<「吉本隆明」の思想を次世代へ継承する>
対談=橋爪 大三郎 × 大澤 真幸
『吉本隆明全集』(晶文社)本巻完結を機に
二〇一六年より晶文社から刊行されてきた『吉本隆明全集』が、二〇二五年十月二八日発売の第38巻で完結となった。一一年の歳月を経て、堂々の本巻完結である。昭和一〇〇年、戦後八〇年を迎えるいま、吉本隆明の思想や著作をどのように読み継いでいくべきか。完結を機に、社会学者の橋爪大三郎氏と大澤真幸氏にリモートで対談をお願いした。(編集部)
橋爪 『吉本隆明全集』が完結しました! およそ一一年かけての偉業です。今の時代、全集はとても出にくい。同時代のひとにはピンと来ないかも知れないが、後の時代には大きな恩恵が及ぶ。
大澤 全集があるかないかでは、議論できる幅が変わってきますからね。吉本さんはテーマが膨大で、どれほど時間があっても到底喋りきることはできないため、いつでもアクセスできる全集があるというのは次の世代にとっても重要です。ただ、今日は時間も限られているので、戦後八〇年という観点を取っ掛かりに、吉本隆明の思想について考えていきたいと思います。
「戦後最大の思想家」と言われる吉本さんの何よりも重要な原点は、本人も語っているように「敗戦」です。軍国少年だった吉本さんは一九四五年八月一五日に、それまでの価値観や生活、すべてを失った。敗戦の経験が吉本さんの思想の出発点であることは、誰もが指摘することでしょう。
吉本さんについて考える時、私はいつも不思議に思うことがあります。彼ほど、特定の世代に熱心に読まれた思想家はいない。その特定の世代とは橋爪さんの世代――いわゆる「団塊の世代」です。もちろん、どんな思想家にも親和性の高い世代はいますが、吉本さんの場合はあまりに突出しているんですね。第二次世界大戦後に生まれた最初の世代である団塊の世代は、青春期に吉本思想に出会い、心を強く動かされている。その惹かれ方は並大抵ではありません。
団塊の世代から十歳年下の私は、どちらかというとお勉強的に吉本さんの著作を読んでいます。一番読まれているだろう「共同幻想論」【全集10巻】は、視点がユニークだし、社会学者としても面白く読みました。ですが私は、団塊の世代が感じたであろう同時代的な衝撃は、間接的にしか知らない。橋爪さんと同世代の、勢古浩爾さんの『最後の吉本隆明』、鹿島茂さんの『吉本隆明1968』といった吉本論を読むと、当時の人気や熱が伝わってきます。『最後の吉本隆明』は、吉本の三大理論書――「言語にとって美とはなにか」【全集8巻】、「共同幻想論」、「心的現象論序説」【全集10巻】――の解説などには頓着せず、吉本思想のどこに感動したのかを率直に書いていて好感をもちます。つまり、勢古さんにとっての吉本隆明が語られている。鹿島さんの論も独創的で、「ヨシモト、ウソつかない」という象徴的なフレーズが出てきます。この「ウソ」は論理的な飛躍や実証的な誤りの意味で使われているのではなく、他の思想家や学者にはない真実性が吉本さんにはあるということです。
普通、特定世代にしか受けないというのは、思想家の限界のように語られます。でも、吉本さんでは逆。吉本さんが特定の世代に特に熱心に読まれているのは、その思想に限界があったのではなく、本質的な強さが関係しているように思う。本物の思想とは、普遍的であると同時に特異的である必要がある。なんとなく一般論を言うだけ、個別的な事象を書くだけでは、思想としては成熟しない。その点、団塊の世代が他の思想家たちに感じていた物足りなさを決定的に補うものが、吉本さんにはあったんですね。吉本さんは日本で初めて、少なくとも戦後はじめて、借り物ではない本物の思想をつくった人になります。
橋爪 吉本さんは本物の思想をつくった。賛成です。
特に団塊の世代にアピールしたという指摘でした。大澤さん世代からはそう見えるのかもしれない。間違いではない。でもね、団塊の世代の前に六○年安保の世代がいて、その前には戦後の混乱期の世代がいた。彼らがまず大きな影響を、吉本さんから受けたのです。団塊の世代は、彼らに遅れてきた若年世代の吉本ファンにすぎない。
