2026/07/31号 5面

筆耕屋だんまり堂

祥伝社文庫
祥伝社の文庫 筆耕屋だんまり堂 麻宮 好著 麻宮 好  ――墨の話を書きたいんです。  こんな私の漠然とした思いを、祥伝社の担当編集者さんは掬い取ってくださいました。  なぜ墨の話を書きたいと思ったのか。墨そのものは消えてしまうけれど、記された文字は残ります。儚さと強さの両面を表現できたら、と考えたのです。  そこから話が広がり、主人公は口の利けない筆耕師の水沢数馬。タイトルは『筆耕屋だんまり堂』となりました。  ただ、最初の発想を捨てるのはもったいない。そこで、数馬の仕事道具に命を吹き込むことにしました。古墨の「スミばあ」、硯の「お海」、文鎮の「龍翁」です。  心理学的には「イマジナリーフレンド」というのでしょうか。子どもがぬいぐるみに名をつけるように、大人も大事に使っているものを擬人化することがあります。昔の話になりますが、私の友人は初めて食器洗い機を買ったとき、「洗いちゃん」と名づけていました。家事の負担が軽減した嬉しさがそんなネーミングになったのでしょう。  本作の「スミばあ」たちも、口の利けない数馬の心象風景を映すものとして描かれています。  そんな物語の舞台は江戸の深川。主人公の数馬は上州のとある藩の奥右筆の家に生まれました。兄の駿馬が拝領屋敷を火事にして水沢家はお取り潰し、次男の数馬は兄夫婦の娘、春佳を連れて江戸へ出て、代書で生計を立てています。お喋りで賢い姪の春佳は、数馬の大事な相棒です。  ただ、これだけでは面白みが足りないかも。そこで、私は数馬から声を奪う代わりに、別の力を与えました。それは、文字に触れると、それを書いた人の心が読めるというものです。  口の利けない数馬は話し言葉では人とつながれない。でも、書き言葉を通してたくさんの人とつながっていくのです。  例えば、第二話に登場する早飛脚の平吉は、近所の子どものために代書を数馬に頼みます。実は、平吉は心に大きな傷を負っていました。その傷を癒すために数馬は真心をこめて言葉を紡ぎます。そのことを平吉は知りません。けれど、数馬の真心は言葉を通して伝わります。不器用な早飛脚は真摯な言葉で救われるのです。  では、現代を生きる私たちは、言葉で人とつながれているでしょうか。雑な言葉や尖った言葉で、人を無意識に傷つけてはいないでしょうか。つながるどころか、言葉で人との関わりを断ち切っていないでしょうか。  耳を塞ぎたくなるような、目を覆いたくなるような、そんな言葉が世の中には溢れているような気がしてなりません。  言葉は祈りにも呪いにもなる。願いと自戒をこめて、日々物語を綴っています。  ありがたくも二巻、三巻、と連続刊行をさせていただき、ただいま四巻の執筆中です。書いている本人も、この先どうなるのだろう、とわくわくどきどきしております。  これもひとえに読者の皆様のお蔭です。心より感謝申し上げます。  この物語を通して読者の皆様とつながれたら、こんなに嬉しいことはありません。(あさみや・こう=作家) 新刊・近刊ピックアップ 新 本所おけら長屋(五) 畠山 健二著  本所亀沢町にある貧乏長屋――おけら長屋に暮らす便利屋の万造と松吉、通称「万松」コンビのもとには、いつも〝珍〟事件が持ち込まれる。お節介で個性豊かな住人たちが解決のために動き出すと、事態は思わぬ方向に……。彼らの起こす騒動に、思わずクスッと笑い、気づいたらぽろぽろと泣いている。それが、江戸の庶民の粋と人情に溢れたおけら長屋シリーズだ。  五作目となる本書も、様々な事件が巻き起こる。  逃げたウグイスに懸賞金が! 金に目がくらんだ万松だが、思わぬ依頼が舞い込んで……「うぐいす」。田舎者だとバレたくない、江戸っ子かぶれの男の奔走「いきはじ」。関わると怪我をする?ある小料理屋の美しい女将の秘密に触れる「かたのは」。主人の娘との縁談が持ち上がった手代、しかし彼は元罪人の女を愛していて――恩義とのはざまで苦悩する恋人たちの「しがらみ」。  読んだらきっと、おけら長屋に住みたくなるはず。(既刊・902円・祥伝社)

書籍

書籍名 筆耕屋だんまり堂
ISBN13 9784396351670
ISBN10 4396351674