1959/01/01号 3面

1959年架空ルポルタージュ 愛知用水試験農場 ぼくの背丈よりも高くて、逞しい稲が生えてたがー

ほととぎす大竹藪を洩る月夜 こいつは色蕉の旬だったかな。わたしは、両側から竹かすすきのような葉が頭の上におおいかぶさって、昼なお暗い小路に立って、ちょっとそんなことを考えた。というのは、絶えず烈しい風が吹いてきて、頭の上の梢をゆすぶるが、そのたびにチラチラと日光が斑をなしてさしこんだからである。 もっともほととぎすではなくて、すざまじいゴウゴウたる通風音がたしかにきこえているのだが、ほととぎすの声など、今ではほとんどだれも知らないから、あのゴウゴウザアザアという音をほととぎすとしておいても、異議を申立てるものはないにちがいない。 「これは、すばらしい竹藪ですねえ」 と、うっかりわたしは案内係のM子さんにいってしまった。が、そんなにうっかり発言してはいけないのであった。なぜなら、この農事試験所に入ると同時に、クイズがかかっていたからである。三問中二問正解を出したら、次のヴァンガード実験の際、猿について、人工衛星の中に入って十万度の上空を旅行してくる権利が手に入ることになっていた。 もちろん、猿が空気中にもどる際、摩擦熱で燃失してしまったから、わたしも燃えうせるかもしれないが、今のわたしはジヴァコ博士とおなじく憂鬱のとりこになっていて、もしプラウン博士の計算に百万分の一の誤差があって、そのために大気突入の際に高熱に耐え切れずに衛星と一しょに消滅しても、後悔することはないのである。 わたしは、月世界の土地予約買売の際にはうっかりしていて、一坪も買わないでしまったけれど、宇宙旅行の最初の人になりたかった。だからこのクイズの第一問をまちがえたら、ことだ。 しかしM子さんは、「話の泉」や「二十の扉」のアナウンサーのように冷酷ではない。片顔にいくらか嘲りの微笑を浮べたが、何もきかなかったようなふりをしてくれた、とわたしは思った。 これは竹じゃねえんだ、とわたしは考えた。そこで声を大きくして、答をいった。 「サトウキビです」 今度は、彼女はあわれむような眼でわたしを見た。第一問は失敗したらしいぞ。なるほど、やや黄色がまさって、その竹でもサトウキビでもないが、それらに似た藪は、うっそうと茂って、どこまで続いているか、果て知れなかった。しかも幹と幹とのあいだがぎっちり重なりあっていて、人間の通りぬける余地など一歩もなかった。 それが一本だけ立っていたら、わたしはそれにするするとよじ登って、M子さんにわたしの木登りの名人ぶりを見せたかったが、そんな余地のないほど、ぎっしり茂り合っているのは残念の極みだった。ああ、わたしのすばらしい男性ぶりを発揮するチャンスがない! しかもその竹ともサトウキビともつかない植物の頂きには、黄金色に輝きながらクルミがたわわと重く垂れさがっているのが見えるではないか。食い意地のつよいわたしは、案内の女性の存在も一瞬忘れて、つばをのみこんでしまった。 「すばらしくたくさんなっていますね」 とわたしは、頂の黄金のクルミの実の列を見上げながら、感嘆しないわけにはいかなかったのである。 「モルガン主義の勝利ですもの。反収四万石は確実ですわ」 M子さんはカトリック大学出身らしく、愛想はあるけれど、優しがたい気品と誇りとをもって答えた。 そのとたん、わたしは、じぶんがダレス衛星田のルポをとるためにやってきたというおのれの使命をやっと思い出した。 ところで、くり返すが、どうしてもこれはサトウキビでも竹でもない。 「おそらく、新植物学で発見された第三種植物の一種で、主として通信連絡のために用いられているラヂオ草ではないか」 と、わたしは気がついた。こんなわたしでも一応新聞記者である。少しは勉強しているのだ。 この想像はたしかに当っていた。 この藪を切り拓いた中心地に、ガラスの大温室があった。