2025/06/13号 3面

「第三帝国」以前の「第三の国」

「第三帝国」以前の「第三の国」 小黒 康正著 鈴木 啓峻  「第三帝国」と聞けば私たちはまず、ナチス・ドイツを思い出す。それは、一九三三年から一九四五年の間ドイツを支配し、方々で侵略戦争を戦い、ユダヤ人を虐殺したヒトラーの「第三帝国」である。むしろ、それ以外に何があるのか、というのが一般の感覚だろう。これに対し本書は、ナチスによって言わば悪い意味で有名になったこの言葉の「前史」を辿り、全体主義に回収されない豊かな広がりを持った「第三の国」の思想史を描き出そうとする。  キーワードについては少し説明が必要かもしれない。「帝国」あるいは「国」と訳されるドイツ語の「ライヒ」(Reich)は、小邦を意味する「ラント」(Land)を包括する上位の概念であるが、政治共同体の呼称にはおさまらない独特のニュアンスを持つ。「天にまします我ら父よ」で始まる「主の祈り」の冒頭で希求されている「御国」は「ラント」ではなく「ライヒ」、中世からナポレオンに滅ぼされるまで中欧に存在した神聖ローマ帝国も「ライヒ」である。したがってそれは、過去から続く歴史の「彼方」に到来する希望の「国」という宗教的な情調を込めて用いられる傾向がある。  では次に「第三」とは何か。ナチスの場合それは、神聖ローマ帝国(第一)、一八七一年にホーエンツォレルン家が統一し一九一八年まで続いたドイツ帝国(第二)に次ぐ、「第三」の帝国であると説明される。しかし、「第三」の淵源はそれよりずっと古い。十二世紀イタリアの修道僧フィオーレのヨアキムは、歴史を三位一体になぞらえ、紀元前を「父」の時代、紀元後から十二世紀までを「子」の時代、それ以降を「聖霊」の時代と考えた。ヨアキムが原型を作った「第三の国」論はその後、時々の社会への批判と救済の願望に鼓吹され、様々な形の黙示録的な思想や運動として繰り返し登場することとなる。その際、この「第三」がしばしば、歴史の最終局面という意味にとどまらず、相矛盾する二要素を第三項が止揚するという弁証法的な性格を付与されたことも見逃せない。このようにしてヨアキムは、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世、聖フランチェスコ、ダンテ、ヤン・フス、サヴォナローラ、トーマス・ミュンツァー、シェリング、ヘーゲル、マルクスらの思想に、何らかの形で影響を与えることとなった。  以上のことを踏まえつつ、本書が焦点を絞るのは、主に十九世紀から二十世紀にかけての思想家、芸術家たちである。直近では、ヴァイマル共和国初期に「保守」と「革命」の対立を越えた「第三の国」のヴィジョンを描き、ナチス「第三帝国」の名称にも示唆を与えたメラー・ファン・デン・ブルックや、ドイツの大学アカデミズムにおける「碩学」でありながら、一九三四年に著した書物の中でナチスの独裁体制に微妙な接近を見せたペーターゼンが取り上げられる。このように見ると「第三の国」はやはりいわゆる「右派」の思想にのみ親和性が高いように思われるかもしれないが、そうではない。同時代では政治的に対極の立場に属するエルンスト・ブロッホ、古くはレッシングの啓蒙思想や、ハイネ、青年ドイツ派の思想にも「第三の国」の型が存在したことが指摘される。そこへ、「背教者」と呼ばれたローマ皇帝ユリアヌスに「キリスト教」と「異教」の緊張と止揚を託して描いたフケーやアイヒェンドルフらドイツ・ロマン派の作家たちと、ノルウェーのイプセンが加わる。「第三の国」の影響がドイツのみに限られないこともまた、本書の重要な指摘である。カンディンスキー、メレシコフスキーらロシア由来の「第三の国」思想に加え、日本においても茅原華山なる人物が、ナチスなどまだ影も形もなかった大正二年に、民本主義と反植民地主義を掲げた雑誌の名前を「第三帝国」としていたことが紹介される。このように「第三の国」の広がりと魅力は尽きない。「第三の国」に興味のある向きはぜひ、本書を手に取られてはいかがだろう。(すずき・けいしゅん=大阪大学講師・ドイツ文学)  ★おぐろ・やすまさ=九州大学大学院教授・ドイツ文学。著書に『黙示録を夢みるとき』など。一九六四年生。

書籍

書籍名 「第三帝国」以前の「第三の国」
ISBN13 9784798503851
ISBN10 4798503851