2025/04/11号 4面

スコットランド常識学派からプラグマティズムへ

スコットランド常識学派からプラグマティズムへ 青木 裕子・大谷 弘編著 渡辺 一樹  「常識(common sense)」がいま、喧しく語られている。ドナルド・トランプは2025年の大統領就任演説において、「常識の革命(a revolution of common sense)」を宣言した。ここで注目に値するのは、「常識」ということばが、(おそらく日本語とは異なって)ある特別な威力をもつ事実である。「常識」は、それを語ることで議論を終わらせるような、最終的な根拠として用いられている。ここで、常識の威力は、ある種の集合知であることに依拠しているように思われる――みんなが共通して当然に思うことはただしい、ということだ。この集合知は、選挙によって確証されるのだろう。選挙の勝者は常識の勝者である。かくて、トランプやマスクは「革命」を宣言する。  とはいえ、このような考えには懸念があるのもたしかである。その最大のものは、集合的直観知に過ぎない常識が権威をもちうるのか、というものだ。噓に騙されたひとが何人集まろうと真理に近づくということはない。ましてや情報操作がかくも容易な状況において、そのような信頼を素朴に維持することは困難だろう。それは、巨大な資本投入と情報プラットフォーム操作によってもたらされた選挙結果なるものを、真理の端的なあらわれとみなすようなものである。  さて、本書は、このように威力をもちうる常識(コモンセンス)の哲学史を主題とする、稀有な研究である。哲学史研究においてしばしば見過ごされてきたスコットランド常識学派の内実、そしてそのアメリカへの「輸入」をつぶさに追跡する。アメリカを形作る思想は、ひとまずスコットランドにあったと言ってよい――植民地時代のアメリカ知識人の多くはスコットランドに留学し、スコットランドの知識人がアメリカに招聘された。本書が示すのは、常識哲学が、スコットランドからアメリカのプラグマティズムへと流入していった過程であり、さらにそれをとおして、常識概念が鍛え上げられていく知的歴史である。  本書が示す哲学史は、常識概念の眼目を歴史的・哲学的に証し立てている——常識の権威についての(先に示した)懸念に応答しようとする。すなわち、知覚においても倫理においても、探究の基礎としてある種の知というものが必要になるのだが、常識哲学は、その知を「常識」と名指すことで、懐疑主義に対する盾を構え、探究を基礎づけようとしたのである。(乗立論考によれば)そこには「反懐疑主義」がまずあり、それと(真理は改訂可能であるという)「可謬主義」が組み合わさって、批判的常識主義としての(パース的)プラグマティズムが生まれたのであり、それは、常識から科学的探究を出発させながら、その常識を改訂していくプログラムとなる(乗立論考と石川論考が示すように、この可謬主義の背景にはダーウィニズムがあった)。このような整理のもとで問題となるのは、直観知としての常識の信頼性が、知覚や言語については——言語行為(野村論考)や素朴実在論(大谷論考)において——成り立つにせよ、倫理的な事柄においても成り立つのかという点である。探究の基礎としての常識――それが認識と倫理の領域にまたがることで生じる、ある種のねじれが、本書では繰り返し問題になる(常識哲学の文脈をやや離れながら、一ノ瀬論考でもこれが扱われる)。  かくて、問いは「常識の革命」に対する疑念へと立ち戻る。人びとの直観知・集合知は、知覚についてもつような威力を、倫理についてはもたないのではないか。(乗立論考で)パースは常識主義を科学的探究の場面に限定したと指摘されるが、その限定はただしいようにも思われる。「見える」ことの証明は「現実に見ている」ことかもしれないが、「望ましい」ことの証明は――J・S・ミルの想定に反して――「現実に望まれている」ことではない。この飛躍を埋めるためには、(青木論考が示すように)「真正のコモンセンス」、つまり、少数の高度な判断力をもった人びとの集合知という形で常識を一段高度に解釈するか、あるいは(小畑論考が示唆するように)「啓蒙時代の道徳観」として、(菅谷論考が歴史的に示すように)人間本性や共感能力といった概念とともに常識を理解するといった理路がありうるだろう。とはいえ、評者はこのような手立てについては悲観的であらざるを得ない――われわれの情況と歴史は、その失敗を端的に示すものであるように思われるからである。(大谷弘・菅谷基・野村智清・小畑敦嗣・青木裕子・石川敬史・乘立雄輝・一ノ瀬正樹執筆)(わたなべ・かずき=東京大学大学院人文社会系研究科博士課程・道徳哲学・政治哲学)  ★あおき・ひろこ=中央大学教授・政治思想史。著書に『アダム・ファーガスンの国家と市民社会』など。  ★おおたに・ひろし=東京女子大学教授・現代哲学・西洋哲学史。著書に『道徳的に考えるとはどういうことか』『ウィトゲンシュタイン』など。

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