確かに六○年代になって、吉本さんは精力的に仕事をした。「言語にとって美とはなにか」も「共同幻想論」も、この時期の仕事です。「大衆の原像」とか「自立」とか、キーワードも多く生まれた。団塊の世代は、これらの書物に影響を受けた。
六○年安保とシンクロしている重要な著作は、「擬制の終焉」【全集6巻】ですね。これは大きなインパクトがあった。六○年安保では、日本共産党から距離を置く全学連の主流派と、共産党や社会党などの既存の左翼勢力とが、厳しく対立していた。「擬制の終焉」は、日本共産党や、既存の左翼が解釈するマルクス・レーニン主義が間違っていて、それを克服しなければ未来は開けないという人びとが漠然とわけもっていた感覚が、正しいのだと後押ししてくれたのです。「自分の足で歩まなければ」と思って、新左翼になった人もいた。吉本さんは、新左翼の後見人みたいに、勝手に思われていた。あとで全共闘に集まる団塊の世代は、この頃まだ小学生なんです。
橋爪 では、吉本さんの最初のピークは六〇年かと言うと、もっと前です。若い頃の吉本さんがものごとを真剣に考えたのは、終戦直後の混乱期のときです。時代が大きく変わると、人間はブレるのです。敗戦を境に、政治、経済、社会、思想……あらゆるものがリセットされ、流動状態になった。北極星の位置が動いたような大変動です。戦時中、苦悩した吉本さんは、文学者や思想家がヒントになる何かを言ってくれないかと、読み漁った。戦後もまた、読み漁った。そして、ブレない著者を信頼するのです。中野重治の場合はどうか。高村光太郎はどうか。太宰治はどうか。……。ブレない文学者や思想家を基準に、自分の位置をはかろうとした。ブレた人びとは、なぜブレたのかを考えた。いまではもう遠い昔になって、体感するのがむずかしい混乱期ですが、吉本さんはもがきながら、ひと筋の確かな根拠を見つけようとしたのです。
その吉本さんが五八年に発表したのが、「転向論」【全集5巻】です。戦前と戦後の社会の変わり方を客観視すべく、転向という概念を軸に、当時の文学者、思想家、共産主義者、一人ひとりの思考の軌跡を測定していった。
転向を考えるのに一番やっかいなのは、当人が転向を認めていない場合です。本人が認めていないのに「お前は転向した」と判定するには、それだけの根拠が必要で、吉本さんはその困難な作業を引き受けている。そうした転向の概念が手に入れば、現にそこにある戦後社会の体制をまるごと相対化できる。十分に思考を尽くしていないのに結論に飛びつき、多くの歪みやねじれ、抑圧、インチキに目をつぶって出来上がっている戦後社会という秩序の足場を崩すところから、吉本隆明という思想家は始まった。
議論はその後、高度成長に向かう戦後日本の問題性などに発展していくんだけど、団塊の世代はいわば、その問題系列の最後尾にくっついているわけです。私が学生だった当時、吉本さんはもう相当たくさんの仕事をしていた。アカデミアに収まってテキトーなことを言い大きな顔をしている学者や知識人に比べて、思索の現場でものを書いている吉本さんのほうがはるかにマシだったので、鹿島さんは「ヨシモト、ウソつかない」と言ったのでしょう。
団塊の世代との関係だけに焦点を当てると、吉本さんの仕事の三分の一ぐらいしか捉えられなくなるのです。
大澤 世代論にこだわる必要はありませんが、特定世代の影響に着目することは、吉本隆明という思想家の価値を考える補助線になると私は考えます。なぜなら、戦争直後から「転向論」まで、吉本さんが貫いた姿勢は、団塊の世代にとって思想する態度として共鳴するところがあったように感じるからです。
吉本さんの思想の根幹となるモチーフが表れているものとして言及したいのが、「日本のナショナリズム」【全集7巻】です。一九六四年に発表したこの論考の中で、吉本さんは鶴見俊輔を批判している。鶴見俊輔が「日本知識人のアメリカ像」という論考の中で、このように論じたからです。戦中に転向せずに獄にあった共産主義者たちにとって、東京や日本を空襲するアメリカこそが味方であり、日本の軍国思想や政権、戦争を支持している国民こそが敵になるのではないか、と。これに対して、吉本さんは、条件次第で日本の「大衆」――ここで言う「大衆」は、正確には「大衆の原像」なので少しややこしいですが――が敵になるというような思想には断固反対だ、と批判した。究極的には、(日本の)大衆の味方でなければ思想はつくれないというのが、吉本さんの考え方だったと私は思います。大衆が、思想が可能であるための立脚点だからです。
