滅びゆく惑星で 第7回
増田俊也
名古屋のあたりでは、カブトムシやテントウムシ、カナブンなどが飛んでいくことを「はたらく」と言った。少なくとも私の子供のころにはそう言う老人たちがいた。「蓋しとかんとはたらいてってまうで」――蓋をしておかないと飛んで逃げてしまうぞ。昆虫を飼う子供たちに、そう注意した。
どんな字を当てるのかは知らない。小学校時代に耳から聞いただけの言葉で、しかも使っていたのは当時の老人たちだけだったから、今となっては誰に確かめることもできない。
おそらくは「働く」であろう。なぜカブトムシが飛んでいくことを働くと言ったのか、これがどうにもわからない。
考えはじめると、いくつかの筋道が浮かぶ。一つは、虫が「じっとせず動きまわる」その様子を、人間の労働になぞらえたのではないか、というもの。古い日本語の「はたらく」は、現代のように賃金労働だけを指す言葉ではなかった。震えること、動くこと、機能すること――例えば刀がよく「はたらく」と言えばよく斬れるという意味になり、薬が「はたらく」と言えばよく効くという意味になる。であれば、虫籠の中で羽を震わせ、隙あらば外へ飛び出そうとするカブトムシの、あの執拗な動きを「はたらく」と呼ぶのは、むしろ語の本来の使い方に近かったのかもしれない。
もっと素朴に、虫が虫としての仕事をしている、という感覚かもしれない。カブトムシにはカブトムシの務めがある。樹液を吸い、交尾をして卵を産み、夏のあいだに次の世代へ命をつないでいく。籠の蓋を開ければ、彼らはためらわずそちらへ向かう。子供にとっては「逃げる」ことでも、虫の側から見れば「働きに出る」ことなのだ。当時の老人たちの感性はそう捉え、子供が囲い込もうとする小さな命に勝手なふるまいを認めていた。
そう思うと、「はたらいてってまう」という言い方には、ほのかな諦めと、わずかな祝福のようなものが混じっていた気がしてくる。蓋をしておかないと逃げるぞ、と言いつつ、本当に逃げてしまっても、それは虫の働きなのだから仕方がない、というような。
しかしこれらはすべて、私の後付けの解釈にすぎない。本当のところは、もう確かめようがない。あの言葉を使っていた老人たちはとうに鬼籍に入り、彼らから聞いた私の世代も、子供たちにこの言い回しを伝えなかった。耳から耳へと渡ってきた一語が、私のところで滞り、やがて私とともに消える。
地方の言葉は、こうして音もなく失われていく。辞書には載らず、文献にも残らず、ただ誰かの記憶の隅でひっそりと震えているだけの言葉が、いったいどれほどあるのだろう。私が「はたらく」と書いて伝えようとしているこの一語も伝わったかどうか心もとない。誰かが蓋をもう開けてしまったあとなのかもしれない。(ますだ・としなり=小説家)