そして、そのなかには三人の白衣の男女がいて、例のラヂオ草にハンダづけをしたり、スピーカーをつけたり、真空管を差込んだりして、熱心に作業をしていた。 すると彼らの前のスピーカーから、かすかな音楽のような声がもれてくる。 「ヨシ子さん、あなたの手紙を読みました。わたしも、あなたと同じように、この大地の上に新しい革命の兆しが見えつつあるような気がしてなりません。セシウムとストロンチウムとが、あなたの胸の中で愛し合っているのがわたしにも感じられます」 ラヂオ草の交信はつづいていた。やはり、これはラヂオ草の大密林だったのだ。少しぐらいの電離層の変化では、いささかも音が混濁しないように、大地に根を張ったラヂオ草に電波を伝えるところが、この実験の目的であったのだ。 なるほど、クルミと見えたのは、あれが新式のキャパシターの集合体だったのか。それにしても、うまそうなクルミだなあ。ほんとにあれを喰っちゃいけないのかしら。 このように考えながら、わたしは、白衣の若い技師の顔をのぞきこむようにして、温室のなかを歩いていたのだったが、ふと、わたしのうしろのほうでガラスをこするようなかすかな声が聞こえた。 「むすめさん……むすめさん……」 ふりかえってみると、まっ青な顔をしてガラスのむこうをのぞいているM子さんの姿が、ありありとそこにあった。あわててわたしは彼女のそばに寄った。 「どうしました?」 わたしのこの尋ねかたは、まちがっていた。 なぜなら、ガラスのむこうに一人の女がいたのである。その女がガラスにへばりつくようにして立っていた。わたしは、そのときのM子さんの姿が、あまりにもふしぎで異様だったので、気がつかなかったのだ。 「どうしました?」 これは、もちろん、むこう側にいる女に対して尋ねなければならない言葉だった。 すると、その女がうすく笑っていった。 「わたしは、むすめさんに、お礼を申したいのです」 「お礼って、わたしに?」 M子さんは眼を見張った。 女は、ゆっくりうなずいていった。 「あなたは、わたしに眼をくだすった。ありがとうございます。わたしは、もうすぐ、空を飛べるのです」 「空を……飛ぶって?」 わたしが口をはさんだとたんに、M子さんはふりかえって、わたしをじろりとにらみつけた。わたしは、それっきり、口をつぐんでしまった。 「そうです。飛ぶのです。風船のように」 女の顔は、うれしそうだった。 「あなたが、わたしに眼をくだすったので、わたしの体は、だんだんに軽くなりました。いまでは、体重が一グラムもないのです」 「そんなことって、あるのかしら」 M子さんは、すこしこわごわといった。 「あるのです。わたしは、もう体がないのです。ほら、ごらんなさい」 女は、右手をすっとあげた。 そのとたん、M子さんは「あっ」と声をあげた。 「ない……」 右の肩から先が、影のように薄れていて、たしかに手の形はあるのに、そこには皮膚も骨も血もなかった。 「もう少しです。あと一時間したら、わたしは飛べます」 女は静かにいった。 その顔には、恍惚とした光が浮かんでいた。 わたしは、にわかに寒気をおぼえて、すこしだけM子さんの肩に近づいた。 すると、女はまた口を開いた。 「わたしはね、もとは風の中の子だったのですよ。高い高い空の上を、ふわふわと漂っていました。それが、ある日、ひとつの地球に落ちてしまって、こうして人間になってしまったのです」 M子さんは、黙ってその女を見ていた。 「でも、もうすぐ、また風の中に帰ることができます。いま、地球では放射能が強くなってきて、みんな体が軽くなりつつあります。あなたも、いずれ飛べるようになりますわ」 「わたしが?」 M子さんの顔が強張った。 女はうなずいた。 「そうです。だから、あなたがくださった眼、たいせつに使わせていただきます」 女は、ガラスの向こうで、深くおじぎをした。 M子さんは、もうなにもいわなかった。 わたしも、なにもいえなかった。 ただ、吹きすぎる風の音だけが、ゴウゴウと鳴っていた。