大澤 吉本さんの鶴見批判には、鶴見自身が関心した続きがあります。「井の中の蛙」という有名な部分です。
「井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている、という方法を択びたいとおもう。」
井の外に虚像をもつとは、たとえばマルクス思想をはじめ、西洋の思想を借り物にして外からもってきて思考することです。井の外の虚像を用いた思想は、鹿島さんの言葉でいうところの「ウソ」になる。逆に、井の中にあるとは、大衆の原像に根をもっているということです。それによって、井の中は外と繫がるのですが、この時に「大衆の原像」という概念が効いてくる。詳細は一旦置くとして、とにかく吉本さんは、井の外の虚像、つまりウソを用いない回路で物事を考えていった。鶴見さん自身もその批判に感心して、当時若かった見田宗介さんに「今度の吉本の論文では、僕が徹底的に批判されているんだ。とても愉快で素晴らしい論文だった」と言ったそうです。この「大衆の原像」という概念には、吉本隆明の思想の態度がよく表れています。
先ほどお話に上がった「転向論」も重要な成果のひとつで、大衆からの孤立(感)が転向の最大の条件だというのが、その中心的なテーゼです。戦中に転向した者は、特高警察に拷問を受けたから転向したのではない。獄中で、自分の思想がいかに日本の大衆の現実から遊離した、「井の外の虚像」に過ぎないか気づいて転向したんです。彼らは孤立感に耐えられず、思想を捨てた。もっと広く社会に当てはめれば、借りてきた虚像を思想の代わりにしたがために、結局日本は天皇制ファシズムの中、戦争に向かっていってしまいました。
さらに付け加えれば、いわゆる非転向も、大衆からの孤立という点では、転向した者と変わらないわけで、広義の転向に含まれるというのが吉本さんの主張でした。非転向者は、孤立しているのにその孤立に気づいていないのだから、普通の転向よりも悪いくらいです。井の外の虚像がいかに足腰の弱い思想か知ったからこそ、吉本さんは戦後、井の中に徹そうとしたのです。
橋爪 吉本さんと鶴見さんのエピソードは興味深いですね。
大澤さんのお話を聞いて思うのは、鶴見さんと吉本さんは「引き分け」だということです。批判を甘んじて聞いて、愉快がっている鶴見さんに、余裕がある。
吉本さんは、鶴見さんが大衆を捨てたように見えて批判したのでしょうが、そこは怒る必要がなかった。獄中にいた共産主義者からは、日本政府や軍部や大勢の日本人が敵に見えて、空襲をしているアメリカが解放者に見えた。これは、どこも間違いではない。共産党自身、戦後の一時期、アメリカ軍を解放軍だと述べています。同じような論理は世界中にある。たとえば『旧約聖書』には、バビロンに捕囚されたイスラエルの民を救いに、ペルシャのキュロス王が攻めてきたという話があります。ペルシャはユダヤ教ではない異教徒だけれど、イスラエルの民にとっては解放者であり、自分たちを捕まえているバビロンこそが敵なんですね。状況によって敵と味方が決まるのが政治的リアリズムなので、間違いではないんです。
ではなぜ、吉本さんは鶴見さんの考えにカチンときたのか。吉本さんは北極星がぐらつくような戦後の混乱の中で、地道に一歩一歩、思想や文学の仕事を進めた。理工系では、ものを考えるのに、理性を使います。理性で考えるとは、前提を置き、論理を組み立て、証拠をもとに、結論にたどり着くことです。数学にせよ自然科学にせよ、この順番で進めば、前提から結論までの道筋は間違いようがない。吉本さんはそういう訓練をして、ものを考えてきました。ただし、この方法の弱点は、置かなければならない前提が恣意的かもしれないところです。
いっぽう文学ではどうか。文学では言葉の使い方にルールがあります。それは真実をのべること。脚色や文体(あや)を用いたり、場合によっては本心を偽る手法も許容されるけれど、それでも作品には真実が書かれていなければならない。作者の魂と言ってもいい。真実が書かれている作品は誤りようがないと、戦前は考えていればよかった。しかし戦争に敗れてからは、今まで真実だったものが怪しくなった。何を規準にすればいいかわからなくなった中、どうしたら文学者はいつでも真実を述べるというスタンスを取れるか。そこから吉本さんは、太宰などを評価したのです。
