赤ずきんの運命、シンデレラの謎
斧原 孝守著
真木 由紹
「赤ずきん」、「シンデレラ」それに「長靴をはいた猫」。ひとえにペローやグリムとのペアで名をあげたような、これら昔話の代表格は、きっとヨーロッパ産という認識が一般的かと思われる。ただ、実際のところは少なくとも二人に始まるものではない。それでは起源は、いつ、どこにあって、いかなる来歴を経て、今にいたるのか。
本著は、副題にある通り、誰もが知る三つのメルヘンの源流を辿る一冊である。視野を広く構えればペローとグリムの文業で知った話も一本の支流に過ぎないことが本書から分かり得る。
一見、間口は狭いかも知れない。ただ、この狭さは慣れ親しみによるものである。が、しかし奥行きは異様に深い。しかも、奥行きはむしろ、あちらではなく、こちらに通じている。つまりは先述の三つとよく似た昔話が、東アジアにも散らばっているというわけである。まさにこの奥行き、その位置から、先の三つにアプローチするのが本著なのだ。
第Ⅰ部で印象的なのは中国全域に遍く知られた「虎婆さん」を持ち出してなされる考察である。ヨーロッパの「赤ずきん」とこの「虎婆さん」を比べ、ペローやグリムといった作者を梃子にした「赤ずきん」が「虎婆さん」の一つの展開、すなわち類話でしかないとする。著者に言わせれば「赤ずきん」こそが「ヨーロッパの虎婆さん型昔話」となる。
そんな「虎婆さん」は中国のみならず、様々なヴァリアントを含んだ上で東アジアに点在している。その中でも著者がより元型に近いと考えるものが「月が鎖を下ろしてくれたことで子供たちの助かる」結末を持った型である。こちらの、著者により「月の鎖」と呼ばれる型は、また別の「人食い妹」を横に並べた際に推移の深淵がもたらされる。
着目すべきは肉親に化けた化け物が主人公を追いかけるという共通点だ。そして、「人食い妹」のヴァリエーションにもまた主人公が天にのぼるものがあるとすれば、これが古事記のイザナキ・イザナミ神話と同じ設定である以上、この天体ものが八世紀以前から東アジアに展開していたとの推測が芽生える。
ところで、こちらは別段、Ⅰ部の結論ではない。むしろ、ここから更に細やかな設定(天に上る主人公が足を傷つけられる型)に着目し、考察が一層深められていく。
「赤ずきん」以上に世界的な広がりを持つのが第Ⅱ部で扱われる「シンデレラ」だ。著者によれば、二〇世紀に昔話の採録が行われて初めて、「シンデレラ」の結構がヨーロッパに限定的なものではないことが明らかになったという。
「シンデレラ」の最古の類話は唐代に見出される。時代を経て、伝承の分布を今に見れば、どちらかと言えば辺境に、濃い。分布図を一見すると南部に凝集しているかのようだが、確と眺めれば北東や北西の辺境にも点在している。いわゆる少数民族の居住地である。言い換えれば漢民族居住地には伝承の跡が薄い、となる。それが一体何ゆえか。先行研究を踏まえた著者の見立てが開陳される。そして「シンデレラ」の考察は中国に留まらず、日本、韓国、ベトナムにも移っていく。そこで浮上して来るのが日本版の「シンデレラ」とされる「米福粟福」だ。仮にこちらが中国から伝わったのだとすれば、元はどうような構成を持ち、はたまたいかなる来し方をもって、今の形に落ち着いたのか。諸地域のものに比べて、特異性の際立つ日本の「シンデレラ」にも著者の考察が光る。
第Ⅲ部では「長靴をはいた猫」を扱う。ペロー版を形成する四つの挿話をそのまま備えたタイプは、ユーラシア大陸の東西八〇〇〇キロもの距離間に分布している。けれども北ユーラシアの東西間に見出せるものにはペロー版にはないモチーフを含んでいる。となれば源流はペローのずっと彼方にあると考えられる。
極めて個人的な感想になるが、本著を読み進めていくうちに著者の存在が、まさに著者の論じている「昔話」それ自体と重なった。口から耳に、耳から口に、と言った具合に継がれ、基本を保ちつつも形を緩やかに変えたりしながら移り動いてきた昔話同様、著者もまた考察を深める必然のため動きの中にある。そして人間を動きながら在るのが昔話なら、昔話と昔話の間にいるのが著者である。つい、そんな想像の立ち上がった読了ののちだ。(まき・よしつぐ=作家)
★おのはら・たかし=口承説話研究者。元奈良県立高校教諭、元奈良県立大学シニアカレッジ講師。著書に『昔話「力太郎」ユーラシアを翔ける』『猿蟹合戦の源流、桃太郎の真実』など。一九五七年生。
書籍
| 書籍名 | 赤ずきんの運命、シンデレラの謎 |
| ISBN13 | 9784838234349 |
| ISBN10 | 4838234341 |
