2026/07/24号 10面

滅びゆく惑星で 12(増田俊也)

滅びゆく惑星で 第12回 増田俊也  真夏の向日葵には独特の匂いがある。畑の脇を通り抜けたとき、黄色い向日葵から、粉っぽくて青くさい、少し甘みのある匂いがふっと立ちのぼってくる。子供の頃から誰もが一度は嗅いだ覚えがあるはずだ。  だがそばにしゃがみ込んで観察していると妙なことに気づく。あの匂いは向日葵のものではないのだ。花に鼻を近づけてみても、思うほど強くは匂わない。花から立っているのはごくわずかで、大半は根方の湿った土から、葉裏の埃から、隣で伸びている雑草から、あたり一帯から発している。向日葵の匂いだと思っていたのは、向日葵が生えている場所の匂いだったというわけである。  匂いというのはそういうもので、目に見えないから誰のものかわからない。花の輪郭ははっきりあるのに、匂いには輪郭がない。花が主役に見えるものだから、周囲のものまでみな花のものだと勝手に決めてかかる。それだけの話である。  集団のイメージもこんなものだと思う。  小さいところではまず家族。「あの家は明るい」「あの家は暗い」と近所の人は言うが、実際に上がり込んで一人ずつ話してみれば、明るい家に沈んだ長男がいて、暗い家に朗らかな次女がいる。家全体の匂いは、玄関の花瓶の水と、台所の油煙と、たまたま近所で起きた事件と、母親のその日の機嫌が入り混じっただけのもので、家族の誰か一人を正確に写しているわけではない。  クラスの雰囲気もそうだ。荒れている、真面目だと言うけれど、その匂いの半分くらいは担任自身の緊張と、隣のクラスとの比較と、去年の学年で起きた出来事の残り香が作っている。生徒の顔ぶれが半分入れ替わっても、教室の匂いはそう変わらないものだ。土のほうが花よりずっと深いのである。  従業員百人の会社になるといよいよ露骨になる。社長の体調、経理の女性の性格、応接室の絨毯の古さ、去年辞めた社員の置き土産――それらが玄関先で混ざり合って「あの会社」の匂いになる。「風通しがいい」「あそこはブラックだ」と外は評するが、個々人の匂いはその総合のなかにすでに溶けてしまって取り出せない。新入社員が数年で似た顔つきになっていくのも、たぶんそのせいだろう。  国となればもう絶望的だ。「日本人は勤勉」「あの国は陽気」と語られる国民性の正体も、その土地の気候と、飯の匂いと、たまたま流行っていた歌謡曲と、政治家の答弁の癖が混ざり合って窓辺まで流れてくる、そういう混合物にすぎない。中で一生懸命に息をしている個人に、責任を問うても仕方がないのである。花を見て土の匂いを花のものだと思う。集団を見てその場の匂いを個人のものだと思い込む。真夏の畑で本当に嗅ぐべきは、向日葵の下の、あの黒く湿った土のほうなのだろう。(ますだ・としなり=小説家)