汐見夏衛『臆病な僕らは今日も震えながら』
中道 遥香
夜の底に一条の光が差すように、この小説は心に寄り添う。
本書は、声にならない想いを抱えた高校生たちの日常を、静かな筆致で描き出す物語である。
主人公・緒方きららは、灰色の世界を彷徨っている。「きらら」という、その名が放つ明るい響きとは裏腹に、彼女自身は光を抱くどころか、むしろ影に寄り添うように生きていた。眩しい名に追いつけない自分。名前だけが先を歩き、自分はその足もとで立ち止まっているような後ろめたさが、きららの胸に静かに沈殿していた。
さらに彼女には、「母の命と引き換えに生まれた子」という重い背景がある。
6つ上の姉や周囲の人々は励ましのつもりで言う。「お母さんの分まで、しっかり生きなきゃね」
けれどその言葉は、きららにとっては優しさの形をした鎖だった。姉には母との思い出があるのに自分には何もない。誰かの期待に応えようとするほど、自分という存在の輪郭がぼやけ、息苦しさだけが濃くなっていく。
そんな彼女を支えていたのは、幼い頃から見続ける「虹色の世界」の夢だった。現実の灰色とは対照的に、そこは淡い光が揺れている、不思議に美しい場所。夢が彼女を慰めているのか、呼んでいるのか、それすら分からない。ただ、その夢だけが、きららを静かに現実から救い上げていた。
絶望の縁に立つある日、きららは夢とまったく同じ光景を描く青年・芳川景と出会う。驚くべきことに、彼も、同じ夢を見続けていたのだ。孤独に凍りついていた心に、かすかな風が通り抜ける。二人はまるで、同じ形の影を抱える者同士の様に惹かれていく。
きららと景は、夢の正体を確かめるように、少しずつ互いの過去を開いていく。
沈黙、ためらい、触れられたくない傷。それは不器用で、形の定まらないものばかりだ。だが、自分の震えを知るからこそ、相手の震えにも耳を澄ませることができる。そんな関係が二人の間に生まれ、虹色の夢は次第に「謎から記憶」へと姿を変えていく。
やがて明かされる真実は、優しさと残酷さを同時に孕んだものだった。
夢は単なる夢ではなく、二人の過去を結ぶ光の残響であった。きららが抱える罪悪感も、景の胸の奥に沈む後悔も、互いの人生を静かに照らし合うかの様に繋がっていく。
臆病は決して「青春期だけの感情」ではない。大人へと歩む途上にある私たちにとっても、それは今なお切実な問いである。弱さを見せることは恥なのか。震えながらも誰かに手を伸ばすことは、果たして勇気と呼べるのか。臆病である自分を受け入れることは、どのように可能なのか。作品に刻まれた問いは、年齢や立場を超えて読者の心を刺し、揺さぶり続ける。
読後、胸に広がるのは静けさと温かさだ。震える自分を抱えたままでも、人は歩ける。むしろ震えの内側にこそ、まだ見ぬ未来を照らす小さな灯がある。
きららという名がかつて重荷だった様に、誰もが自分の中に「名前に追いつけない痛み」を持っている。けれどその痛みが、いつか歩みの光へ変わる日が来る。物語はそう語りかけてくる。
臆病であるあなたも、そのままでいい。
その声が、本を閉じた後も消えずに残り、次の一歩へと寄り添ってくれるから。
★なかみち・はるか=帝京大学文学部史学科2年。ニチアサ鑑賞と美味しいものを食べることが趣味です。この年になって初めて自分の部屋を持ったものの、いまいち使い方がわかりません。
書籍
| 書籍名 | 臆病な僕らは今日も震えながら |
| ISBN13 | 9784408556949 |
| ISBN10 | 4408556947 |
