ジェンダー
江藤 双恵
どんなに大切なことを言っていても、必要な人の心に届かなければ宝の持ち腐れである。2025年に出版されたジェンダーにかかわる書籍を読み漁っていて、仲介者になろうという思いが強くなった。まずは、山根純佳・平山亮著『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか 見えないケア責任を語る言葉を紡ぐために』(勁草書房)だ。敬体で書かれた本書には、超高齢社会の中で介護や子育てに奮闘している人々を解放する力がある。「何がよいケアかなんて、後にならなければわからない」、しかも、それは、ケアに向いていると思われてきた女性にとっても同じことだと語っているからである。しかし、いかんせん、言葉が難しすぎる。認知症を患った80代の母と暮らす独身40代後半の彼に本書を届けるにはどうしたらいいのだろうかと悩む。
世帯内でケア役割が女性に押しつけられてきたと認識することは、日本独特の女性の働き方・ポジションの理解につながる。「生保レディ」と呼ばれる女性たちが日本の産業界のジェンダー構造・文化を象徴していることを丹念に論証した大作は、金井都・申琪榮の『「生保レディ」の現代史保険大国の形成とジェンダー』(名古屋大学出版会)である。本書には、労働のジェンダー課題を解くカギがちりばめられている。これも専門的すぎて仲介役が必要だが、性別を問わず誰もが働きやすい職場を増やすために、本書の知見を役立てなければならない。
さて、2020年代になって、日本でもジェンダーはインターセクショナリティ(交差性)抜きに語れなくなり、「女性は一枚岩ではない」と、以前にも増して喧伝されるようになった。2025年には、社会科学系の数多くの学会でインターセクショナリティを表題に掲げたシンポジウムや分科会が開催された。出版界でも同様で、先行の「障害者フェミニズム」や「先住民フェミニズム」を追って、地下にたまっていたマグマが噴き出したかのようだった。生きのびるためのフェミニズムをうたう熊本理抄編『部落フェミニズム』(エトセトラブックス)、来日時期や世代が異なる多様な女性たちの経験を下に共生について考える宋連玉著、ふぇみ・ゼミ&カフェ編『フェミニズム視点からの在日朝鮮人史 植民地主義・家父長制・性差別』(一聡社)、これらはいずれも、日本の女性史、フェミニズム、女性解放運動の中でほぼ不可視化されてきた当事者による異議申し立てが出版という形で実を結んだものである。こうした動きに対してフェミニズム理論の側も応答した。佐藤文香・千田有紀編監訳『フェミニズムから読みなおす インターセクショナリティ基本論文集』(慶應義塾大学出版会)では、提唱者クレンショー以来の英語圏の論文のうち、重要だと思われる7本が選出されて翻訳された。学術の真摯な仕事として敬意を払いたい。しかし、それが英語圏ではいかに定義の定まらない概念であっても、インターセクショナリティという考え方が起爆剤となって、マイノリティたちが日本語で続々と成果を生み出しつつあるという確かな現実に水をさすことはできない。クィア研究の一大プロジェクトも2025年に一区切りついたようである。福永玄弥著『性/生をめぐる闘争 台湾と韓国における性的マイノリティの運動と政治』(明石書店)は、「性的マイノリティの生をめぐる政治や運動、歴史」を理解するための必読書であり、地域研究にジェンダーやクィアの視点を導入すると厚みが増すことを示す好例となっている。この世からあらゆる差別、抑圧、生きづらさをなくすために、仲介者として珠玉の営みを紹介していこうと思う。(えとう・さえ=獨協大学国際教養学部非常勤講師・フェミニスト地域研究)
