- ジャンル:連載
- 著者/編者: ジェイムズ・ジョイス
- 評者: 児子爽香
書評キャンパス
ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク Ⅰ』
児子 爽香
この意味不明で愉快で奇怪な文章はいつまで続くのだろうと思っていたら、最後のページになってしまった。読了までに一か月半かかった。これが「Ⅰ」なのだから恐ろしい。
レーモン・クノー『文体練習』(朝比奈弘治訳)が好きだと言ったら、大学の教授が本書を貸して下さった。『文体練習』は九十九の文体で同じ出来事を描いた「言語を使った表現の実験」のような作品である。本書はその「言語を使った表現の実験」的な作品の先駆けの一つとして挙げられる。同じ短い出来事を多様な文体で描写した『文体練習』に対し、一つの奇妙な文体で長い物語が綴られていくのが本書である。
あらすじを紹介したいのだが、二周目を読み終えてもなお、物語を完璧に理解したというには程遠い。私が内容を理解した部分といえば、冒頭に収録されている大江健三郎氏の序文のみで、本文は怪文書ともとれる文章の連続である。日本語に訳されているはずなのに、どこか得体のしれない国の未解読の言語を相手している気分になる。しかし、この奇妙な文体こそが本書の一番の魅力である。
「災図? 墓ってみよう! マクール、マクール、ほうら汝ゃって死んじまった? 喪苦曜日の燥朝ってのに?」
わけがわからない。これが読み始めた当初の感想だった。睡魔に襲われて朦朧とする意識の中で書き上げた講義のノートと同じくらいわけがわからない。
本書では、本来あてられるはずの漢字とは違う漢字で表記された言葉が頻出する。「木曜日」と表記されるはずの部分に「喪苦曜日」という漢字があてられている。そのため、文字を追うようにして目だけで読むと混乱するのである。
そこで声に出して読んでみてほしい。できれば、思いっきり明るく、何も考えていないようなすっからかんな声がおすすめである。
「さいず? はかってみよう! マクール、マクール、ほうらなんじゃってしんじまった? もくようびのそうちょうってのに?」
少し文章の輪郭が見えてくるのではないだろうか。口に出すと小気味の良い、響きの軽い愉快な文章に聞こえてきやしないか。だからといって物語が理解できるわけではない。ただし、わけがわからなかった物語をわけのわからないままに愛せるようになる。夢の中でコロコロと場面が切り替わってもなぜか納得してしまうあの感じである。
また、耳で文章として認識した後に、もう一度、目で文字を追ってみるのも面白い。あてられた漢字には一貫性があり、音で得た物語に新しい視点が生まれる(この文章でいうと「災」「墓」「喪」「燥」といったように、禍いを連想させるような漢字に変換されている)。
本書は、読者が物語を追うことを目的としていないように感じる。ジェイムズ・ジョイスも柳瀬尚紀氏も、読者が奇怪な文体に翻弄されながら、不可思議な言葉に魅せられていくことを期待しているのではないだろうか。
冒頭でも書いたが、これが「Ⅰ」なのだから恐ろしい。そして、私の自室の机の上では「Ⅱ」と「Ⅲ」が待ち構えているという事実がこれまた恐ろしい。しかし同時に、まだ見ぬ奇妙な文章に出会えると思うと、もう一度この言語に取り囲まれた夢のような世界に入ってみるのも悪くはないと思う。(柳瀬尚紀訳)
※二〇二四年刊行の新版は、A5判でⅠ・Ⅱが一冊にまとまっている。
書籍
| 書籍名 | フィネガンズ・ウェイク Ⅰ |
| ISBN13 | 9784309201696 |
| ISBN10 | 4309201695 |
