2025/02/28号 6面

崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった

崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった 渡邊 永人著 北村 匡平  「読んでから見るか、見てから読むか」――いわずと知れた角川映画のメディアミックス戦略が一世を風靡した時代のキャッチコピーである。時は一九七〇年代後半、まだビデオデッキが家庭に普及する直前、人びとは映画館に行ってから原作を読むか、原作を読んでから映画館に行くか、という一つの作品を別のメディアで二重に味わう行動に突き動かされた。それから半世紀を経て、メディアは多様化し、ソーシャルメディアの時代へと移り変わった。  『崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった』は、映像ディレクターが歴史ある谷桃子バレエ団に密着取材をし、ドキュメンタリーYouTubeを撮った一年ほどの体験を記したものである。もとは老舗のバレエ団のほうからバレリーナの密着ドキュメンタリーをYouTubeで公開したい、という依頼だったという。本書の著者であり監督の渡邊永人は、バレエの世界を深掘りしたいかといえば首を傾げたくなるというくらい、バレエに関してまったくの素人だった。  しかし、だからこそ、バレエの表舞台の美しさはなく、裏舞台のリアルを追求したYouTube動画は、瞬く間に反響を呼び、一年間の総再生回数は二五〇〇万回を記録、ギャラも満足に支払えない破綻寸前だったバレエ団のチケットを即完売させるまでにいたる。著者はバレエそのものよりも、バレエ団に携わる人間自体の人生にフォーカスし、彼女たちの魅力を描き出してゆく。本書はそういったバレエ団の裏側を描いた動画のさらに裏側を綴った書物だといえよう。どういうことか。  たとえばロシアのプロバレエ団に所属していながらコロナで帰国を余儀なくされ、さらにウクライナとの戦争が勃発して戻れなくなり、谷桃子バレエ団に所属することになった大塚アリスのエピソード。あるいは、アメリカのプロバレエ団に所属していたものの、やはりコロナが原因で日本に帰国し、会社員を経てバレエ団に入団して週5のアルバイトをしながら奮闘する森岡恋のエピソード。産後復帰して主役を踊る四三歳のトップバレリーナ・永橋あゆみの日常生活と本番に向かう苦悩に迫るエピソード。どれも表面の華やかな世界と裏腹の生々しいリアルが映し出されている。  冒頭に紹介したコピーをソーシャルメディア時代の現在にアップデートしてみよう。「読んでから見るか、見てから読むか。あるいは見ながら読むか」――。  本書には各見出しに対応したドキュメンタリーYouTubeのQRコードが掲載されている。すなわち、公開された動画を視聴しながら、その映像を撮った時のディレクターの心情を窺い知ることができるのである。本書の白眉は、映像と活字を往復しながら味わえる新たなメディアミックス経験にあるといえるかもしれない。単にトピックに対応した動画があるのではない。バレエの裏側のリアルを追い求めた映像のさらなる裏側、つまり苦悩し葛藤する団員をカメラで撮る監督の苦悩や葛藤も二重に読者は味わうことができるのだ。そういう意味で本書に描かれているのは、バレエ団の裏舞台の裏舞台なのである。  また、本書はドキュメンタリー映像制作の方法論としても読める。ダンサーたちが置かれる環境が過酷であればあるほどコンテンツとして面白くなる可能性があると著者はいう。綺麗事ではない、目を背けたくなるようなリアルな現実を忖度なく届けること、バレリーナたちが美しく踊る姿よりも彼女たちが抱える苦悩や葛藤を視聴者と共有すること。映像からは見えてこないそういった手法に関する作家の想いが多く吐露されている。  たとえば、膨大な撮影時間をかけ、いつ起きるかわからない「面白い」をひたすら待ち続けるというルール(事前にゴール=撮れ高を決めると「リアルさ」に欠けるため)、あるいは取材対象者に対して事前に撮影内容の詳細を伝えないようにしているというルール(喋る内容を「用意」してしまい、「本当」の感情や表情が失われるため)等々、「圧倒的なリアル」こそが唯一無二の面白さだと確信して撮り続ける著者の撮影スタイルが開陳されているのだ。  本番直前のリハーサルで主役の永橋あゆみが怪我をした動画のサムネイルには「激痛」「練習中断」という赤文字と、回転が止まってしまう瞬間の静止画が載せられ、再生数は過去一番の伸びを見せた。ところが彼女は電話で、観に来てくれる人たちを不安にさせたくないからサムネイルを変えてほしいという。一方、大きな壁にぶつかるバレリーナの苦悩を知ってもらってこそ、公演の客足を増やすことができると真摯に意図を伝える著者。結果、彼女は「サムネはそのままで良い」と妥協する。けれども渡邊は最終的にサムネを変えるという判断を下す。その理由は本書を読んでもらいたいが、評者はこの作り手の決断に心を揺さぶられた。  舞台上のバレリーナではなく、舞台裏の人間が立体的に浮かび上がってくる動画を見ながら、野心と倫理の狭間で揺れ動く葛藤がありありと綴られた本書を読めば、これまでにない読書体験を味わえるはずだ。そしてあなたもきっと、夢中になってこのバレエ団で奮闘するバレリーナたちを推したくなるだろう。(きたむら・きょうへい=映画研究者・批評家・東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授)  ★わたなべ・ひさと=映像ディレクター。テレビ番組制作会社に入社。現在は『THE ROLAND SHOW』『進撃のノア』等のYouTube動画を手掛ける制作会社に所属。一九九五年生。

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