2026/08/07号 3面

論潮・8月(高原太一)

論潮 8月 高原太一  本を一緒に読む場が、思わぬ緊張感に包まれたことがある。個人的に忘れがたいのが、六〇年安保闘争の総括として出版された『民主主義の神話』に所収された哲学者・梅本克己の論考「民主主義と暴力と前衛」を、大学院と学部の合同ゼミで読んだ際のことである。発表担当だった学部生が、論文の紹介を早々に放棄し、それよりも「この教室の雰囲気、なんか暗くないっすか」と述べた。  新入りだった私は、「たしかに」と思う反面、その場で唯一先生と呼ばれる教員の顔色を伺っていた。同時に、この「叛乱」に対して、私はどのように振る舞うのかが問われていた。おそらく押し黙ったままレジュメと課題文とを睨めっこしていたのだろう。ゼミの進行は、先生によって、きちんと梅本論文の中身について議論しようと収められ、「叛乱」は不発に終わった。それ以降、彼の姿を教室で見ることはなかった。否、私を含む、あの教室は、彼の要求に応じることがなかったのである。  今回の論潮をまとめるにあたって、十年以上前の苦い記憶を持ち出したのは、その学部生の問いかけが、大学やゼミの自治という課題と深く関わっていたのではないかと思ったからである。  もう少し、梅本論文に立ち入れば、学部生の「暗くないっすか」という指摘は、梅本による運動の総括とは無関係のものと切り捨てられたが、改めて読みなおすと、両者は根底で繫がっていたことに気づく。梅本論文も、学部生の「叛乱」も、自治という実践と関係性が立ち上がるのに必要な世界の再構築について、とりわけその世界が立ち現れる際には、どのような空気や思いが人びとのあいだで流れているのかを語ろうとしていたからである。  梅本は、安保闘争の最中に圧死した樺美智子の国民葬に集った若者たちの心中を、つぎのように考察した。「いく万の参加者の胸の中は、紙きれにかいたことばを聞こうとしているのではない。共通の出発点に立って、各人が各人の胸の中で洗われたもの、そのものをたしかめようとしてそこに集まっているのだ」。  なぜ人びとは、その場に集まってきたのか。集まることの本質的な意味が問われた。『世界』の特集2のテーマは「半径五〇〇メートルの自治」である。橋本和樹さんの論考「『自治』よりも、もっとずっと手前の」は、「自治」という関係性の「もっとずっと手前」に存在する行為や実践について語る。そもそも、精神病院で作業療法士として勤務する橋本に、なぜ自治が必要なのか。それは、橋本の切実な問いと結びついた一つの「要求」であった。「患者を支援するつもりで精神医療の分野に進んだはいいが、気がついたら管理ばかりしている。精神医療の現場では、少なくない数の人が、このようなジレンマを抱えながら働いている」(一六八頁)。  このジレンマを、個人の悩みとして解消していくのではなく、治療者と患者がともに向き合える問いへと変換するために橋本たちが取り組むのが、フランスでの歴史的な実践「制度による精神療法」に影響を受けた「精神病院の内側から自治を始めること」であった。具体的には、病院のなかに「言うことがある空間」と呼ばれる「人がさまざまな要求を出せる空間」の創出である。ただし、その「言うことがある空間」は、あくまでも「要求を投げ込める空間」であって、出された要求がすぐに通ることが保証されているわけでも、その要求を口にした者が、言ったことの責任として達成を求められるわけでもない。橋本たちが目指すのは、「大文字の『自治』よりも、もっとずっと手前にある、行為によって世界と自己がともに変わっていく手応えを感じることができるようになることなのかもしれない」(一七四頁)と、遠慮がちに明かすところにあった。それは、手応えという言葉が象徴するように、要求によって始まり、自分たちを取り巻く環境に働きかけることで、なにかを摑み取り、変わっていくことを実感することであった。橋本は、その感覚について自治の「もっとずっと手前に」存在するものとして大切にするのである。そして、この感覚を生み出す行為について、橋本はフランスのラ・ボルド病院で実践をおこなったジャン・ウリの概念を用いながら、「政治」とは区別された「政治的なこと」と位置づけた。  ほかの論壇誌からこの「自治」と「政治的なこと」の関係性について論じたものを探してみれば、『地平』で連載中の栖来ひかりさんの「台湾・麗しの島だより」番外編①「民主の花咲く台湾観光ガイド」がある。栖来は、台湾の「民主化」というまさしく「政治」に参加した結果、その舞台からはじき出された者たちが始めた「政治的なこと」に光を当てた。その一人である殷海光は、安保闘争と同じ一九六〇年に起きた雷震事件によって、書く場を失い、のちには大学からも追放された。この一九五〇~六〇年代の台湾を代表する自由主義の学者の自宅庭には、小さな丘が作られていた。その丘は、訪ねてきた友人や学生と自由な言葉を交わすため、不審な人物が近づいてきたことをいち早く察知できるように自身の手で開かれた空間であった。栖来は、殷によって「孤鳳山」と名づけられた丘について「『生きる場』を再構築し、『語る場』を創造する」のに不可欠なモノとして価値づけた(一七九頁)。  最後に取り上げたいのが、『現代思想』で連載中の森千香子さんによる「京都〈移民〉紀行」の第一六回「猫が集める人びと」である。ここでは、「政治的なこと」のエージェンシーとして猫に焦点が当てられ、猫とともに「自治」を営む人びとの実践が紹介されている。京都の都心から外れた町家が立ち並ぶ地域で、猫保護団体を創設し、猫シェルターや保護猫と泊まれるゲストハウスの運営をおこなう人びとと(当然ながら)猫は、それぞれに異なる要求を持っていた。森は、保護猫たちは、単なるケアの対象ではなく、人と人とを結びつける媒介にもなっていたことに気づく(二〇六頁)。そして、人間だけが都市を作っているわけではないことを京都での暮らしを通して実感するのであった。  文章を読むことは、デモに参加することに似て、「共通の出発点」に自身の手によって立つことといえるかもしれない。そのときに、おのおのの胸の中で洗われたものを、互いに確かめること。それは内省的という意味では、とても深く暗い。しかし「暗くないっすか」と問いかけた言葉のなかに含まれた他者への呼びかけは、決して陰鬱なものではなかった。その要求に向き合えなかった言葉の受け手が、言葉から彩度を奪ってしまった。しかし、「もっとずっと手前」と語る橋本の言葉は、何度失敗しても、またやり直しを許せる余裕とスペースのありかを指している。繰り返し試みても出来なかった末に摑むなにかこそ、手応えを感じるということである。それは自分のなかに芽生えた「新しい共存の感覚」(森千香子)のことでもある。(たかはら・たいち=成城大学研究員・戦後民衆運動史)