さて、そのスタンスを他の作家だけでなく、吉本さん自身にあてはめるとどうなるか。吉本さん自身も詩作や文学批評を紡ぐ文学者です。社会主義リアリズムなどの枠にしがみつこう、などは論外です。そうした根拠を使えないので暗中模索で苦労するうち、気がつけば、吉本さんは孤立無援になってしまいます。そこで、自分の中にあって社会と繫がっている、無定形で概念化できないけれども、自分の言葉に真実を与える存在を、「大衆の原像」と呼んだのです。
橋爪 吉本さんが言いたかったことはわかるんですよ。でも「大衆の原像」は、根拠を明示できないし、誰にも検証ができない。これは大変危ういと、私は思う。それに比べると、鶴見さんは客観的に、誰にでも使える方法で批評をしているので強靭さがあります。だから私は、この二人は引き分けだと思うのです。鶴見さんが言えていなかったことを指摘した点では吉本さんは評価できるけれど、じゃあ吉本さんと同じ思考をする以外に解法がないのだとなると、非常に危うい。
大澤 一般的に考えると、鶴見さんの論の何がいけないのか疑問に感じるでしょう。「限界芸術論」などを書き、民衆運動を大切にした鶴見さんだって、大衆の味方だった。吉本さんより鶴見さんの言の方に、民衆や大衆の実はあると言えるかもしれない。考えるべきは、にも関わらず、吉本さんの批判は鶴見さんをも動かしている点です。どちらが正しいかというより、鶴見さんをも動かす吉本さんの思想のモチーフはどこにあるのか。
そこで鍵を握るのが、やはり「大衆の原像」です。私は最近、吉本の思想の中で「大衆の原像」は最も重要な概念のひとつだと思うようになりました。同時に、よくあることですが、最も重要な部分にその思想家の最大の弱点もある。あるいは、最も重要なものは原理的に把握できない。これは吉本に限ったことではありませんよね。
吉本さんの場合、思想に大衆の原像が織り込まれているかどうかが重要なのですが、肝心のその方法がよく分からないんです。「大衆の原像」とは、公式見解的に言えば、ただの「大衆」ではなく「原像」ですから、理念です。
ただ理念と言っても抽象的なものではなく、吉本さんの中には「大衆の原像」に具体的なイメージがあったように思えます。いわゆる一般的な大衆は、自分の基本的な生活感覚の外にあるものについて考えたりしない人たちのことです。吉本さんはそういう人々を「大衆の原像」に規定している。だから、思想を深めていくということは、必然的に、大衆の原像から離れていくということを含意している。井の中にいる時は大衆の一員でも、外と繫がると大衆からは離れていくことになります。しかしそれでも、原点に大衆の原像があることに、つまり井の「中」から出発することにこだわっている。こうしたねじれがあるので、大衆の原像はややこしい概念になってしまっている。
でも、そのこだわりがあるからこそ、吉本さんは独創的で説得力のある思想家になり得たのではないか。全集が完結して、今後は電子でも吉本さんの論考が読み続けられることを念頭におくと、「大衆の原像」という概念をいかにクリエイティブに救済できるかが大切になる。
橋爪 「大衆の原像」が、吉本さんの思想を読み継いでいくのに大事な論点だというのは同感です。
「大衆の原像」は、三つの要素を兼ねそなえていると思います。
①浮ついた言論や創作活動を批判する際の、手触りのある根拠
②手触りだけではなく、倫理的な基準
③「大衆の原像」という名前はあるけれど、それ以上の規定ができない
この概念は、「大衆の原像」など考えたこともない戦後知識人たちを批判するには大変有効です。「大衆の原像」とどのように距離を取るかで、言論や知的な態度を根拠づけたり批判したりできる。でも、だからこそ「大衆の原像」は制約であり、吉本さんの限界そのものでもあるように思うんです。
実際にこの想定で、自然科学や社会科学を考えてみたい。
