読書人を全部読む!
山本貴光
第37回 1959年上半期の様子
この連載を始めてからというもの、タイトルの通り「読書人」のバックナンバーを端から読んでいる。興味を惹かれる記事が多いものだから、なかなか先に進まない。毎回「どうするとよいかしら」と、ない知恵を絞っているところ。
それで考えたのが、ときどき半年分の紙面を大きくざっと眺め直すということをしてはどうかというアイデアである。目下は1959年の7月あたりにいる。というわけで同年の上半期、1月から6月の1面の様子を振り返ってみよう。対象範囲は、第256号(1月1日)から第281号(6月29日)までの26号分。
さて、現在の「読書人」では対談が1面を飾ることも少なくない。そういう目で見ると、1959年前半は亀井勝一郎、埴谷雄高、本多秋五の鼎談「権力 転向 人間――思想の科学研究会の共同研究にふれて」を除くと対談はなく、ほとんどは1人の著者による執筆か、編集部によるインタヴューで構成されている。1面に登場した面々の名前を並べてみよう。名前の後ろに*がついているのは二度登場した人。
長谷川如是閑、江藤淳*、中島健蔵、高見順、亀井勝一郎*、埴谷雄高*、本多秋五、有馬頼義、加藤周一、巖谷*、高橋義孝、堀田善衞*、藤原弘達、中村真一郎、伊藤整、きだみのる、石原慎太郎、丸山眞男、佐多稲子、野間宏、中野好夫、石川達三、福田恆存、中野重治。
ここに並ぶ名前を見て、どのくらい顔や著作が思い浮かぶだろう。ご関心や読書歴などによってさまざまかと思う。どんな面々かを伺い知るには肩書きを見るとよい。「読書人」では多くの場合、記事の末尾に「なかむら・しんいちろう氏=作家」という具合に、名前の読みと肩書きを添えてある。ここには都合24名の名前が並んでいるが、そのほとんどは「作家」「文芸評論家」「評論家」のいずれかで、例外は藤原弘達(1921―1999/37/明治大学教授・政治学専攻)と丸山眞男(1914―1996/45/東京大学教授・政治学専攻)の2人のみ。ご覧の通り大学の先生である。
リスト中に見える「巖谷」は、紙面では「巖谷記」という表記で登場している。恐らく本紙の編集長も務めた巖谷大四(1915―2006/43)だと思われる。「巖谷記」は二度とも永井荷風についての記事で、一つめは80歳を迎えた荷風について(第262号)、二つめは追悼記事だった(第274号)。いずれも文壇消息通らしくたくさんの逸話を織り交ぜた読ませる記事である。
1959年上半期1面の記事内容は、大きく言えば文学、政治、文化が中心で、新刊書についての話題はほとんど見当たらない。つまり「このたび刊行されたこれこれの本をきっかけにご執筆いただいた」というふうではなく、オピニオンが中心を占めている。また、この期間で特に目に留まるのは、海外の動向を伝える記事だ。詳細をご紹介する紙幅はないが、加藤周一(第261号)、伊藤整(第270号)、石原慎太郎(第272号)、中野重治(第281号)が、それぞれ訪れた先での体験を報じている。いわゆる海外渡航が自由化されるのは1964年のことで、まだ海外に旅することが珍しかった時代ならではのことかもしれない。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)
