小松みゆき×藤本涼子
<ベトナム暮らし30年の軌跡を辿って>
小松みゆき著『翔んでベトナム30年 私の肩書きは、私』(そらの子出版)刊行記念トークイベント載録
1月18日、小松みゆき著『翔んでベトナム30年私の肩書は、私』(そらの子出版)刊行記念トークイベントを開催した(於:読書人隣り)。イベントでは、そらの子出版代表の藤本涼子さんを聞き手に、執筆の裏話やベトナム暮らしの実体験など、たっぷりお話しいただいた。その様子を一部、紙面に載録する。(編集部)
藤本 『翔んでベトナム30年 私の肩書は、私』は、45歳で単身ベトナムに渡った小松さんが現地で過ごした30年間の日々をエッセイ形式で振り返る一冊です。日本での生活に窮屈さを感じた小松さんが、戦争終結からわずか17年しか経っていないベトナムに降り立ち、どうやって居場所を見つけていったのか。
小松さんは今までにも、ベトナムやご自身の経験を記した本を出されています。まず、2007年に『越後のBaちゃんベトナムへ行く ラストライフを私と』。これは2015年に『ベトナムの風に吹かれて』として映画化され、現在は映画と同じタイトルで角川文庫に入っていますね。2020年には、太平洋戦争後にベトナムに残った日本兵やその家族を繫ぐ小松さんのライフワークをまとめた『動きだした時計 ベトナム残留日本兵とその家族』も出されています。
そして、本書『翔んでベトナム30年』。先の3冊には書ききれなかったベトナムでの日々に加え、今の小松さんがどのように作られたのか、その軌跡が綴られています。本書の構想はいつ頃からあったのでしょうか。
小松 私がベトナムに渡ったのは1992年で、日本に戻ってきたのはコロナ禍の2022年です。帰国が決まる前後くらいの頃から、ベトナムで過ごした30年の日々を何かの形で残したいと考えるようになりました。いろんな人に出会い、いろんな出来事を経験したベトナムでの30年によって、今の私がある。その経験をいろんな人に伝えたいと思ったんですね。とはいえ、ただの一般人が本を出すのは簡単なことではありません。それに、日本でベトナムに関心のある方もそんなに多くはないでしょう。どのくらいの読者がいるのか、刊行までずっと不安でした。
藤本 この30年で、日本の暮らしも大きく変わりました。帰国してから生活が落ち着くまで、かなり大変だったと伺っています。
小松 そうですね。本を書きたいという思いはあったけれど、正直なところ、帰国後1年は日本での暮らしに慣れるのが当面の課題でした。帰国子女という言葉はありますが、帰国老女という言葉はありませんからね。私が知っているのは、スマホはもちろんゴミの分別も無かった頃の日本の生活です。一時帰国はしていたとはいえ、帰ってきてからしばらくは、執筆よりも新しい生活様式に適応することに必死でした。
藤本 その中で、執筆を始める具体的なきっかけなどはあったのでしょうか。
小松 本書のベースになった文章は、少しずつは書いていました。でも、企画そのものが動き始めたのは、昔、同じ出版社で働いていた同僚と会ってからです。彼が私のことを探していると知人を通して連絡があって、約50年ぶりに会ったところ、ベトナムでの体験を本にしないかと言ってくれた。そこから、書籍化が現実味をおびてきました。
藤本 そうなんです。実はこの企画を私のところに持ち込んでくれたのは、小松さんの古い知り合い――Kさんとしておきましょう――でした。面白い人がいるからぜひ本を作らないかと打診があって、2024年に小松さんとKさん、私の3人で編集会議を行いました。
でも、当初は小松さんが書きたい内容とKさんが想定していた内容に、若干の齟齬があった。小松さんもですが、Kさんも日本でベトナム戦争反対のデモや戦後の支援活動に関わってきた方です。そのため、歴史の証言みたいなものを残したいというのが当初のKさんの考えだったように記憶しています。書籍の方向性については3人でかなり話し合いました。
小松 観光から暮らし、文化、歴史といったベトナム全般について書いてほしいという感じでしたね。確かに私はベトナム暮らしが長かったけれど、学者でも観光ガイドでもない。そういう仕事はできないし、すべきではないと考えていました。もしかしたら書籍化の話は立ち消えになるかもと思ったことが、刊行までに何度かありました。
