ベルリン散歩
フランツ・ヘッセル著
坂本 彩希絵
フランツ・ヘッセル。一八八〇年、シュチェチン(現ポーランド)生まれ、ベルリン「旧西」(ティーアガルテン地区)育ち。学生生活と嘯いてミュンヘンはシュヴァービングに仮寓。ゲオルゲ・クライスに出入りし、フランツィスカ・ツー・レーヴェントローと同宿、その後は第一次大戦勃発までパリで暮らした。本書でヘッセルが遊歩するのは戦後のベルリンである。この帰還した「ベルリンっ子」の目に、かつての街の姿がまるで蜃気楼のように立ち現れては交錯する。
現代の読み手であっても、ベルリンを多少なりとも知り、再訪を思い描くなら、一九二〇年代のベルリンを見つめたヘッセルの眼差しに、今なお好奇心を刺激されることだろう。例えば博物館島では何を見るべきか。旧博物館のロタンダに立つ古代彫刻は複製にすぎない。新博物館ではネフェルティティの胸像だけでなく、銅版画室にも時間を割くこと。アドルフ・メンツェルについては、『フリードリヒ大王のフルートコンサート』を探し回るだけでなく、ひっそりとした『バルコニーの部屋』や『ベルリン・ポツダム列車』のような「ベルリン的なものが永遠化されている絵画」の前でも足を止めたほうがよい(いずれも旧国立美術館所蔵)。世界的に有名な旅行案内書「ベデカー」が「一種の人民の合意」に基づく観光名所を教えるのだとしたら、その向こうを張るヘッセルはベルリン通に特化した水先案内人である。
土地勘を持たない読者には、むしろそれゆえに、ヘッセルが捉えるこの都市の歴史的レイヤーが際立って感じられるだろう。生きる喜びが溢れる「黄金の二〇年代」、巨大建築に名残をとどめるヴィルヘルム時代、そして、幼年期にはまだ辛うじて触れることのできた、あるいは後に書物から獲得した、素朴で真正なるベルリン。
ヘッセルが実際にそぞろ歩いたベルリンでは、共和国宣言と敗戦からおよそ十年、経済の復調を背景に、工場労働の活気とともに、多彩な消費文化が花開いていた。安定を知らない政局の中で、初代大統領エーベルトが死去し、大戦の英雄ヒンデンブルクが後継に就任して以降、ケスラー伯(『ヴァイマル日記一九一八-一九三七』の著者)ら共和主義者たちは、右翼保守勢力の復権に警戒を募らせていたが、ヘッセルは至って無頓着である。家庭用オイル印画の流行を語るついでに、ただひと言、二代目大統領(の肖像画)は「あまり人気がない」と呟くのみである。ヘッセルの関心は、産業建築の機能美の中で絶えず進行している生産にあり、西の新興繁華街クアフュルステンダムを闊歩するファッショナブルな女性たちにあり、そして、カフェとダンスホールの賑わいにある。
だが、このときのヘッセルはすでに知命の手前。その言葉でいえば「旧世代のベルリンっ子」である。新たな世代の洗練されたライフスタイルを手放しで賞賛するのは、前世紀への意趣返しなのかもしれない。彼が育ち、そして決別した軍国主義的プロイセンの遺物は、今なおその虚飾的威容を晒している。ヴィルヘルム二世時代の様式にヘッセルは辛辣だ。この最後の皇帝が改築させたベルリン大聖堂などは、不穏で、余計で、醜い。追放された君主家よろしく、撤去されてしまえばよいものを。そうすれば、「明るい茶色」(カフェオレ色)で統一された慎ましいベルリンが、密やかで古風なアポロやヴィーナスの彫像とともに、また姿を現すかもしれないのに。
知る人ぞ知ることだが、ヴァルター・ベンヤミンに街歩きを教えたのはヘッセルである。この二人は大変気が合ったらしく、プルーストの『失われた時を求めて』の共同翻訳も手がけた。ゆえに、この『ベルリン散歩』にベンヤミンが評を寄せたのも、ごく自然の成り行きだったのだろう。本書の巻末には、その書評「遊歩者の帰還」が訳出されている。つまり本書は、ヘッセルによるベルリンの重層的なイメージと、ベンヤミンの遊歩論の二つを一挙に愉しめる一冊なのである。(岡本和子訳)(さかもと・さきえ=長崎外国語大学教授・ドイツ文学)
★フランツ・ヘッセル(一八八〇-一九四一)=作家・翻訳家・編集者。シュチェチン(現ポーランド、当時はドイツ帝国領)に生まれる。著書に『パリのロマンス』(未邦訳)など。
書籍
書籍名 | ベルリン散歩 |
ISBN13 | 9784588011818 |
ISBN10 | 4588011812 |