2025/10/10号 3面

魂の文化史

魂の文化史 コク・フォン・シュトゥックラート著 加藤 喜之  「魂」あるいは「霊魂」(プシュケー、ψῡχή [psūkē])に関する学問であったはずの「心理学」(psycho-logy)が魂について語らなくなって久しい。身体を超越した存在を認めない近代心理学にとって、物質に還元されえない魂はそもそも語りようがないからだ。だが、だからといって、魂についての語り、すなわち言説がなくなってしまったかというとそうでもない。魂についての言説は、その場所を自然科学、オカルト、スピリチュアリティ、文学や映画、さらには政治やエコロジー運動に移し、語り継がれてきた。人間の精神に大きな刻印を残しつつ。  本書は、自然科学、宗教学、心理学、環境倫理、政治学、芸術、「長い20世紀」(独語原題は『20世紀の魂』)とも呼べる19世紀末から21世紀初頭までの期間、さらにはヨーロッパから北米、これら多様な領域・時間・場所に散らばった「魂」についての無数の言説を拾い集めたものだ。そうした言説を読み解くことで、自然、歴史、世界といった大きな構造の中で人間存在がどのような意味を持つのかを考えるにあたって、魂という概念が今なお重要な役割を果たしうることを立証できると著者は記す。さらに魂について想いを巡らす時、私たち人間は他者とつながり、またこの世界を満たす生命や意識それ自体(すなわち、全体性、あるいは神のようなもの)とつながれるのだという。  野心的な試みだが、著者コク・フォン・シュトゥックラートはそれを実現する力量と業績を持つ。フローニンゲン大学教授で、占星術、錬金術、カバラなどエソテリシズム研究の専門家である。本書はこうした著者の仕事の延長線上にある。  前半五章は、19世紀から第二次世界大戦までの魂の言説を扱う。強調されるのは、オカルト的形式とオルフェウス的形式である。前者は物質に還元されることなく魂を自然に結びつけるもので、ゲーテからヘッケル、オストヴァルトらの自然理解に見出される。後者は、ニーチェ流の陶酔、つまりディオニュソス的なものとして提示され、音楽や文学、ナショナリズムにもその足跡を残す。心理学の分野では、魂の集団的な広がりや普遍的な規則性を示したユングの貢献が論じられる。  後半五章は戦後を扱う。まず、他者や宇宙との繫がりを強調したトランスパーソナル心理学が論じられる。この学問は瞑想、ヨガ、LSDなどによる変性意識を通じて新しい人間・社会の構築を目指す運動と結びついた。また、1970年代以降、自然科学の領域でも、アーヴィン・ラズロらによって人間、自然、宇宙を統合するようなシステムが提唱される。さらに、アニミズムやネオペイガニズム、『ハリー・ポッター』、環境保全運動が、20世紀後半において最も影響力のある魂の言説を展開する。  以上のような魂についての多様な言説を提示することで、本書は他者や自然とのつながりといった重要な主題を浮かび上がらせる。とりわけ、現代社会が他者との断絶や自然の破壊で満ちているからこそ、その重要度は格別だ。ただし、扱う対象があまりに多岐にわたるため、個々の分析がやや表面的になっている感は否めない。また、魂概念の現代的な意義を強調するあまり、これらの言説が持つイデオロギー性への批判的な検討が不足している点も指摘できよう。  最後に翻訳について一言。膨大な資料を駆使した大部の書物だ。訳者の苦労は計り知れない。だが、時に訳文が不自然、あるいは一文が長すぎて意味をとりにくい箇所が散見された。また、固有名詞の表記においても標準的なものからの逸脱や誤植があり(p.82、151、225、376、412)、読みにくさが残る。とりわけ宗教用語の中には意味が通らないものもあった(「ゼミナール」ではなく「神学校」p.102、「福音主義者」ではなく「伝道者」p.352)。とはいえ、こうした点を勘案しても、本書は日本でも多くの人に読まれるべきだろう。シュトゥックラートの提示した魂、他者や自然との断絶の問題は、現代を生きる我々の問題でもあるのだから。(熊谷哲哉訳)(かとう・よしゆき=立教大学教授・宗教学・思想史)  ★コク・フォン・シュトゥックラート=オランダの宗教学者。一九六六年生。

書籍

書籍名 魂の文化史
ISBN13 9784409041314
ISBN10 4409041312