私が目指していたのは、キャサリン・サンソム『東京に暮らす 1928-1936』(大久保美春訳)でした。岩波文庫から出ている一冊で、外交官の夫とともに来日したキャサリンさんが目にした、昭和初期の東京の風俗や人々が優しい筆致で綴られている。私もこういう本を書きたいと、ずっと思っていたんです。ベトナム……特に地方の少数民族の村を訪れると、珍しい風習もしくは昭和の日本を思い出すような、懐かしく感じる光景を目にする機会が多くありました。でもこれは文化人類学の領域かもしれない。じゃあ、いったい私には何が書けるの?と考えた結果、私は私が体験したことしか書けないとようやく気がついたんです。自分が何をどう書きたいのかが見えてからは、筆が進みました。
藤本 次はタイトルについてお伺いします。『翔んでベトナム30年』というタイトルは、どこから着想を得たのでしょうか。
小松 せっかくの機会なので、裏話をお話しします。実は日本に一時帰国し、ベトナムに戻る飛行機の中で、『翔んで埼玉』という映画を観ました。もちろん、それだけでこのタイトルにしたわけではないですよ! 昔、私は「翔んでる女だね」と言われることが多かったんです。今は海外旅行も珍しくなくなったけれど、80年代後半、仕事を辞めてイタリアに行ったり、シベリア鉄道に乗っていた私の行動は奇抜に見えたのでしょう。庄野真代「飛んでイスタンブール」などの曲をはじめ、「飛/翔んでる」という言葉が流行っていたことも関係してか、よく「翔んでる女」と言われました。そういう経験もあって、「翔んでベトナム」に30年の歳月を付け足して、『翔んでベトナム30年』になったんです。
藤本 しかも小松さんは、学生の頃にベトナムに「翔んだ」わけではありませんよね。安定した仕事を得ていた40代の時に、日本語教師としてベトナムに移り住んでいる。
小松さんがベトナムに渡った90年代の日本社会では、女性がバリバリ働くことは今ほど受け入れられていませんでした。日本社会の窮屈さに嫌気を感じていた小松さんから見て、当時のベトナムにおける女性の社会進出はどんな様子だったのでしょう。
小松 日本では男女雇用機会均等法ができてようやく、職場における女性の役割が見直され始めましたよね。けれどベトナムには、「お茶汲みは女性社員がする」みたいな前提が最初からないように感じたんです。実際、国営工場の社長や戦争に関する博物館の館長などのトップに女性がいました。よく覚えているのは、ある工場に日本企業の社員が見学に来た時のことです。日本の見学者は社長に会いたいので、その旨を伝える。すると、アオザイを着て――これはベトナムの正装です――長い髪を垂らした女性が出てきて驚くんです。中には社長である彼女に、「社長に会いたい」と言う日本人もいました。
小松 会社のトップに女性が多いのは、やはりベトナム戦争の影響が大きかったと思います。多くの男性が兵士として戦場に行ったので、必然的に女性が第一線で活躍しなければ社会が回らなかった。私がベトナムに行った90年代は戦後復興の真っ只中、これから高度経済成長を迎える時期で、男女問わず人手が求められていました。医者や学校の先生も女性が多かったし、女性が働いて経済活動に参画することが当たり前の社会だったと思います。
藤本 そういえば以前、小松さんは「専業主婦」はベトナムにはないとお話しされていましたね。
小松 そうなんですよ。ベトナムで専業主婦の話をすると、大変びっくりされました。日本では結婚したり出産したら、女性は働くことを諦めて家庭に入ることが普通だと言うと、みんな聞いてはいけない話でも聞いたかのような反応をしていた。今の日本にはもっといろいろな選択肢があるでしょうし、共働きもある程度はできるようになっている。それでも、扶養家族や派遣といった制度そのものが、女性が家庭に入ることを前提にしているように感じられます。文化や生活の違いは、お互いに驚きがあるし面白かったですね。
藤本 本書には、過去の著書には収められていない話が入っています。それが第3章で語られる「ベトナムの梵鐘」をめぐるエピソードです。今回、小松さんが一番収録にこだわった話ですね。
1977年、日本では「ベトナムの梵鐘返還運動」が盛り上がりました。渡辺卓郎さんという弁護士がある日、銀座の古美術店で売られている梵鐘を目にします。なぜこんなところにベトナムの梵鐘があるのか疑問に思って調べると、どうやら第二次大戦中に旧日本軍がベトナムの小さな村から持ち帰ったものらしいと分かった。そこで渡辺さんを筆頭に返還運動が起き、最終的に梵鐘はベトナムに返還されました。
小松 梵鐘返還運動の頃、私は法律事務所のスタッフとして働いていてこの活動に関わることになり、そこで渡辺さんとも知り合いました。ベトナムに移り住んでしばらくして、その渡辺さんから問い合わせがあったんですね。「ベトナムの梵鐘は今、どうなっているだろうか?」と。