自然科学が何かを論じるのに、「大衆の原像」を織り込んだり根拠にしたりするか。しないでしょう。研究者でも、近所のおじさんやおばさんでも、熟したリンゴは丸くて赤く見える。つまり、自然科学は「大衆の原像」がなくとも議論が可能なんです。しかも自然科学は、特定の言語や文脈に頼らずとも世界中で同じ概念を共有している。英語の“atom”と日本語の「原子」は、言葉こそ違えど同じものを示していますよね。つまり、人類普遍の知識です。こういう意味で、自然科学には「大衆の原像」が必要なく、しかも正しい。
では、社会科学はどうか。哲学、思想、歴史には普遍性があるので、自然科学と同じように言語に拘束されない事象を根拠として、概念を作らなければなりません。マルクス主義の例を挙げます。マルクス主義を構成する階級や労働、資本、上部構造と下部構造のような概念は、普遍概念は、どの国でも変わらない。ここまでは自然科学と一緒です。
でも、社会科学は必ずしも実験ができないので、それを正しいと「信じる」面があるのです。「信じる」のだから、いろいろな考えがありうる。さまざまな思想を持つ人びとがいる。日本で言えば、「西洋諸国でこのように考えているから、正しい」と思う人びとがいる。そして、「正しいか疑ってみたが、前提と論理を用いて理性的に考えてみた結果、正しいと認められたから正しい」と考える人びとがいる。社会科学者にはふた通りの人びとがいることになります。
前者に関しては、「大衆の原像」を織り込んでないと切り捨てることができる。後者が難しいんです。普遍思想による科学的な考察ならば、「大衆の原像」の出番はなくなる。大衆に納得してもらわなくても、正しいものは正しいと結論できる。そういうことを射程に収めて、吉本さんは自分の議論を組み立てたのか。私はそこに疑問が残る。
日本で文学や思想といった知的な仕事をする場合、「大衆の原像」を念頭におかなければ、吉本さん自身がその正しさを納得できなかったように思えます。吉本さんにとっては、「大衆の原像」は手応えのある実感で、自分の経験に即して「大衆の原像」にたどり着いたのでしょう。でも、それを後の世代や海外の人びとに理解してもらうのは難しい気がします。
大澤 吉本さんには常に、思想は何のため、誰のためにあるのかという視点があったように思います。その時に用いたのが「大衆の原像」であり、これを基準に良い思想は大衆にどういう意味があるのか、という観点で考えていった。だからこそ、今後吉本さんの著作を生産的に読み継承していくには、「大衆の原像」がなぜ吉本さんにとって重要な概念だったのかを押さえる必要がある。
吉本さんは中期、一九八一年に「最後の親鸞」【全集15巻】を書いています。親鸞の教えを吉本風に解体していく論で、親鸞解釈として正しいかはさておき、これも吉本さんの思想を理解する際に肝となる仕事でしょう。浄土真宗には、往相・還相という考え方があります。往相は浄土へ往生するための「行き道」、還相は往生した者が浄土から現世に還ってきて人々を救済する「還り道」という概念です。吉本さんにとって重要だったのは、言うまでもなく「還相」です。
吉本さんは還り道の倫理を考えていて、そうしたコンテクストの中で、たとえばオウム真理教による地下鉄サリン事件の後、かなり極論を述べている。新聞で「宗教家としての麻原彰晃を評価する」と語って激しく批判されたり、講演会で「親鸞なら、麻原でも往生できると言うだろう」と断定して、聴衆に衝撃を与えたりしています。吉本さんの麻原擁護には問題があると私も思いますが、このような、思想の尖がった部分を何が支えていたか、ということに興味をもちます。親鸞を考察した吉本さんは還相の思想として、「非知(への着地)」という概念を編み出しています。「非知」に着地するというのは、勉強して本を書いて思想を深めていくようなあり方ではなく、そのままの状態で大衆の中に還ることを指す。「井の中の蛙」や「大衆の原像」と非常に近しい思想です。
橋爪さんがおっしゃるように、「大衆の原像」は吉本さんの思想を支えるには曖昧で、弱い部分がある。でも、「大衆の原像」こそ吉本さん独自の議論を可能にしていた心臓です。たとえば、今述べた「非知」にしても、「大衆の原像」ということが視野になければ、理解できない。それを鍛え直し、どういった思想をつくれるかが今後、吉本さんの著作を面白く読み解く鍵になるでしょう。
