書籍名 | 映画監督ドン・シーゲル |
ISBN13 | 9784867930717 |
ISBN10 | 4867930717 |