読書人を全部読む!
山本貴光
第47回 「虐殺の日」
1960年6月20日の「読書人」第330号1面は、天に大きく「特集6・15事件を直視しよう」、右上には「虐殺の日の意味するもの」という見出しを掲げている。
その1面の大部分を占める小松茂夫(1921―1980/39/学習院大学助教授・哲学専攻)による記事は、いま読むと不思議な読後感を与える文章だ。
「脳裡をしきりと去来することばがある。「永遠の呪い」ということばである。あたかもことばの方からその意味を考えつめることを切々と訴えかけているかのようである。この訴えから脱けでることは、恐らく、生命の火の消える日まで不可能であるかも知れない。」
一見、冷静に書かれたようにも見える、抽象的で重い言葉の連なりから始まり、映画のカットのように次の段落で具体的な場面につなげられる。
「急報に接し所要の手続をおえて国会付近に到着したとき、時計は「虐殺の一五日」がようやく過ぎたことを告げていた。もちろん、虐殺の行為が一五日で終ったというのではない。」
小松は続いて、国会議事堂の周辺で重傷に喘ぐ人たちがいること、かれらに手錠をかけて治療することも禁じて雨のなかを転がして放置する者らがいる様子を描写する。そこでは誰が負傷し、誰が負傷者を放置しているのかといったことや、なにゆえそのような事態に至ったのかといった経緯は書かれていない。あたかもカメラに映る目の前の状況をそのまま記述したかのような文章だ。
「このような非道をわれわれの国内法のいかなる規定が許しているのであろうか?」と問いを挟んでから、現場を歩きながら彼の耳目に入った出来事がさらに記される。構内に入ると散乱する数百足の運動靴やパンプスが見える。「中年の婦人や老齢の男子」が警官隊に「人殺し!」と叫ぶ声が聞こえる。ラジオの取材に対して、事件を目撃した市民らが「警官隊(第四機動隊)の身の毛もよだつような残虐行為を細さに語って」いるところへ、私服警官がいきなりマイクを奪って逃げようと企てる……。
小松はここで、自分では目にしていない出来事を事後的に要約する代わりに、「虐殺の一五日」の現場で自身が目にしたものを記している。仮に1960年6月15日のこの出来事に関する記事が、小松のこの文章以外に一つも残っていなかったとしたら、後世の人はなにが起きたのかを理解できないかもしれない。だが、小松が語らずして語るこの文章を読んだ同時代の人びとの念頭には、そうと書かれていなくとも、この日警官隊と衝突した学生たちの中から死者が出てしまった痛ましい事件の記憶が去来したはずである。記事に添えられた写真には、ヘルメットをかぶった制服姿の警官隊と青年たち(なかには血を流している者もいる)の群れが写っており、キャプションには「6月15日夜、国会構内で警官隊と闘う全学連デモ隊」とある。
続く2面の記事の一つ、「二つの暴力と闘った二日間その渦のなかから」は、6月15日の「安保批判の会」の国会デモに参加した本紙記者によるもので、右翼の暴力団と警官による暴行の現場の様子が書き留められている。「(本紙・栗原記者)」とは、栗原幸夫氏であろうか。その直後、2面末尾に「吉本氏逮捕さる/救援運動を展開」と、吉本隆明が全学連の国会突入の際に学生とともに行動して逮捕された顚末が載る。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)