橋爪 「大衆の原像」は、治安維持法の重しがなくなり、GHQの追い風に乗るような形で出てきた浮ついた戦後民主主義の知識人らのいい加減さを抉り出すために意味があった。戦後一〇~二〇年ぐらいの射程はある、戦略的概念ではあったけれど、後の世代の人びとにこの概念を継承できるか。それはやはり厳しいと思う。
吉本さんはミシェル・フーコーと対談をしていて、それをベースに「世界認識の方法」【全集17巻】を執筆しています。フーコーと吉本さんがどういう話をするのか、私は非常に期待していたのですが、実際はあまり議論が嚙み合わず、結論らしい結論がないまま終わってしまったんですね。冷静に考えると、その時のフーコーが吉本さんのことを詳しく知っていたとは思えない。吉本さん側からフーコーに対し、討論を投げかけることは可能だったはずですが、吉本さんはそうしなかった。だから、議論がぶつかる前に終わってしまったような、肩すかしの印象を受けます。
私はそれがあまりに残念だったから、主要な著作を英語やフランス語などに早く翻訳して世界に広めた方がいいと、吉本さんに直接言ってみたことがある。三〇年以上前のことだと思います。すると、私には意外な反応だったけれど、吉本さんは翻訳には消極的な姿勢だったんですね。大澤さんが言うように、客観的に見ても吉本さんは、「井の中の蛙に徹することで井の外に出る」仕事は十二分にされているんですよ。世界で吉本さんしか持っていないアイデアや知的生産がたくさんあるはずなのに、なぜご本人がそこを認めて誇りに思ったり、何語にでも翻訳してくださいと言ったりしなかったのか、今も気になっています。
橋爪 吉本さんも、自らの思想が日本語や日本固有の特殊な文脈に固まりすぎているという意識はあったんです。だから、「アフリカ的段階について」【全集31巻】などを書いている。日本で起こったことは、すなわち世界的な普遍性の中での出来事なのだから、日本に限定して考える必要はない。日本の大衆を根拠にしても、外の社会や思索に開かれていく通路はあるのだと吉本さんも考えたのです。そう述べるんだったら、その姿勢を貫いて、翻訳に積極的でよかった。吉本さんの仕事に尊敬と誇りを持っているからこそ、ご本人にそこまで謙遜されてしまうと、私も傷ついてしまうわけですよ。
大澤 吉本さんの著作の中で、まず何を翻訳すべきか。時代状況からは比較的独立したものがいいと思うので、「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「心的現象論」の三部作が筆頭になるでしょう。この中では最も分かりやすいのが「共同幻想論」、難解なのが「心的現象論」だと思います。後の世でも読まれるべき偉業だけれど、とはいえ「共同幻想論」も比較的分かりやすいだけで、確実に難解です。少なくとも他の言語に翻訳する前に、まずは翻訳可能なレベルまで日本語で読み解く作業が必須になります。そして、どれだけいい訳であろうと、海外の人にすぐに理解できるような明解さはない。このあたりが、吉本さんの著作の翻訳ハードルを上げているのかもしれないですね。
橋爪 かと言って、次の世代や海外の人びとに理解してもらうために、吉本さんの主要著作その他を分かりやすく解説した本をまず翻訳すべきかと言われたら、私は反対です。「吉本はこう言ったのです」みたいな注釈は余計で、まずは原文をそのまま訳すのがいい。 大澤さんも西欧の原典をよく当たられるからおわかりだと思いますが、アダム・スミスやホッブス、ヘーゲル、ヴェーバーなど、世界で初めて何らかの思想を生み出した人びとの著作は、正直言って読めたものではない。文体はひどいし、概念は混乱しているし、本筋から離れたところで思考が繰り広げられている。マルクスだって、『資本論』以外は読みにくいです。でも、だから古典なんですね。古典というものは、解釈しちゃいけない。原文をそのまま提供するのが一番正しい姿で、吉本さんの著作も同じです。まずは原典をそのまま読んで、それを理解し、衝撃を受けた人が出てきたら、その人が自分の半生をかけて解説をしたらよいんです。
