2026/02/13号 3面

家父長制以後

家父長制以後 エリック・マセ著 瀬地山 角  タイトルに関心を覚えた。現代日本において、「家父長制」という言葉は学術用語としてどの程度浸透したことばと言えるだろうか。評者は1996年に『東アジアの家父長制』(勁草書房)という本を上梓しており、それから30年東アジアのジェンダーに関する比較を試みてきた。  実は拙著の一章で家父長制概念に関する整理をしており、その際にある社会を「家父長制的だ」と指摘しても何の意味もないと述べた。F・エンゲルスは『家族・私有財産・国家の機能』で富の集積によって男女の差別が生まれたという性差別の歴史的起源を明らかにした。「女性の世界史的敗北」として有名なテーゼである。しかしのちの文化人類学の研究は、女性の方が権力を持っていた社会は存在しなかったこと明らかにする。  母系制(matriliny)の社会はあるが、母権制(matriarchy)の社会はない。だとすると、ある社会を「家父長制(patriarchy)だ」と批判したところで、何も言ったことにならないことを意味する。したがって家父長制という概念を使うときには、その下位類型を作り、その変化を追う必要がある。評者は家父長制がそれぞれの社会でもつ「型」に着目し、その変化を追ったのだが、著者も同様に変化とともに家父長制概念を使い分けようとする。したがって本書の構成は下記の通りとなっている。  序章 ジェンダーの社会学  第1章 ジェンダー編成を考える  第2章 近代性と衝突した伝統的家父長制  第3章 近代的家父長制とその内部諸矛盾  第4章 ポスト家父長制の諸条件とさまざまな緊張  第5章 近代化された家父長制から混成的編成へ  結論 ジェンダー編成の比較  ここで重要となるのが、「ジェンダー編成」という用語で、ゴフマンのarrangementを参照したと思われるが、出生時の強制的な性の割り当てによってsexが作られるプロセス、社会関係の中でgenderにさまざまな意味付与がなされ、個人の行為が制約されるプロセスを含んでいる。一方でこの編成はさまざまな相互行為を伴うものなので、変化が生じる。そうした変化を通じて家父長制が変容を遂げていくことを歴史的に記述しようとしたのが本書である。  第2章では男女の差異とその古典的な上下関係を基本とし、宗教によっても支えられた伝統的家父長制が近代社会の合理的個人という考え方と衝突する点を指摘する。ただそれで家父長制がなくなるわけではないのだが。  第3章は伝統的家父長制を取り込んで、性別役割分担を前提とするような近代的家父長制が生まれる過程について述べる。伝統的家父長制は統一された神によって支えられていたが、近代社会ではそれが失われ、いわば「神々の闘争」状態となり、近代的家父長制が矛盾を抱えざるを得なくなると指摘する。  第4章では最初に「おそらくは人類史上初めてジェンダーの上下関係が終わりへと導かれ、男女の諸条件の平等へと至った」と述べている。もちろんそれにはいくつもの留保や残された問題があり、脱伝統化はまだ完成していない。それらとの間の緊張関係があり、たとえば家庭内には依然として非対称的なジェンダー役割が残存しており、その影響もあって、女性は個人としての自立と女性性の双方を守ろうとする二律背反に陥るとされる。  第5章はこうしたポスト家父長制のあり方が、中近東を中心とする他の社会でどのような編成を取るかを明らかにしようとする。植民地支配による近代化と伝統的なジェンダー編成の変容のあり方は単純ではなく、まさにポストコロニアルな問題となる。そして終章において、そのようなジェンダー編成の比較が図とともになされている。  本書のタイトルは「家父長制以後」だがこれは中で使われている「ポスト家父長制」と同じ原語である。そうした表現が生まれること自体、北西ヨーロッパの男女平等の進展を象徴するものだろう。ただあまり読みやすい本とは言いがたかった。変数の例示のされ方がわかりにくく、社会学としてスムーズなものとは言いがたい。東アジアの中の比較をしている評者としては、少なくともチュニジアやトルコやインドを突然例に出すのではなく、きちんと変数を絞って比較をしてほしいと感じた。(山下雅之訳)(せちやま・かく=東京大学教授・社会学・ジェンダー論)  ★エリック・マセ=フランスの社会学者。ボルドー大学教授・ジェンダーをめぐる文化運動・ポストコロニアリズム・人種差別・エスニシティ論。著書に『なぜ私なの?』(未邦訳)など。一九六四年生。

書籍

書籍名 家父長制以後
ISBN13 9784588011917
ISBN10 458801191X