2026/07/10号 8面

追悼=カルロ・ギンズブルグ(上村忠男)

追悼=カルロ・ギンズブルグ 半世紀にわたって対話を交した日々 上村 忠男  カルロ・ギンズブルグさん、あなたが逝去なさったとの報に新聞各紙のニュースで接したときには驚きました。死去なさったのは六月一六日夜から一七日未明にかけてボローニャの自宅でだったとのことですが、一〇日前にはあなたからアッカデミア・デイ・リンチェイで五月に発表なさったというマルク・ブロックにかんする「議論を続行するために」と題するテクストが送られてきたばかりでした。それだけに、ほんとうにあの世に逝ってしまわれたとはいまだ信じられません。  想い起こせば、わたしがあなたとのあいだで歴史認識の可能性と限界をめぐって批判的な対話を始めさせてもらってからすでに半世紀になりますね。二〇二二年九月、フランスのスリジーであなたの仕事をめぐってのシンポジウムが開催された折、主催者から求められて寄せたあなたとの出遭いについてのノートでも記しましたが、一九八一年春、文化人類学者の山口昌男さんが哲学者の中村雄二郎さんとの共著『知の旅への誘い』で、フランス語訳が出たばかりのあなたの『ベナンダンテたち』(一九六六年)と『チーズとうじ虫』(一九七六年)の二著を紹介しておられたのがきっかけでした。  興味をそそられたわたしはさっそくイタリア語の原書を取り寄せました。そして夏休み一杯をかけて読み終えましたが、たしかに二著ともじつに斬新で刺激的でした。なかでも瞠目させられたのは、山口さんの指摘しておられる「周縁への旅」をとおしての「埋れた〈世界〉との出遭い」という点もさることながら、その旅の過程で対象に迫ろうとして採られている、あなたが一九七九年の論考「証跡」で提出なさった造語を使わせていただくなら、まさに〈徴候解読的〉と呼ぶのがふさわしい独特のテクスト読解の方法でした。  しかし、お互いのあいだで直接的な対話が始まったのは、サバトの根源を探し求めてのあなたの旅の報告『夜の歴史』(一九八九年)についてのわたしの所感「歴史家と母たち」(『思想』一九九一年五、六月号)を、当時あなたのところに留学していたわたしの教え子・森泉文美さんがイタリア語に翻訳してあなたに手渡してくれたときでしたね。わたしが学問論的な関心からヴィーコの『新しい学』に取り組んでいることをあなたがお知りになって、これをきっかけに二人のあいだの親近感が一挙に高まったのが、いまでも懐かしく想い起こされます。  それ以後もわたしはあなたが歴史の書き方をめぐって次々に繰り出される思考実験に驚嘆しながら、それらを披瀝なさっている論考や著書の訳出・紹介に努めるなかで、あなたとの批判的対話を重ねる機会に恵まれたことは、わたしの人生にとってまことに得がたい経験でした。  また、あなたが『木の目ん玉――距離にかんする九つの省察』(一九九八年)の序言でロスアンジェルスでの教育経験に触れ、「文化的帰属と結びついたものである親密さということは理解のための重要な基準ではありえないということがよりよくわかった」として、「世界全体が故郷だというのは、どこもが同じだということではない。わたしたちはだれでもみな、なにかやだれかに出遭っては、そのたびに異郷にいるような落ち着かない心地になるということなのだ」と述べておられるのも、嬉しい驚きでした。  それと申しますのも、このあなたの一句は、まずもって、あなたも敬愛しておられるエーリヒ・アウエルバッハが晩年に著わしたエッセイ「世界文学の文献学」(一九五二年)の結びのくだりを想起させます。「わたしたちの文献学の故郷は地球である。もはやネーションではありえない。たしかに文献学者が受け継ぐ最も貴重で欠かせないものは依然として彼自身のネーションの文化と言語である。しかし、それはそれから身を切り離し、それを克服することによってはじめて、有効なものとなる」と述べられているくだりです。  と同時に、このアウエルバッハのエッセイのうちに今日のポストコロニアルな状況のもとにあって世界と切り結ぶ批評家のひとつの理想型を探りだそうとした、ニューヨークのコロンビア大学で比較文学を教えていたパレスティナ・アラブ出身の批評家、エドワード・サイードのことをも想起させます。  そうであってみれば、サイードによって見いだされた批評家の境位を指して、わたしはミシェル・フーコーが一九六七年にチュニスでおこなった講演で用いている言葉を借りて「ヘテロトピア」というように規定しましたが、あなたも、距離についての省察をわたしのいうヘテロトピア的批評主体の定位へとさし向けようとしていたとみてよいのではないかと思った次第です。ちなみに、サイードはヴィーコを「わたしのヒーロー」と呼んでいますが、わたしにとってはヴィーコと並んでサイードも批評家として世界に対峙していくうえでのかけがえのないヒーローなのです。  ギンズブルグさん、それにしても残念な訣れですね。いまはただ心安らかであられんことを祈るばかりです。(うえむら・ただお=東京外国語大学名誉教授・学問論・思想史)  カルロ・ギンズブルグ=イタリアの歴史家。六月十七日に亡くなった。八七歳だった。一九三九年、イタリアのトリーノに生まれる。ピサ高等師範学校専修課程修了。ボローニャ大学・近世史講座教授などを務める。