大澤 先に吉本隆明の入門書を訳せばいいとは、私も思っていません。原文が訳されていなければ、入門書を翻訳しても意味がない。考えておきたいのは、文脈です。吉本さんは井の外に虚像を持たずという方向でやってきたけれど、西洋の思想を勉強しなかったのではありません。その逆で、相当に幅広く深いところまで学んだうえで、吉本さんの思想は孤高なんです。
たとえばヘーゲルの『精神現象学』なんてめちゃくちゃに読みにくく難解だけれど、カントの思想を踏まえての議論なのだと理解すると、格段に面白く読めるようになりますよね。西洋の思想は、古典の連鎖の中に置くように作られているものが多い。吉本さんの思想もマルクスやフロイトと繫がってはいるけれど、あくまで日本社会を軸に独自の思想を展開し続けました。そのために、他の思想家と比べて孤立度が高いんですね。どうすれば、吉本さんの著作が翻訳され世界で広く読まれるようになるかは今後、考えていきたいテーマです。
なぜなら、吉本思想に触発され、独創的な思索を鍛えていく人たちにどんどん出てきてほしいからです。そこで、吉本さんの思想を解説する必要はない。むしろ批判的に継承しながら、価値のある思想を生み出すことで、国内を超えて吉本さんの思想は広く読まれるようになるはずです。その時に、吉本さんがこだわった「大衆の原像」のモチーフがどのように読まれ、発展していくのかは気になるところですね。
橋爪 吉本さんの著作には、それぞれにモチーフがありますからね。たとえば「言語にとって美とはなにか」は、とても分かりやすい。まずは、社会主義リアリズムに対する拒否宣言です。また、表立って議論はされていないけれど、戦前の検閲や皇国史観、大政翼賛会のように、文学が政治的目的に貢献することへの拒絶宣言でもある。吉本さんは、文学には文学の価値があり、固有の論理を持っていると論証しています。
日本文学史を素材にこういう議論ができるのは、日本語に長い歴史があるからです。英語、フランス語、ドイツ語などヨーロッパの言語は、長くても五~六〇〇年の深さしかない。けれど、日本語や日本文学の歴史は軽く一〇〇〇年を超えます。この長さで文学の議論ができるのは、世界中をみてもごくわずかな地域に限られる。
その中で吉本さんは、文学固有の価値について論じ、文学を守ろうとしました。文学を守るとは、すなわち人間を守ることなのです。ここまで大きな構えで批評をした批評家は吉本さん以外にいない。大変な仕事です。
本来、テキストさえあればこのように豊かに読んでいけるはずですが、現代の人はみんな忙しいですからね。社会のことを考える暇などなく、自分の身の回りのことやスマホの中ばかりが気になって、戦後はますます遠のいてゆく。これはこれで、吉本さんの「大衆の原像」が新たなかたちで実現したとも言えるかもしれません。ですが、知的世界は大衆の原像とはまた違うリズムで動いていく。せっかく全集が完結したのだから、吉本隆明という大きなダイヤモンドの原石にインパクトを受けて、それを磨き上げる人が今後出てくることを期待したいです。
大澤 吉本さんの著作は面白いですが、間違いなく難解です。勉強しようと、「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」にいきなり取り掛かると、大きな壁にぶつかってしまう。最初は短い文章や詩作、講演録などから入ることをおすすめします。吉本さんは戦後最大の思想家である一方、文芸批評家であり、詩人でもあったので、江戸っ子のしゃべりが学問化したような面白さが読み物にはあります。しかも、ちょうど全集が完結したので、若い頃から晩年までの文章が読める環境が整いました。まずは読みやすいところから吉本さんの思想に触れ、完全に理解できなくてもいいので、ここには何か面白いものがあると次の世代にも感じてほしいです。(おわり)
★はしづめ・だいさぶろう=社会学者・東京工業大学名誉教授。著書に『世界がわかる宗教社会学入門』『戦争の社会学』『皇国日本とアメリカ大権』など。一九四八年生。
★おおさわ・まさち=社会学者。著書に『ナショナリズムの由来』『自由という牢獄 責任・公共性・資本主義』『三島由紀夫 ふたつの謎』『社会学史』『経済の起源』など。一九五八年生。
書籍
| 書籍名 | 吉本隆明全集 |
| ISBN13 | 9784794971012 |
| ISBN10 | 479497101X |