ベトナムに来てから、友人や知人を通して「昔ベトナムに送ったあれそれは今どうなっているか?」という問い合わせを貰うことがありました。なるべく対応していたけれど、現地の暮らしにはまだ慣れていないし、ひとりで調べるには限界があった。でも、自分も返還に関わったあの梵鐘がどうなっているのかは、非常に気になりました。返還日も梵鐘を納めた寺も分かっていたので、そんなに大変ではないだろうとも思ったんです。
藤本 ところが、実際にそのお寺に行ってみると、あるべき場所に梵鐘がなかった。返還されたはずの梵鐘が再び姿を消してしまっていたんですね。そこから小松さんは、梵鐘の大捜索を始めます。
小松 詳しくは本に書きましたが、これがもう大変でした。返還された寺はハノイ市の隣りのバクニン省にあるのですが、地方の田園地帯です。しかも私は外国人ですから、取材許可をもらわなければ調査も難しい。勝手に動くと、目的外活動として滞在許可を取り上げられかねません。別にやましいことは何もないのですが、いろいろな問い合わせを受ける度にあちこちに出かけ、調査していた私の行動を不審に思ったのでしょう。訪問先の村の入口で、ベトナムの公安に捕まって、長時間尋問を受けたこともありました。
藤本 しれっととんでもない裏話を……(笑)。自由に動き回ることすら簡単ではない中、小松さんは梵鐘探しに奔走します。
藤本 梵鐘が再発見できたかどうかはぜひ本書を読んでもらうとして、小松さんが打ち合わせの際に度々仰っていた「日本とベトナムにあった繫がりを語り残していきたい」という思いが強く感じられるエピソードでもありますよね。また、小松さんのお母様をめぐる第5章からも、今の時代に忘れられているようなご近所同士の縁や繫がりが強く感じられます。
小松 認知症になり、故郷の新潟で居場所を失っていた母を私はベトナムに連れ出しました。そして亡くなるまでの13年間、向こうで過ごしたんですね。知らない土地に認知症の母を連れていくのは不安だったけれど、ベトナムで暮らすうちに母の表情は明るくなっていった。ひとりで出歩いて行方不明になったり、大小さまざまな騒動が頻繁に起きたけれど、その度に私たちの暮らしを近所の方が手助けしてくれました。
母を連れてきたことを一番喜んだのは、住んでいた家の大家さんです。先ほど話した通り、研究者でもないのにあちこち調査に出かけていた私は、やっぱりスパイ活動をしているんじゃないかと疑われていたようで。毎月、大家さんのもとに公安がやって来て、私について聞いていました。お茶の間でゆっくり話していたけれど、きっと私を庇う大家さんも疑われていたのでしょう。それが母を呼び寄せたことで、ようやく疑いが晴れたようです。大家さんは、「うちの日本人は親孝行なんだ」「母親の面倒を見ているんだ」と近所に言いふらすくらい、喜んでいました。
藤本 公安からすると、何をしているのか分からない外国人というだけで警戒対象になりますよね。今の日本でさえ、自分の人生を好きに生きるのは大変なのに、20~30年前のベトナムでそれをするのは想像を絶するような困難があったと思います。その中で小松さんは人の温かさに触れ、かつての日本にも人情にあふれたご近所付き合いがあったと回想しています。
小松 ベトナムではご近所さんにランチの招待をされることが多くあるのですが、基本的に指定の時間より数時間前に伺います。ご飯を一緒に作る、何なら一緒に買い物に出かけるところからがスタートなんですね。お喋りを楽しみながら、空間や時間を共有する。ご近所付き合いに限らず会社も同じで、誰かしらがずっとお話ししてました。そういう、昭和の頃の日本にもあった人情味みたいなものをどうやって文章で表現するか。今回、一番意識した部分かもしれません。
藤本 30年間ベトナムで暮らす中で、嬉しいことやショックなことを体験し、そのうえで人と人との繫がりを非常に大切にされている。そんな小松さんの姿が本書からは浮かび上がってきます。すでに読まれた方から感想をいただいているのですが、心に残ったというエピソードがみなさんそれぞれで違っている。これは本をつくった側としては本当に嬉しい感想です。小松さんの人間力や魅力を写し取った本書をぜひ、多くの方に読んでもらえると嬉しいです。(おわり)
★こまつ・みゆき=出版社、法律事務所勤務を経て、1992年にベトナムの首都ハノイに日本語教師として赴任。2008年よりベトナム社会主義共和国国営ラジオ局VOV「ベトナムの声」放送局勤務。2017年に外務大臣表彰を受ける。2022年に帰国。著書に『ベトナムの風に吹かれて』『動きだした時計 ベトナム残留日本兵とその家族』など。1947年生。
★ふじもと・りょうこ=そらの子出版代表。
書籍
| 書籍名 | 翔んでベトナム30年 |
| ISBN13 | 9784911255056 |
| ISBN10 | 4911255056 |
