ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 430
様変わりした各国の映画祭
JD ギュスターヴ・ドレの挿絵は、単なる物語の説明ではなく、物語以上のものになっています。言うなれば、ドレの絵が主役となり、物語が副次的なものになってしまっていたのです(笑)。それは本当にいい瞬間です。過去の芸術が乗り越えられ、新たな芸術が生まれた瞬間だからです。過去に対する敬意を払いながらも、新たに作り出される芸術は、私以外の人も面白いと感じるはずです。
HK そうした「新しさ」が、『カリビア』や『神曲』といった映画には欠けているということですか? イタリア映画は、グリフィス以降もフランチェスカ・ベルティーニの主演作品など、「メロドラマ」が多く作られます。ナポリの海岸や金持ちの邸宅で、女優が仰々しい身振りの演技をする作品でした。
JD 初期のイタリア映画は、長年にわたり大衆娯楽としての一面が強かった。それ自体に対して、批判はしません。そうした映画を好む人がいてもいい。ただ、今日では、非常に古びたものとして見えます。骨董品を愛でるようなものです。イタリア映画が真に面白くなったのは、ロッセリーニ以降のことです。つまり戦後のネオレアリズモの時代からである。もちろん、それ以前でも、それなりに面白い映画を作っている監督はいました。イタリアには長年にわたり、真に重要な喜劇が存在していました。その影響下で、面白い映画も作られてはいたのです。それらはよくできた娯楽です。そうした喜劇は戦後においても発展を遂げ、とても面白い。エットレ・スコラやディノ・リージといった監督に引き継がれていったのです。しかしながら、彼らとロッセリーニやパゾリーニを同じレベルで考えることはできません。
ところで、どうして私たちは、イタリア映画について話をすることになったのでしょうか?
HK 「作家主義」について話をしていた中から、議論が発展したのだと思います。そして、ルノワールの『坊やに下剤を』の特異さを説明するために、イマジナリーラインの話がありました。イマジナリーラインとモンタージュとは何かを説明するために、グリフィスの話もありました。グリフィスが、なぜ映画芸術の起源なのかを説明するために、パストローネとの比較もなされました。
JD だいぶ遠くに来てしまった(笑)。しかし、大した問題ではありません。それどころか、ロッセリーニやパゾリーニが、ルノワールの映画の素晴らしさと繫がっているところがあるという話が重要です。初期のイタリア映画は、一筋縄ではいかない。イタリア人たちが、自国の映画に情熱を傾ける理由もわかります。私は、何度もボローニャの修復映画祭から招待を受け、講演に訪れたことがあります。その場には、骨董品風の映画を好む人が実にたくさんいました(笑)。修復というのは、イタリアのお家芸のようなものです。あの国は、ローマや諸々の遺跡を発見し、修復して、再発見しました。何かを付け加えることでやりくりしてきたということです。絵画や演技に関しても、同じことが言えます。芸術と歴史が非常に近いところにあるわけです。
ちなみにボローニャの映画祭は、世界で最も訪れるべき映画祭です。修復されたばかりの過去の名作ばかりが上映されるので、とてつもなく悪い作品に行き当たり、後悔するといったことがありません。カンヌなどでは、見たくもない作品を見なければいけないことも多い。そして何よりも、ボローニャの映画祭は食が良い(笑)。映画のついでに美食を楽しむことができるのです。食事の合間に、映画を見に行くことができる映画祭だとも言えます。カンヌの食事はあまり良いものではありません。ベネチアの映画祭は、会場が本島から離れていて、映画祭に集中させられている感じがあります。ベルリンはドイツなので期待はできませんし、ロカルノやその他の諸々の映画祭も、決して食事には期待が持てません。今日の映画祭はどこも似たようなもので、映画を見に行くだけになってしまった。ボローニャだけは、往年のカンヌ映画祭が持っていた雰囲気が少しだけ残っています。一度は訪れてみるべきです。 〈次号へつづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)
