アメリカはなぜイスラエルを支援するのか
佐藤 雅哉著
溝渕 正季
二〇二六年二月末、アメリカとイスラエルはイランに対する大規模攻撃に踏み切った。だが戦争は短期決着には向かわず、イランは非対称戦によって予想外の巻き返しをみせている。ホルムズ海峡は機雷敷設や通航妨害によって事実上の封鎖状態に置かれ、世界のエネルギー市場と物流は大きく揺らいだ。さらにイランは、(イスラエルに加えて)米軍基地を受け入れている湾岸諸国に向けて無差別ともいえるミサイル攻撃を実施し、軍事的圧力を強めることで、アメリカに直接対抗するのではなく地域全体を人質に取るかたちで交渉力を確保しようとしている。この戦争は中東の一紛争にとどまらず、国際経済と世界秩序を揺るがす巨大な地政学的危機となった。そしてなお、和平への道は遠い。
しかし不可解なのはアメリカの攻撃事由だ。イランはたしかに中東における手強い敵対国であり、核やミサイル、武装勢力支援を通じて地域秩序を不安定化させてきた。とはいえ、少なくとも開戦時点で、イランはアメリカ本土を直接脅かすような実存的脅威ではなかった。しかもトランプ政権は、イラクやアフガニスタンのような「終わらない戦争」を批判し、それを終わらせる政権として発足したはずだ。二〇二六年二月に再開された米・イラン交渉でも主導権を握っていたのはアメリカ側であった。それでもなお攻撃に踏み切ったとすれば、そこに第三の当事者――つまりイスラエル――の強い影響をみないわけにはいかない。
この意味で、佐藤雅哉『アメリカはなぜイスラエルを支援するのか――揺れ動くまなざしの歴史』は、きわめて示唆に富む一冊である。本書の特徴は、アメリカ・イスラエル関係を、単なる国際戦略や「イスラエル・ロビー」の影響だけで説明しないところにある。著者は、アメリカ社会が長い歴史のなかでイスラエルをどのように見てきたのか、その社会的・文化的な「まなざし」の変遷に注目する。建国期には宗教的想像力や開拓者国家への共感の対象であり、冷戦期には反共戦略の拠点、自由と民主主義の模範とみなされ、近年では「対テロ戦争」の前線基地として語られてきた。キリスト教福音派にとっては、聖書の予言の成就という宗教的意味も与えられている。本書は、このように時代ごとに変化してきた様々なイスラエル像が幾層にも積み重なることで、アメリカにおけるイスラエルの特別な位置がつくられてきたことを丁寧に描き出している。
その上で本書が示すのは、そうしたイスラエル像は、イスラエルそのものの姿というより、アメリカが自らの価値観や願望を投影してつくり上げてきたイメージでもある、ということだ。この指摘は興味深い。アメリカはイスラエルを、現実の複雑な国家としてそのまま見てきたのではなく、自らにとって都合のよい側面を選び取りながら理解してきた。だからこそ、イスラエルを「自由」や「民主主義」の体現者として語り続け、その現実がそうした理念とかけ離れている場合でさえ、その像を修正しようとしない。自衛とは言いがたい行動までも「自衛」として正当化しつづけるとき、そこには認識の歪みが生まれる。そして著者が示唆するのは、その歪みはイスラエル理解をゆがめるだけでなく、ついにはアメリカ自身の対外認識や自己像までもゆがめてしまう、という点だ。
本書は現在の危機を理解するための重要な手がかりである。いま私たちが目にしているのは、イスラエルの脅威認識が、しばしばアメリカ自身の合理性を越えてその対外行動を方向づけていく光景だ。本書は、その背後にある歴史的・感情的・観念的な厚みを教えてくれる。そして読後に残るのは、その理解ゆえにこそ、アメリカのイスラエル支援が中東情勢と国際秩序の不安定化に深く関与してきたのではないかという感覚と、それが容易には動かしがたい構造であるという認識、あるいは一抹の無力感だろう。本書は、現在の中東情勢を考える上で欠かすことのできない一冊であり、広く手に取られるべき書物といえよう。(みぞぶち・まさき=明治学院大学教授・政治学・国際関係論)
★さとう・まさや=愛知県立大学外国語学部准教授・アメリカ現代史。分担執筆に『「法―文化圏」とアメリカ』『激動期のアメリカ』など。
書籍
| 書籍名 | アメリカはなぜイスラエルを支援するのか |
| ISBN13 | 9784815812263 |
| ISBN10 | 4815812268 |
