七帝柔道記 Ⅲ
増田 俊也著
松原 隆一郎
「七帝柔道」とは、旧七帝国大学柔道部のトーナメント戦でのみ採用されている、変則の柔道ルールである。寝技が重視され、自分から寝る「引き込み」や、試合時間内では無制限に認められる点で、オリンピック柔道の「国際ルール」とは異なる。寝技重視は個人戦のブラジリアン柔術と同じだが、十五人の勝ち抜き団体戦だけで、「分け役」は組み合ってさえいれば防衛に徹しても負けにならない。
明治時代から戦前まで学制として存在した「高等専門学校」の柔道ルール「高専柔道」は学制廃止で消滅したが、旧帝大の「七大学戦」で復活したのである。勝って泣き負けて泣く選手の気持ちに観客がこれほど巻き込まれるスポーツは滅多にない。それにはすべての選手の力量を知る必要があり、「相手チームの副大将が三人は抜く強豪だから、そこまでに四人は勝ち越しておかないと最後に追いつかれる」といった試合の見方ができるなら、自軍が三人リードしてもハラハラが続き、小兵が相手の副大将にしがみついて引き分ければ快哉を送るようになる。
柔道界では専門雑誌でも報じられないマイナールールである。それだけに本作が柔道界の外部に位置する一般読書界で三巻まで出版されているのは、奇跡に類する。読者を引っ張って離さない筋回し、心に残るセリフを吐く登場人物のキャラクター作り、なによりも会社で打ち込める仕事を見つけられず悪戦苦闘する「私」の造形が巧みなのだ。
本書は「カンノヨウセイ」なる奇習が紹介される北大柔道部入部編のⅠ、年間で一万を超える寝技乱取りに苦しみ七帝戦では五年連続最下位の泥沼であがくⅡに続く第Ⅲ巻。社会に出た一九八九年秋から一九九二年夏まで、および後日談を描く自伝である。引退直後に社会部で健筆を振るおうと「北海タイムス」に入社した「私」は校閲部から整理部と回され、年収一九〇万円、十四時間在社と、北大道場に顔を出すことすらできなくなる。十連覇の京大を撃破、七帝史上最強とも噂される九大の怪物・甲斐泰輔をも止めて優勝を目指す後輩たちとは対照的だ。吉田寛裕主将率いる後輩たちの盛り上がりと、「私」の淀んだ気持ちが対比される。
自分の出番の直後というのに汗まみれの吉田主将は「私」たち観戦中の先輩の席にやってきて、「矢田は誰とやっても大丈夫です。甲斐以外なら」と説明する。「もういいから。ありがとう。二度とここには来るな」と追い払われ、ようやく頭を下げ陣営へと小走りで戻っていく。自分を見失うほど七帝戦と同一化しているのだ。そんな主将だからこそ偉業と悲劇をともに引き寄せることになる。
一方「私」の転社先、メガ新聞社の上司は、初対面で業務を尋ねると、「うるさいの。あんた、死ねばいいんじゃ」と返してくる。この男はこの口癖を披露するためだけに登場するのではないか。小気味よいテンポで物語は進んでいく。
「私」は現役の七帝戦で、リスクを取って抜きに行くべき試合で安全策に走り、引き分けた。社会に出て「俺は自分の七帝戦を戦っている」と呟きながらも、リベンジのチャンスに出会えず足搔いている。苛立つ心情がむき出しで転り、現実の著者は『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)という奇書にして傑作の執筆に向かっていく。
評者は二〇〇七年から二〇一九年まで東大の柔道部長を務めた。東大は一九七三年から半世紀超の史上最長期間、優勝していない。二〇二〇年には福島前主将、岡主将のもと「抜き役」を七人揃え、いよいよ優勝は堅いと期待された。そこにコロナ禍が来襲、高専柔道以来、戦争以外では中止にならなかった大会が、開催されなかった。評者は選手たちに胴上げされる機会を逃したのである。
「私」の忸怩たる気持ちはよく分かる。それだけに本書には腹が立つ点がある。猛練習に明け暮れたはずの時期に彼女(慶子)ができ、十四時間勤務になっても次の彼女(小晴)が帰宅を待っているのだ。これは事実であるのか。七帝大を代表して、許せないと言っておきたい。(まつばら・りゅういちろう=東京大学名誉教授・放送大学教授・社会経済学者)
★ますだ・としなり=小説家。二〇〇六年『シャトウーン ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞しデビュー。著書に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞)『七帝柔道記』(山田風太郎賞候補)など。一九六五年生。
書籍
| 書籍名 | 七帝柔道記 Ⅲ |
| ISBN13 | 9784091876195 |
| ISBN10 | 4091876196 |
